第170話 混沌の前触れ
アカソ商業区ハンジョ・ドマジュ宅にて。
商人達の中では多少名の通った人間だが、所詮庶民の域は出ない。そんな彼の住まいは商業区の大通りに面している店と、奥に住居と言う一体型になっている。その為、商売の時間が終わっても飛び入りの客がいれば応対していた。勿論饅頭屋である為、時間外は火を消している。もてなし用の饅頭の予約や夜遅くに港へ到着した材料の取引に現れる行商人達とのやり取りが主である。
「いやー申し訳ない! 店が終わってもこんな状態ですわ」
「いやええで。こっちこそ急に押しかけてスマンかったな」
「何を仰います、マミ御嬢様。ですが、何か訳ありの様子ですな」
奥の客間で待機していた一同の元へやってきたハンジョは、まじまじと見つめる。訳が無い筈が無いだろう。ホワイティアの諜報員やブラキニアの王子とその側近。素性の知れない灰色の少年に放浪娘ときた。全く持って統一性の無い面々だ。
「お、饅頭買ってくれた嬢ちゃんじゃねえか!」
「タータもっとおじちゃんの饅頭食べたい♪」
「あーすまねえな。火はもう落としたんだ。ありがたい事に毎日饅頭は残らねえんだ」
「おお! やっぱ美味しいもんね♪」
「そうか! 美味しいか! 嬉しいねえ。嬢ちゃんが店先にあるミーツ族の置物に口づけしてくれてからか、前にも増して取引が増えてなあ! 一段と暇が無くなっちまった、ガハハハ!!」
「ハンジョ、一晩泊めてくれへんか?」
「……訳を聞かせてくれないかい」
マミは簡潔に屋敷で起こった事、明日ファミリア諸島へ出立する事を伝え、頭を下げた。
「頭を上げてくださいよ。私らはマミ御嬢様があってこそ商業に身が入っている様なもん。いつも世話になってんのはこっちでさぁ。困った時に力を貸さねえで何がアカソの商人か! ってな」
「スマンな」
「それにしても、イロウの旦那が行方不明ですか。奥様もお亡くなりになられた、と。これからアカソはどうなるんでしょう」
「それは分からん。やけど、マドカには悪くせん様にと釘を打っとる。儂が帰ってきた時に、商人達が蔑ろにされとったら容赦はせーへん」
「そうですか。私の店は元々マドカ様の管轄区なんで分かりますけど、そこまで酷いもんじゃないですよ」
「それは儂が居ったからやろ? 毎日商店街に出歩いとれば分かる。儂が行く度にみんなの和む姿があった。やけど儂が居らんなったらどうなる? ナコシキが墜ちた以上、アカソ一族が牛耳るんが目に見えるわ」
「心配せんで下さいや。私らだって伊達に長い事商人しとらんのです。いざとなったら商人みんなで反乱でも起こしますよ、ガハハハ!」
「アンタは強いなぁ」
「御嬢様のお陰ですや」
「そうか。儂はいずれここに戻ってくる。ナコシキの名を世界に知ら占めてアンタらを支えたるからな」
「いいえ、それはダメです」
「なんでや!」
「執事のダロンさんが言うてました。『御嬢様をそろそろ籠から出さねばならない。翼を持った鳥は飛ばなければならない』ってね。私にも御嬢様に負けじ劣らず元気な娘がおります。気持ちは分からないでもないんですよ。こんな所に留まってちゃイイ女が台無しってもんですよ」
「お! おっちゃんも分かるか! 儂姫はやっぱ外に出るべきだよな!」
話に割って入って来たリムはニッコニコである。
「なんやハゲ、どういう意味や」
「鎖で縛られた獰猛な獣は、いずれストレスで暴れ出す。そうなる前に解放しとかないといけないだろ?」
「誰が獣や! 角引っこ抜いたろかホンマ」
「おっと、そうはいかねえぜ御嬢様。オレを触るとみんな力が入らねえからな。お前も例外じゃないぜ」
「あ? 何言うてんの。さっきも角引っ張ったやろ。力? 普通やけどな」
「……あれ? ミルとアル、それにザハルはなんだか変だったんだけどな。タータとドーム、後は儂姫は何も無い……うーん、やっぱり共通性が無い。どういう事だ?」
「知らんわ。それよりハンジョ、長い事立ち話で疲れてしもたわ。そろそろ休ませてもらうで」
「勿論ですとも。ゆっくりして行ってくだせえ」
「にゃぁ~ん」
「あ、こなつ。アンタも一緒に寝るんやで」
「にゃぁ~ん」
「なんだその生き物? 猫みたいだな」
「ミーツ族の子どもみたいなんやけど、屋敷に迷い込んでてな。儂が介抱したら懐いたから飼う事にしたんや」
「ふーん。お前もミーツ族なのに、ミーツ族を飼うって可笑しい話だな」
「見た目は人間と変わらんのや。細かい事気にすんなや」
「へいへい」
一同は、ハンジョ宅で一夜を過ごす事となった。
一方場所は変わり、ブラキニア帝国南方に位置する中立国サウザンドリーフ。ブラキニア帝国と隣接していながらも中立を貫き、その他の国においても殆ど接点を持たず、国土は全て森林に覆われている謎多き国。
ここに一人の女性が訪れていた。
「あーもう! まだなのぉ? アタシが直々に来ていると言うのにこの待遇はちょーっとおかしいんじゃないの?」
「例外はありません。いくら八基感情の上位体であるエクス様とて、ここに踏み入れるには十日以上の滞在が必須です。貴女はまだ二日程しか居りません。このまま奥へ侵入すれば、必ず森から罰を受けます」
「もー! 分かったわよ!」
草葉に身を包んだ一メートル程の小人が、怖じずにエクスの応対をしている。森へと続く道の手前にある、木造の小屋で足止めされているエクスは酷く不機嫌そうである。
「ちーなーみーにー、なんだけど。その『千の葉紋』を身に付けないで入ったらどうなるのかしら?」
「はあ、この森に入る時に注意事項は聞かなかったのでしょうか」
「アタシがこの国に入る時は、ブラキニアで内乱が起きていたのよ。国境の門番達はアタシの相手なんてしている余裕が無かったみたいね」
「はあ、これだから門兵どもは」
「で、どうなのよ。アタシの力なら千の葉紋なんて無くても十分奥へ行けると思うのだけれども?」
「いえ、例外は無いのです。森は千の葉紋を持たぬ者には絶対的な力で侵入を拒みます。無理矢理進もうものなら、森の強い嫌悪によって罰を受けます」
「だーかーらー、その程度の感情ならアタシは問題無いって言っているのよ」
「そこまで仰るのなら止めはしませんが、責任は持ちませんよ。ただ忠告だけはしておきます。確実に死ぬでしょう」
「何言ってんのよ。アタシ達は精神体よ? 死ぬなんて有り得ないわ」
「もうお忘れに? 過去に《嫌悪のディスガスト》様が同様の事を仰り、森へ強硬して行った事を」
「……」
「私は忠告しました。その上で改めてお伝えします。十日以上滞在の後に、千の葉紋を付与する儀式を執り行います」
「フンッ。分かったわよ、待てば良いんでしょ待てば!」
不貞腐れたエクスは、粗末な木の椅子に腰かけると窓から森を見つめていた。
「アンタがどれほどの力を持っているか興味があるの。早く拝みたいものね。かの緑石を盗み、世界を混沌に陥れた張本人五代目緑王。いや忘れられた感情《強嫌悪のローティ》と言うべきかしら、ウフフフ」
エクスのこめかみには感情紋様が、不気味に浮かび上がっていた。
――宿望の桃――編 完。
ブラキニア帝国周辺に、中立国サウザンドリーフが追加されました。
《恍惚のエクス》の感情紋様が明らかになりました。