第171話 瀕死の旅立ち
今日も商人が忙しなく商いを始める。まるで先日あったナコシキの騒動など全く気にしていないかの様に。時は既に降月、現代でいう六月頃に当たる。雨が降り易い梅雨時期がやってくる頃なのだが、空はそんな雰囲気など感じさせない快晴だった。
「へっきしょおおおおいいいい、ぶわぁあいいいぶらぶららぁあいい!」
「びっくしたぁああ! 誰や!!」
「……ん?」
相変わらず豪快なオッサンくしゃみを繰り出すリムは、周りの状況が今一つ掴めなかった。
(えーとオレは裸で……隣には薄着のミルとタータ。それに……)
「おいハゲ。覗きなら千歩譲って見逃し……はせんけど良い訳くらいは聞いたろ思ったけどこれはどういう事や」
リムの視線の先には、何とも言い難い国宝級の身体が露わになっているではありませんか。
「おお、いっつぁびゅーてほー」
「感動する前に逃げるって思考にはならんのか、このクソハゲ。女子の部屋に裸で侵入して、ましてや一夜を過ごすとは相当な変態やな。こりゃあ本格的にシバかなアカンか」
「いやいやいや! 待て! なんでオレがここに居るんだ!?」
「知るかボケ! 言い訳なんか聞かんで! 儂の特濃の毒をお見舞いしたるわ!!」
「いやぁああああああ! 待ってぇええええ! どうしてこうなるのぉおおおお!」
「にゃぁ~ん!!」
一行の朝は決まって騒がしい。リムは裸のまま追い回され、屋内には足音と悲鳴が響き渡る。
「相変わらず騒々しい奴だ。静かに起きられないのか」
「城内であんなに騒ぎ立てる奴なんか居なかったからな。お前の寝室の前なんか静かなものだったよ」
「当たり前だ。朝から耳がキンキンしやがる」
「いずれ慣れるだろう。アイツはオレとミルが見つけてきたその日から何かと裸でうろついていた記憶しかない。それに周りを気にせずに騒ぎ立てる、全く迷惑な奴だ」
「ん? どういう事だ。リムはホワイティアの住人では無いとは思っていたが、見つけてきた?」
「ああ、言っていなかったか。オレ達は出会ってからまだ半月程しか経っていない」
「……アイツは確か、転移者と言っていたな」
「ああ、先のロングラス大平原での戦いだ。お前も知っている筈だ、例の流星」
「そういえばそんな事を言っていたな」
「だが、何故この世界に転移してきたのかはアイツ自身も分かっていない」
「稀な存在なのに、お前は驚いていない様子だな」
「オレは過去に違う転移者に遭遇した事がある」
左頬の古傷を軽く撫でたドームを見て、ザハルは不思議そうに見つめている。
「その傷が関係あるのか」
「ああ、これは誰にも言ってこなかった。ミルには任務中の不注意で付いたものだと言ってあるが」
「何故隠す」
「アイツの為、だからだ」
「……聞かなかった事にする。お前の口から言う必要があるんだろ」
「すまない」
こちらの男同士は朝から辛気臭い。何故か気まずい雰囲気になる野郎三人だったが、ここでリムに救われる。勢い良く開かれた扉から、悲鳴を上げて飛び込んで来た。
「居た! た、助けてくれぇええ! 儂姫がオレを殺そうとするぅううう!」
「また何かやらかしたのか」
「し、知らねえよ! 朝、気が付いたら裸でアイツらの部屋に居たんだよ!」
「そうか、それじゃあ死んどけ」
「同感だ」
「なああああんでええええええええええ!!! ザハルぅう!! 頼む、助けてくれ! 報酬は弾むから!」
扉の先には、眼をギラつかせたマミの姿があった。
「……このまま助けたらオレまで同罪になる。悪いが、そんな変態じみた理由で死ぬのはゴメンだな」
「ひぐっ、えっぐ……だのむよぉおおお!」
「覚悟しいや、骨は海に撒いたるわ」
「いいいいやあああああああ!!」
光る爪がリム目掛けて振り下ろされた。
目的のファミリア諸島へと向かう為、一同は身支度を整えていた。ただ一人を除いて。
「貰った地図によると、ここからファミリア諸島まではそれほど遠くは無さそうだな。今から出発すれば夕刻には到着出来そうだ」
「ザハル、それは構わないんだが。コイツはどうするんだ」
歩き出そうとするザハルを止めたアルは、地面にへたり込むリムを足で小突いてみせた。
「こ、こら。リーダーを足蹴にするとは、いい度胸、だ」
「不名誉な罪状で死にかけている人間が言うと迫力もあったものじゃないな」
見事、マミの神経毒により瀕死の状態だったリム。しかしタータの豊穣の力により癒しを得たのだが、相当な量の毒を注入された様だ。上手く身体が動かないまま、ハンジョの家から這い出て来る。
「これに懲りたら二度とするんやないで。分かったかハゲボケ」
「で、でもまたタータの力で復活できるなら何度でも拝みだびゅあぁああぐはぁ! あば、やべで! 骨がおでるうぅ! うぎゃぁああ!」
背中を思いっきり踏みつけられ何度も蹴り込まれるリムは、出発前にも関わらず既に瀕死状態である。一同は重い溜息を付くのであった。
「よし、みんな準備はいいか!」
「ボッコボコな顔で言われても、気合入らねえよ」
「だぁあってええ! アイツ容赦ねえもんよぉお」
「悪いのはお前だ、バカ」
「ひんっ」
「ほな行こか! このボケカス殴ったらスッキリしたわ!」
「マミちんつよーい!」
「せやろ! こんなボンクラに着いて行かんで、儂と一緒におりや! いずれ犯されてまうで」
「タータはもうお胸見られたよー♪」
「……おいカス。女に手ぇ付けるん早いやないかい」
「ち、ちげえよ! あれは偶々起きたら裸で――」
「いつも裸かいな! こいつはもうアカン! タータちゃん、次は回復させたらアカンで! 息の根止めたる」
「いいいいやあああああああ!!! 理不尽だあああああ!」
リムはそそくさとファミリア諸島へ向けて走り出して行くのだった。
これより先に待ち受ける想像を絶する戦いに、当の本人は全くもって無警戒である。
ファミリア諸島。御伽話としてのみ伝えられている伝説の竜、ルシエ・ティアルマート。果たして彼の竜は存在するのだろうか……。
――紺紅の愁――編 開幕。
漸く始まりました、第四章!
早々に重症を負うリム、一行は無事目的の島へと辿り着く事ができるのだろうか。