第176話 本日の研鑽
ファミリア諸島最奥の島、親父島。近隣諸国からは厄介者とされ、また恐怖の対象となっているルシエ・ティアルマートが居を構える島だ。
そそり立つ断崖絶壁の山肌に食い込む様に建てられている石造りの城は、手入れなど一切しておらず蔓がびっしりと張り巡っている。周囲は暗く淀んでおり、上空に至っては雲で覆われている為、太陽は全く見えない。
斜面を無造作に切り崩した階段が、城前より右へ左へとうねる様に伸びているが、踏面や蹴上も統一感が無く幅もバラバラ。とても親切な造りとは思えない。
それもそうだ。彼ら竜人には翼がある。こんな煩わしい階段など必要無い。では何の為に? そう、彼らの居城へと進む唯一の道であり、地に足を付けて進む者だけが使う物だった。所謂人間用である。
何段かも分からない程に続く階段を降りれば、広がるのは荒れた平地。現代で言う一般的な野球場に匹敵する広さの平地と、周囲には歩く事が困難な剣山の様な荒地。その境目には幾つもの武具が散乱していた。勿論使い物にならない程に拉げ、折れ、穴が空き、錆びた物ばかりである。
そんな荒廃した平地に一人黙々と身体を動かす影があった。
「ハッ! ハッ! ハァ! ハッ!! フンッ! ハアアア!! オオリャアア!!!」
拳をしっかりと握り突き込む。軸足を踏ん張り回し蹴り。背中の翼を扇ぎ上空へ飛び上がると、くるりと前転した後に踵落とし。流れる様に地面に伏せ足払い。その勢いのまま、翼を平たく畳みバックドロップならずバックウィングと言った所。
一人黙々と仮想の相手と戦闘を広げる彼女、ルシエ・ティアルマート。彼女は異様な程に存在感に満ちた容姿だった。
腰辺りまでに伸び切ったロングヘア―は、頭頂部から紅色、紺色とツートンに分かれていた。下から風が吹き上がっているかの様に所々跳ね上がるボサボサな髪。
更に目に入るのが角である。側頭部から伸びた角は、肩幅までに広がった後に内側へ弧を描き、艶やかさと鋭利さを持った綺麗な形をしていた。恐怖の象徴とでも言うだろうか。歪な形状が迫力を増している。左先端は紅色、右は紺色とこれまた対称的な色味に染め上がっている。
額から降ろされた前髪の束は、眉間で交差し頬へと垂れ流れていた。
その髪の間から覗く真紅と紺碧のオッドアイは、見る者全てを畏縮させる、そんな眼力をもっていた。そう、察しが付いただろうか。ラフームとラーハムは、親である彼女の血を色濃く受け継いでいるのだ。
スラリと伸びた長い首、人間の頭が入っているのかという程のはち切れんばかりの乳房。鎖骨から肩、肘にかけては筋骨隆々とは言わず、寧ろ女性らしい華奢な身体付き。
長い年月、陽の光を浴びていない為か日焼けの知らない真っ白な肌色。一触れすれば吸いつき離れない、そんなキメの細やかさはとても竜人とは思えない程に人間味がある。
一枚の白い布を頸椎部から喉元で交差させ、重力に逆らえない頭ほどの胸を持ち上げる様に包み上げる。更には別の布をサラシの様に一本背中へと回し、前面を隠している。とても、とても刺激的だ。
薄らと浮き出る腹筋とおちょぼ口の様な可愛げなヘソ。赤、青を基調とした腰巻を下腹部辺りに緩く巻き、垂れ下げる事でスカートの様に見せた太股丈のパレオ。張りのある太股からふくらはぎ、とても、とても艶やかで刺激的……。
尾てい骨から生える紺紅ツートンの尾は、しっかりと鱗に覆われ地面スレスレに揺れ動いていた。
これだけ見れば竜と呼べる要素は角と尾しかない。しかし、やはり竜人。異常なまでに発達した四肢の指の筋力。爪に至っては、血が染みついたかの様な赤黒さだった。
一七五センチと高身長なのだが、竜人という種族の中ではやはり雌に分類する為、低い方である。リム達と比べるのであれば、アルに次ぐ高さである。
一見すれば彼女が、世界から畏怖される存在なのか疑わしい。だが、それは直ぐに払拭されるだろう。
絶大な力を有しながらも非常に努力家であり、日に日に力を付けている彼女はもはやこの世界で敵う相手が居るのだろうか。だが、そんな事は御構い無し。ファミリア諸島へ侵攻してくる輩の中に強者と思しき相手がいれば迷わず招き入れ、自己研鑽の糧とすべく戦いに明け暮れていた。そんな彼女の前に、今日も一人の男が招かれていた。いや、正確には囚われているのだが。
「フン、捕虜にでもしたつもりか。捕まえた人間をおもちゃ代わりにして遊ぶ気なのだろうが、非道な下竜如き、ホワイティア王国白王親衛隊である五清白が二番手! セイン・デ・フュイユが負ける筈も無い!」
「……ヨシッ!」
「聞いているのか。準備運動など余裕をかましていられるのも今の内だ」
「今日は、ホワイティアの二番手さんか。少しくらいは骨があると良いんだけどな」
「ほざけ」
「いつでも来なッ!」
新緑色の鎧に身を包んだセインと名乗る男。ブラキニア帝国の五黒星に並ぶ、世界屈指と名高いホワイティア王国の親衛隊、五清白の一人。白王リリ・ホワイティアからは、『攻めなれば白撃のミルキ、守りなれば緑堅のセイン』と呼ばれる程、全幅の信頼を得ている猛者だった。
鮮やかな新緑色の縮れた短髪に、二メートルはある巨躯。ゲジゲジ眉毛は彼のトレードマーク。顎から伸びる不精髭が、良い歳の色気を纏う男を演出している。
彼が構えるは、なんと胸元程しかない小さなバックラー。しかも、正面から見れば少々大き目な葉に過ぎない。右に構える剣……いや、ただの小枝は、子供でも簡単に折れるだろう。
「アハッ! アハハハハハハッ! バカにしてるのか? そんな小枝と葉っぱで私と渡り合おうとしてるのかい? 呆れを越して笑っちまうよ!」
「そうやって皆、私を滑稽だと笑う。だがな、一度戦闘が始まれば漏れなく同じ顔をしていたよ」
「涙でも流してたってか? 笑い過ぎたんだろうな! アハハハハッ!」
緑堅のセインは静かに佇む。そこへおかしなことに雲が割れ、セインの上空から光が差し込んでくるのだ。それは明らかに意図的な物に見えた。セインの身体にしか太陽光は当たらず、新緑の鎧が活き活きと輝き出すのだ。
「私は、光の色星の加護を受け持つ白王様から譲り受けた権能がある。太陽の恵み。如何なる場所であれ、太陽光を呼び寄せる事が出来る。私は恵みを元にした色力、光合成を扱う」
太陽光を浴びた葉のバックラーは、ミチミチと音を立て盛り上がる様にどんどん拡がってゆく。微小な力でも折れそうな小枝も、バキバキと内から噴き出る様に面積を拡げ、巨木へと進化を遂げた。
まるで壁である。しかもそれを軽々と扱うセインの怪力たるや。
「ま、マジかよ……ハハ、ハハハハ! こりゃ驚きだね!」
「行くぞ! ルシエ・ティアルマートッ!!! うおおおおおおおおおお!!」
「ハッ! 楽しめそうだッ!」
隔離されたこの島で、人知れず激突が始まるのだった。