第186話 従湿のラフーム
第二フェーズを開始したドームは、先程と同様に煙を発生させた。
「やっぱり君が煙だったね。って事はあの子はなんだろう」
「オレ達が何故、煙霧兄妹と呼ばれているか教えてやろう」
煙を纏い突進してくるドームに、少々呆れ顔のラフームは受け流す態勢をとった。
「懲りずに煙戦法? そういうの何て言うか知ってる? 二の舞を踏むって言うんだよ」
「それは失敗してから言って貰いたいもんだな」
周囲に煙が充満する。再び視界が遮られた中、ラフームはゆっくりと目を閉じた。しかし、明らかに遅い。ドームの突進速度からすれば既にラフームの身体に到達している筈。そう、これは煙霧兄妹の得意とする煙霧の中のスイッチである。
前方から突進を仕掛けるドームに意識を集中する中、四方からミルの挟撃が迫ってくる。
「だからさっきと同じじゃん。気取られない様に殺気を殺しても無駄だよ」
上下左右、あらゆる角度から短剣による斬撃が飛び交うも、寸での所で躱していく。
「どうせ息を止めてるんだから体力が持たない。僕は最小限の動きで躱し続けるだけだよ」
「それが失敗だって言うんだよ」
「ん?」
「迫煙ッ!!)」
煙の中で回避に徹するラフームの身体が、意に反しグググと押し込まれる。ドームは自身の煙を更に高密度に凝縮させた後、ラフームの身体へと押し込んだのだ。僅かに躱し続ける動作の計算が狂い、ラフームはあわや斬撃が直撃するかと思われた時だった。
「面白いね。でも所詮一色操士レベル。僕らとは根本的に身体能力が違うんだよね」
ラフームは崩れた体勢を、地面に叩き付けた尾で回転させた。捻られた身体に追従する様に遠心力で振り回される尾は、ミルを捉えカウンターを食らわせたのだった。
「ぐゃッ!!」
「ちょっとだけ焦ったかな。初めて見る戦法だよ」
「こっちだ」
間髪入れずに拳に煙を纏ったドームが振りかぶる。だが、勿論当たらない。
「避けたな」
「ッ!?」
ドームの拳の周りは煙により低酸素状態である。体勢を崩した事、ミルへのカウンターを意識していた事、ドームの突進がただの拳撃だと高を括った事が災いする。それまで息を止めていたラフームが呼吸を始めていたのだ。案の定酸素濃度の低い空気を吸い込んでしまったラフームは、酷く咳き込んでしまう。
「ゲホッゲホゲホッ!!」
「今だッ!」
「あいあい!」
カウンターにしっかりと受け身を取っていたミルが反転突撃を仕掛けた。咳き込み俯くラフームは無防備。ミルの短剣が首元で鈍く光る。
「苦しいじゃ、ないかッ!」
「なッ!?」
「ありゃりゃぁあ」
突如大きく仰け反ったラフームから衝撃波が発せられ、オルドール兄妹はいとも簡単に吹き飛ばされてしまう。
「ハァハァハァ。善戦するじゃない。だけど僕はもう油断はしないよ」
彼の色素は碧色、水分を自在に操る色力を有していた。彼は戦闘域全体の水分量、所謂湿度をコントロールしそれによる様々な現象を起こす事が可能だった。
ドームは高密度の煙を押す局地的な圧力。対してラフームは、大気中全ての水分量を増量させて水滴を生みだし、水分全体を押し込む攻防一体の圧力を加える反則級の技。周りが湿地帯である理由は、大気中の湿度が通常に比べ高く、より効率良く早く色力の発動を行う為。ラフームにとっては絶好の場所なのである。
「な、なんだこの圧力。前へ進む事が出来ない!」
「なんか見えない壁が身体にへばり付いてるみたいに動けないよー」
「結局みんな僕には近付けないんだよ」
「チッ。手を抜いていたって訳か」
「まあそうなるかなぁ。でもこれじゃあ面白くないからこの技は使わないでおいてあげる。掛かってきなよ」
「どこまでも見下してくれる」
「じゃあ次はミルが行く! 霧場ッ!」
「?? そういえばまだ君の能力は見てなかったね。彼が煙で……髪色が白って事は」
ミルが一帯に霧を発生させ、再び視界を奪う。だがラフームは慌てる事無く右手を前に出し掌を開いた。
「そうだと思ったよ。君は霧だね。だけど僕の色力の前じゃ何の役にも立たない」
「んんん?? あれ? 霧が!」
ミルの発生させた霧がみるみる水滴へと変化していき、視界が晴れていく。
「僕は大気中の水分を従える。霧がどういう物か分かっていない訳じゃないよね。所詮霧は空気中の水分が飽和して現れた物に過ぎない。つまり湿度を下げれば飽和状態じゃ無くなる。つまり霧は発生しないって事」
「ちょっと何言ってるか分かんないからそのまま攻撃ッ!!」
真っ向からの攻撃が通じる訳が無い。出された右手で大気中の水分を押し込まれ、軽々と吹き飛ばされてしまう。
「相性が悪かったね。まあ僕に弱点なんか殆ど無いんだけどね」
「ふーん、言う様になったねラフーム。じゃあ今度研鑽に付き合ってもらおうかな」
「ッ!!!!!」
今まで余裕に構えていたラフームが明らかに身体を強張らせている。
「いつまで待っても戻ってこないから眠くなってきたじゃない。温まった海に身体を潜らせて汗を流したってのに湯冷めしてしまうよ」
「ね、姉さん……」
「何が『姉さん』だ馬鹿野郎! アイツが来るってのにいつまでもチンタラしてんじゃないよ!」
突如現れたその人物とは、なんとこの諸島を治めるルシエ・ティアルマート本人であった。鬱陶しいと言わんばかりに背の翼を振り、周囲の水気を一掃する。あれだけの圧力でオルドール兄妹の行く手を遮っていた物を一振りで、しかも一瞬で振り払う彼女に二人は即座に身構えた。これはヤバイと言うレベルでは無い。息を飲む動作すらも気に触れさせてはならない、そんな圧を感じるのだ。
「ごめんなさいッ!」
「フンッ! まあいいよ。で? コイツらはなんなの。見るからに貧弱そうだけど」
「今回の研鑽相手」
「研鑽だぁ? こんな奴らで遊ぶ余裕があるならさっさとガラクタ掃除でもしてきな!」
「お前は誰なんだ!!」
「うっるさいなぁ! 分かり切った事を聞くんじゃないよ! 鈍いにも程があるね」
「兄や、もしかしてアイツ」
「ルシエ・ティアルマート……あのラフームが怖気付く程の相手。オレ達も覚悟を決めないといけないな」
「お? 漸く気付いたかいお嬢ちゃ、ん? なんだ、微かだけどアイツを感じる……」
ラフームの背中を自身の尾ではたきながら、ルシエの視線はミルの左手甲にあった。
「その紋様。御嬢ちゃん、それは何」
「ん? これの事? これはタータんと混色派生したの☆ どう? カッコいいでしょ!」
「タータ、聞かない名だな。もしかしてその素は毒を持ってない?」
「うん☆ でもタータんの色力じゃなくてドラドラのなんだよね。同じ紫の色素を持ってるんだけど、どうして色獣の力なんだろうなって思ったけど別にいっかなって☆」
「ドラドラ……それは」
「ドラゴン! 紫色のドラゴンだよ☆」
(似ている、けどアイツが色獣なんて、人間の下に着くなんて思えない)
「おい、アンタ等ちょっと来てもらうよ。拒否は出来ないからね」
「どうするつもりだ」
「良いから黙って着いてきな。私は先に戻ってるからコイツと一緒にね」
「……」
目的の人物に最初に接触したのはオルドール兄妹。だが半ば拉致された様なもの。二人は言われるがままにラフームの足に掴まれ、親父島の奥地へと連れていかれるのであった。