第181話 由々しき事態
「意外だね☆」
ミルは太股に携えていた短剣をスルリと抜くと、握ったまま頭の後ろで手を組む。
「何がだ」
「てっきり兄やは拒否すると思ってたのに☆」
「どれだけ一緒に居ると思っている。お前の性格は分かっている」
「って事は兄やも同じ気持ちなんだ?」
「ああ。相手が色巧級だと聞いてから何処か胸の奥がモヤモヤする」
「やっぱりそうだよね。色巧……ミル達を良い様に使って国を乗っ取ろうとした、あの騎士長の顔がチラついてイライラするんだよね」
「有ろう事かオルドール家との確執に終止符を打つ為に暗躍していた。オレ達はアイツの手の上で踊らされていたんだ。色巧と聞くだけで虫唾が走る」
「しかもミル達だけじゃどうにもならなかった。リムっちが居なければ今頃ミル達はどうなっていたのかな」
「分からん。エミル共々この世に居ないか、それとも国賊として晒し上げられた挙句に惨めな生活を強いられていたかも知れん」
「でも、今はそうなってない。ミル達オルドールはリムっちに感謝しきれない程の恩がある。だからミルはリムっちの目的に協力しようって決めた。なのにまた色巧級が相手。これからも同じレベルやそれ以上の敵を相手にしないといけないかも知れない。またリムっちを頼ってしまったらミル達は一緒に居る意味を失くしてしまう。だから、ミル達も力になれる事を証明しないと☆」
器用に手元で短剣を回すミルの目には、強敵を相手にする覚悟の火が灯っていた。レザーグローブをしっかりと嵌め直し、指をポキリと鳴らすドームの顔は真っすぐラフームを見据えている。
「同感だ。あんなにも抜けた奴だが力は未知数。黒法師が言っていた通り、この世界を変える事が出来るかも知れない。オレ達よりも苦境に立たされている人々を減らす事が出来れば良いが。ミル、今はお前だけに伝えよう。オレはいずれアイツが黒法師の言う灰王とやらになるのではないかと思っている。その時はアイツを主として仕えるつもりだ」
「気が早いよ兄や☆ でもその時が来ればミルもそうするかもね☆ リムっちは、雨が降れば足元は濡れるけど傘は差してあげるって言ってた。ミルはそれで良いと思ってる。雨が降ったら足は濡れるもん☆ でもその傘を差す主が居なくなったらミル達はズブ濡れだもんね☆ 主の足元はミル達が守らないと☆」
ミルのピチャンピチャと小刻みに跳ねる足元を見たドームの顔は、何処か嬉し気だ。
「そう言う事だ。この戦いはオレ達の未来が掛かっていると言っても過言では無い」
「あい☆ さッ! 行きますか! 竜人ラフームさん☆」
「オレ達を甘く見るなよ。たかが人と侮ると痛い目を見るぞッ!」
「いつでも良いよ」
飛び跳ねるミルの姿が消え、時間差で踏み込まれた泥が衝撃で舞い上がる。
オルドール兄妹と竜人ラフームの戦いが始まった。
ミル達の戦闘が始まる数分前――。
「へっびゅしょいっ!!! 誰か噂でもしてんのかな」
「オッサンみたいなくしゃみしてどうしたんや。足元濡れて風邪でも引いたか? あ、馬鹿でハゲは風邪引かんのか」
「うるさいわっ! なんかこそばゆい感じがしただけだよ! 馬鹿は否定しないけどハゲは余計だ! 世界の頭薄い方々に謝れッ!」
「なんでや。儂はアンタの事をハゲって呼んどるだけや。禿げとる人に言う訳無いやん。これでも良識はあるで」
「それがキツイ言葉だって言ってんだよ」
「あん?」
「い、いやなんでもねえよ」
マミの口には勝てないリムの威厳は下がる一方だ。
「で、リム。なんであの兄妹を」
「どした? アル。お前が戦いたかったのか? なら早く言えよー。いや、相手が兄妹ならこっちも兄妹が居るなあって思っただけ。しかも、ホワイティアを出てからアイツらはどこか燻ぶったままだった。未だに気分が晴れてねえのかなって。色巧って言葉を聞いた瞬間ドームの腕に力が入ってたのを見たんだよ。あ、これはやりたいんだなぁって思っただーけ」
「兄妹、か」
「どした?」
「いや、何でも無い」
「おいお前ら! あっちの方で倒れている人を見つけた! あの竜人の相手をオルドールに任せるのならオレ達はこっちの人を!」
「はあ、ほんっとブラキニアの王子様はお人好しなこった。とりあえずお前らはその人を助けてあげて。ここに来ている派遣団かも知れねえ。オレは二人の戦いを見届けるから」
「……分かった。行くぞアル!」
「ああ」
「あ、儂も行くで!」
「にゃぁ~ん」
三人は足早にリムから離れ湿地帯の東の方へと走り去っていく。
「タータはリムちんと観戦する♪」
「好きにしろー。あ、あそこに良い観戦席があるじゃん」
「じゃん♪」
別行動となったリム達は、近くに生える五メートル程の大きな木の根に腰かける事にした。上機嫌なタータも後に続く。
「う、うわぁああ!!」
ぬかるんだ地面をやっとの思いで進み、盛り上がる木の根へと到達した時だった。根の間の泥がズルリと抜け落ち、落とし穴の様に地中へと引き摺り込まれてしまうのだった。
「アマママ。ふぁ、ふぁーふぁ! んんんんばぁ! おっぱいで窒息死は本望だが流石にデカすぎだお前、今はまだ死ねぬー!」
「お陰でクッションになってタータは痛くなーい♪」
地中深くに落ちたリムはタータの胸をどかしながら頭上を見上げると、そこはかなりの落差があった。
「し、しまったなぁ。ぬかるんだ地面に空洞があるなんて思ってないよお」
「まさか落っこちた先でおっぱい揉まれるとは思ってないよお」
「お前達ここで何をしている」
こんな所に居る筈の無い人の声を聞き、リムは心底驚く。そこには地下空洞に張り巡らされた木の根に座る一人の男が居た。
「ん?!? うわあああああああ! お前誰だ!」
「いきなり私の隠れ家に落ちてきて誰だは無いだろう。しかも即座に男女で一戦交えようとは中々肝が据わっている」
「一戦って……」
無意識に手の平をワキワキしているリムは、冷静になって正面へと目を向ける。そこには物凄い弾力且つ溢れ出そうな小玉スイカおっぱいが。
「やだーリムちんのえっちー♪ タータまだ未経験なのにー♪」
「あ、スマン! つい!」
「ついって言いながらしっかり指が動いてたね♪」
「いや、その返しは未経験のそれじゃないんだよなぁ」
「私を忘れていないか」
「あ、ごめんごめん! 一人でナニしようとしてた所に男女が落ちてきて一悶着始めようとするなんて独り身にはキツイよね! よし、タータ。この続きは落ち着いた時にじっくりと」
「あー、なんか期待してるー♪」
「何の事を言っているのか皆目見当が付かないが。お前達は誰で、何処から来た。ここの人間で無い事は分かるが」
「オレはリム! リム・ウタってんだ」
「タータだよッ♪」
「私はセインだ」
「で、セインさん。アンタはなんでこんな所に?」
「それが私も分からないのだ。先日まで気を失っていたのだが、何故この島に居るのか」
「記憶喪失?」
「いや、記憶はハッキリしている。リリ様とロングラス大平原へ出立した後に、ブラキニア帝国との大規模な戦闘を行っていたのだが、突如空から落ちて来た何かが平原に堕ちた。それ以降の記憶が無く、気が付けばこの島に」
「……」
「あ、それはリ――んごんごっ!」
「バカッ! 待てッ!」
「ん? どうした」
リムは咄嗟にタータの口を塞ぐ。
例の流星がリム本人だと言う事を打ち明けるのは避けた方が良いだろう。なにせこの人物は、その衝突に巻き込まれた当事者なのだから。しかもホワイティア軍である事を示唆している白王リリの名前を出した。リムは直ぐに察知する。この人間はリリとの距離が近い行方不明となった側近の五清白である可能性が高い、と。しかも白王リリが言うに、五清白はロンベルトの息が掛かっているとも言っていた。となればロンベルトの計画は知っている筈。
リムが、いやオルドール兄妹が出会ってはいけない人物である。ロンベルトの計画が瓦解した事を知らない五清白のセインは、オルドール兄妹を見るや否や拘束に掛かるだろう。かと言って既にロンベルトが居ない状況を説明したとて、この人物が信じるのか。彼らを纏め上げていたロンベルトの敗北は、復讐心へと変わる可能性も否定出来ない現状、リムの関与は知らせない方が無難である。
「あ、ああああ! それは災難だったな。ロングラス大平原の惨事だろ? オレも情報だけは聞いてるよ」
「やはり酷い状況だったのか」
「白王も黒王もその時から行方不明らしいよ」
(オレの中にいるけど)
セインは深く考え込んだ後、徐に口を開く。
「では、ホワイティアは負けたのか?」
「んいや、黒王も不在だからってんで多分ブラキニアの勢力も一旦退いたと思うよ。今はエミルが代理で治めてる」
「ッッ!? どういう事だ」
「えっと、だから……あ、えーと」
リムの失言は取り消せなかった。セインの表情が徐々に曇って行くのが明らかに分かった。
「騎士長が代理では無い、のか?」
(マズった! ロンベルトの計画通りだとエミルは捕らえられてる事になる筈。ここでエミルが表立って活動している事は計画の矛盾が出てしまうよな)
「ホワイティア軍には、国民に慕われていたロンベルト騎士長が居た筈だが。エミル様はまだ幼く政には少々疎い。リリ様の妹とは言え、国を治めるにはまだ早すぎる」
リムはこの発言にピンと来た。
「ん? どういう事? いくら疎くても補佐役が居ればそれなりには務まらないか? いくらその騎士長が国民に慕われていたとしても、王位継承は順当なら白王の妹じゃない? 騎士長はあくまで軍の長であって国を継ぐ資格は無いと思うんだけど」
リムはここで少々強引に先程の失言を掻き消そうと被せる。
「あ、いや。そうだが……知識も力も経験もロンベルト騎士長が相応しいと思ったのだが」
「あ! 分かった! アンタもしかして噂に名高い五清白の人だろ? ならそう思っても不思議じゃないよねえ! 自分を指揮する人物を高く評価するのは悪い事じゃないと思うよ。でも本質は国を守る軍でしょ? その国の血筋を飛び越えちゃいけないでしょ」
「た、確かに。私とした事が行き過ぎた発言だったな」
(情報は少し引き出せたけど、やっぱりロンベルトの計画に絡んでやがるな。こいつはマズいぞ)
リムのカマ掛けに見事に引っ掛かったセインは、自身が五清白だと言う事をすんなり認めたのだ。
セインは自身の失言に複雑な感情を抱きながら頭をポリポリと掻いていたが、リムにはただの小芝居にしか見えなかった。