第172話 左を向けば
ファミリア諸島。商業大国アカソや獣軍国家ソルウス、その他にも海路を必要とする数多くの国が頭を悩ませてきた謎多き島々。ソルウスと南の島を隔てる海峡は、アカソへと向かうには重要な海路であったが、千年以上も前にファミリア諸島に降り立ったとされるティアルマート一族により分断されてしまう。諸島の周辺の海水は黒く淀み、海洋生物は生息する事が困難な程、何かの影響により汚染されていた。
それに加えて不定期に起こる海流の激変、西に東に、北へ南へと刻一刻と変化する。終いには渦潮となり一般的な商船では制御が不可能になってしまう為、海峡を進むより陸路を選んだ方が良いとされた。
であれば、そのまま陸を進めば良いでは無いか。だがそれもまた困難な場合が多い。
海峡沿いを陸路で進むには、獣軍国家ソルウスの厳しい検閲が待っている。下手な物を流通しようとすれば、すぐさま目を付けられてしまい最悪帰国すら危ぶまれる事態にもなり兼ねない。
ならば、ソルウスを北へ迂回すればどうだろう。いや、それは更に危険な事だ。山中には自然の力を蓄えた野生生物の楽園。凶悪な肉食生物が蔓延る山々。
更に国を失くし野盗と化した人間が、しのぎを削って通行人に襲い掛かってくる始末。
これに関しては数百年前に起こった、通称『ガーの逆鱗』と言うソルウス軍精鋭部隊のガーソルダットによる西側諸国蹂躙が起点となっている。ソルウスの怒りに触れた西側諸国の壊滅により、亡国の市民が次々野盗と化していったのだ。ソルウスは決して助けの手を差し伸べる事はせず、野に捨て置かれたまま年月が過ぎ、気付けば野盗同士で繁栄する位には人が寄り添うようになっていた。
そんな飢えに飢えた獣や野盗が闊歩する山間を抜ける商人は居ないだろう。その為、海路は大きく南へ迂回して進む事が最も安全と言われているのだ。勿論、真っ当な商品を運ぶのであれば、ソルウスの検閲もすんなりクリアするだろう。だが、そんな訳もある筈が無く。密輸が後を絶たない理由も、結局は海峡の分断が原因でソルウスの検閲を逃れる言い訳になるのだ。
幸いな事にティアルマート一族は、近隣に被害を及ぼす事は無かった。が、前述した通り商人が間接的に迷惑を被っている現状を鑑み、商業の中心であるアカソ三大富豪が解決策を模索した結果、協力的な関係を築ける様にと交渉を試みた。
結果は最悪なものだった。ファミリア諸島に立ち入ろうとする人間は悉く追い返され、業を煮やしたアカソ三大富豪は武力による圧力を掛ける。顔の広いキヨウ・アカソにより、以東から搔き集められた腕に覚えのある冒険者や金に目が眩んだ傭兵集団を雇い、閉鎖的なティアルマート一族を何とか交渉の場へと引き摺り出そうとしたのだ。だが、後悔先に立たずである。先遣隊は話をする事も無く討ち捨てられ、諸島の入口には骸の山が築かれていった。
悪夢だ。理不尽な力に成す術が無く、次々と命を絶たれていく光景を目の当たりにした数少ない生還者は、口を揃えてこう言った。悪夢だ、と。植え付けられた恐怖は決して拭える事は出来なかった。リムらがマドカの居城で会った、拘束されていた生還者の果ての姿がいい例だろう。擦り込まれた恐怖に堪え兼ねた者は自害の道を選ぶ、それほどまでに焼き付いた光景に絶望してしまうのだ。
いくら直接的な被害を出さないとしても、商業を主としているアカソとしては迷惑この上ない。正に目の上の瘤なのだが、如何せん歯が立たない。そんな折にやって来た人物、それこそがリム達だった。
未だ謎が多い島、過去より幾度となく返り討ちにあって来た先遣隊の惨状を知っても尚、リム達は好奇心という追い風を受けファミリア諸島へ向かうのだった。
「まーだでーすかー。結構歩いたんですけどもー。リム君疲れまーしたー」
「少し黙っててくれ。お前の声で疲れる」
「なんでよ! つれないなぁ王子様ぁ」
「その呼び方はやめろ。今は国に属していない様なものだ」
「なら国名を出して威張るなや、黒いの」
「その呼び方もやめろナコシキ。ザハルと言う立派な名を受けたんだ。次からはしっかりと名で呼べ」
「フンッ! 男はみんな下衆の集まりや。ちょーっと名前を呼んだだけで馴れ馴れしく近付いてきよる。そこのハゲみたいにな」
「おい! オレはまだ名前で呼ばれた事すらないんだけども?」
「あーすまん、ハゲって言うただけで反応するからてっきり名前が『ハゲ』かと思うてたわ」
「てんめぇ!! 言って良い事と悪い事があるぞ!」
「そういうアンタかて儂の事名前で呼んだ事無いやろが」
「そ、それは……」
「にゃぁ~ん」
「儂を呼んでくれるんは、こなつだけやなあ」
「にゃぁ~ん」
他愛の無い会話をしつつも、ただひたすらファミリア諸島に向けて歩みを進める一行だったが、やはり疲れも溜まってくる頃。奪われていく体力に会話は尽きるもの……でも無かった。
「なあ、儂姫」
「やかましいねんさっきから! アンタの口縫ったろか」
「だって暇じゃんさー。なーんにも会話も無しじゃオレが干上がっちまうよー」
「勝手に骨になっとけボケナス」
「うわあああああ! ボケナスって言われたぁああ!」
「なあ、その……ザ、ザハル」
「なんだ」
「コイツ黙らせる方法って無いんか」
「病気だろ、ほっとけ」
「おい! 病気って言うな! オレだってみんなの気が紛れるかなーって思って話してるのにその言い方はちょっと、いや結構キツイぞ! 病むぞ!」
「アカン、気が滅入りそうや」
「そんな君に良い情報があります!」
「……」
「リム君に今日のパンツを見せてくれたら、少しだけ静かになるかも知れません!」
「殺してええか?」
「好きにしろ」
「ひぃ!!! た、助けてタータ! キミのお胸に隠れれば難を逃れられるはず!」
リムはそそくさとタータの後ろに隠れ、背後から小玉スイカを両手で持ち上げて見せた。
「おいハゲ。どさくさ、でもないな。勢いで女の子の胸揉むとかええ度胸してんやんか」
「んー? タータのお胸がどうかしたぁ?」
「タータちゃん、もう少しコイツに警戒心を持った方がええで……」
鈍感な娘と変態極まる灰人。なんだかんだ賑やかな一行は、ソルウスとアカソとの中間にあたる位置、南にあるファミリア諸島へと延びる三叉路へと差し掛かった。
「地図によれば、この道を左に向かった先が例の諸島の様だ」
「お、ドーム君! 今日は忘れずに地図を持ってきたんだな! オレは関心しているぞ!」
「これはミルが持ってきた物だ」
「そ、そうですか……」
一行の視線の先には、赤黒く淀んだ島が見えて来たのだった。