第169話 愛を宿望する桃
突如現れた統合者、ナジュ・ヴェルアにより急展開な終わりとなった今回の騒動は、結果的に商業大国アカソ三大富豪ナコシキ家の崩壊により幕は下りた。屋敷は跡形も無く、主であるイロウ・ナコシキは行方不明。その妻アマネは、屋敷倒壊時の傷が致命傷となり絶命。だが、色操士である娘のマミ・ナコシキは生きている。二度と得る事の無い愛を胸に、マミはナコシキの領地を離れる事に。
本当の愛を知らない彼女は、本当の愛を実感する事も無く混沌に堕ちる世界に身を投じる事となる。だがそれは彼女が望んでいるものでは無い、本当の目的は現世に帰る事。それが彼女を動かす唯一の原動力の筈だった。
再び岩の上で耽る二人。リムは、彼女にどう声を掛けようか悩んだ挙句だった。
「なあ、儂姫」
「ああん?」
「……生きてりゃ良い事もあるって! な!」
「じゃあ儂に愛でも教えてくれや。生きてりゃ帰れる事はもう儂の中で確定してんねや。それは儂にとっては良い事やなくて当たり前の事。本当に良い事はな、儂に愛を教えてくれる人が現れる事なんやないかって思っとる」
「そ、そりゃぁ……」
「なんや珍しいな。今までのアンタを見てきたら『じゃあオレが愛を教えて、ゴニョゴニョ』とか訳の分からん事言いそうなんやけどな」
「嘘は付けねえし、守れるかも分かんない約束は出来ねえよ。増してや、儂姫の琴線に触れかねない内容だぜ。安易な事は言いたくねえし人を弄ぶような真似はしたくねえよ」
マミの瞳には確かにリムの横顔が映っていた。だがそれは出会った当初の邪険に扱う目では無く、潤んだ優しい目だった。表情を悟られまいと、髪で顔を隠し反対へと背ける。
「ふん……そこは嘘でも虚勢を張っとけや……」
「ん? なんか言った?」
「なんも言っとらんわ! ハゲ! グズグズしとらんで、はよー島に行くで!」
「あだっ! あでででで! 引っ張るな! オレの角は敏感なんだぞー!!! それに今から夜も深くなるってんだ! 夜通し歩く訳にはいかねえじゃねえか!」
「んー、それもそうやな」
「ねね! ミル、お饅頭食べたいからあのおじちゃんのとこ行こうよ!」
話を聞いていたのか、ミルが二人の前にひょっこりと姿を現す。
「ああ、ドマジュんとこか。こんな遅い時間やけど、真っ先に思い付く相手はアイツしかおらんな。ほな、ドマジュの饅頭屋に行こか」
「やったー! マミちんサイコー☆」
「それはアイツに言いなや」
「ん? リムちん? なんか良い事したの?」
「ちょっと、な」
「ふーん。リムち――」
「馬鹿! アイツには言うなや! なんか分からんけど、恥かしいやんけ!」
「そうなの?」
「そ、そうや! やからここは黙っとき」
「あいあい☆」
一行は陽の沈み切ったアカソの街並みへと足を進めるのだった。
――――一方、暦刻の休息地では。
「視ていたにしては随分と優雅に構えているじゃないか」
「私は戦いには向かないものでね。貴方と違って、ココを使うんですよ。ヴェルアさん」
ロッキングチェアーに揺れるマンセルは、コンコンと人差し指で自身の頭をつついている。
「頭、か。確かにそうだろうね。で、約束通りこの子らを頼めるんだろうね」
「約束? その様な他人任せの言葉は、私は嫌いなんですよ」
「それは失礼した。ならばこう言い換えようか……命令、と」
ロッキングチェアーの動きが止まり、室内に不穏な空気が流れる。その雰囲気を気にする様子の無いオスワルトは、動かしていたレコードの片付けに勤しんでいる。
「相変わらず乱暴な御人だ。そんな事を言わなくても彼らは任されますよ。少々会話を楽しみたかっただけなんですけどね。貴方はどうも短気な様だ」
「当たり前だ……この子らを……こんな有様にして、無事で済むと思うなよあのクソボケ共がぁ!!!」
あれだけ大人しい雰囲気だったナジュが、ここに来て突如激変する。息を荒げ首元のネクタイを引き抜くと、右拳に巻き付けた。
「あの、クソボケ共が! 次は絶対許さんからな!!! 特にあの灰色! 澄ました顔しやがって! 角へし折って目ん玉に突き刺してやるぁああ!!!」
ナジュは部屋の奥に浮くモニター”世界視”目掛けて拳を振り回す。硝子の様にガシャンガシャンと音を立てて割れ落ちていく。リムの顔が映る最期の一枚を見ると、こめかみに血管を浮かべて渾身のストレートで破壊したのだった。
「ヴェルアさん、少し落ち着いてください。幾らでも出せるとは言え片付けも大変ですし、それにまた彼の機嫌が悪くなるじゃないですか」
「知らねえよ! 僕の、僕らの子を手に掛けた罪は償ってもらう……ッ!!! 命令だ! 明日までにこの子らを直せッ!!」
「はあ、分かりましたよ。今日の所はこれでお引き取り下さい。あまり壊されてはあの人が帰ってこれなくなりますので」
「その望みを叶えたいのなら、僕らに従う事だな……」
「ええ、心得ておりますとも」
にこやかにナジュを見送るマンセルだったが、その目は決して笑ってはいなかった。そこへ彼が部屋を出て数秒も経たずに入ってくる少年。
「あーあー、またやりましたね。今すれ違った人だよね、これをやったの」
割れ散らばった世界視を見ると、落胆した様子で拾い始めた。
「すまないね、シュー。彼は気が立つとどうも手が付けられなくてね」
「ボク、あの人嫌いなんだよね。青色だし。いくらでも出せるって言っても、色力を使う以上はそれなりに体力は消耗するんだからね? 次からは気を付けてよ」
「ああ、肝に銘じておくよ」
硝子片を拾い集めるこの少年。名はシュー・オクロン。黒く短髪に少々目付きの悪いつり上がった赤い瞳。黒のローブから覗かせる細身の腕は、身体全体の肉付きを想像するに華奢である。
幼さの残る声にはどこか気怠さが伺える。それが自身の能力で出したと言う世界視を割られた事でなのか、はたまた普段からなのか。
「あんまり酷いとあの人に言うからね」
「ああ、重ね重ね注意しよう」
「で、前から言ってた六号室にある世界視なんだけど、そろそろガタが来て限界だから取り替えても良い?」
「ああ、その件ですか。出来るだけ空白の時間を無くす必要がある。同じ対象への世界視を形成する時間はどの位だったかな」
「んー。対象の現在座標を記録するのに五分。今は動きがないからその位で行けるけど、移動してたらオスワルトの力も借りて、移動速度から予測座標を算出してデータに落とし込まないといけないから一〇分。あとは、この場所の動く速度を教えて貰わないと何とも言えないね。止まってれば計算が要らないからすぐ終わるんだけどなぁ」
「そうですか。ですが、ここを止める訳にはいきませんので」
「だよね。だから三〇分は見て欲しいかな。ここの速度が変則的だからこっちの計算が一番体力使うんだよね」
「三〇分ですか、少々長いですね。いくら現在活動していないとはいえ、それほどの時間を空けるのは得策では無い」
「でもこのまま使い続けるといつ壊れてもおかしくないよ? そうなると現地に行って座標の取得からやり直しになっちゃうし。記録のバックアップは出来ないんだからね。固定型なら対象の座標じゃなくて空間座標があるからすぐ終わるんだけど、アレばっかりは追従型じゃないとダメなんでしょ?」
「ええ、その通りです。仕方無い、オスワ――」
「やーだあああああ! アタシ絶対行かないからね! ただでさえ面倒くさい場所なのに、アイツまでいるんだよ!? アタシあの女嫌いなの知ってるよね!」
名前を呼ばれるよりも早く、オスワルトはマンセルの言葉を遮った。やれやれと言った表情である。
「《恍惚のエクス》ですか。彼女が何故あの場所にいるのか、目的を突き留めなくてはいけません。それに万が一アレに接触しようモノなら構えている時間も無いかも知れません」
「ヤーなの!! アタシは絶対行かない!」
何やら相当理由がある様だ。ヘソを曲げたオスワルトは刻の廻廊へと飛び出して行った。
「やれやれ、なんで君達はこうも我儘なんだ」
「それ、ボクに言う?」
「すまない、だが君とて似たようなものだよ」
「ふーん。ま、どうでもいいけど。世界視の取り替えの件は早めに宜しくね。あ、分かってると思うけど、事前の座標取得は固定型だけで追従型は直前じゃないと意味無いからね。いきなり交換してとか言われても対応は難しいからそこら辺宜しく」
「ええ、予定が立ち次第オスワルトに伝えさせます」
シューと呼ばれた少年も、オスワルトに続き部屋を出ていくのだった。
「本当に。これだから面白い……」
マンセルの口角が僅かに上がっていた。