第163話 自分の気持ち、他人の気持ち
「よォ、女。えらく不安そうじゃねえか」
「……何処をどう見たら不安そうに見えんのよッ!!」
爪撃を間一髪で避け続けるカズマは、余裕気にマミの表情を見ていた。
不安? 確かにそうだ。怒りで血走ったこの目、この表情の何処に不安という感情が見て取れようか。
「いいや、不安しか見えないね」
「五月蝿い口やなぁ!」
鬱陶しくも攻撃の合間に言葉を発してくるカズマの口元に苛立ちを覚えるマミ。だが、なかなか当たらない、掠りもしない。何故だ。
「何に不安なんだ? 攻撃が当たらない事か? ん? 死んだか? ああ!! 死んだか! 屋敷で誰か死んだのか! アハハハハ! 両親か? それともペットか何かか? アハ! アハハハハ! そりゃぁ心配だなァ。いつも可愛がってくれた親が死んで、傍に居てくれたペットが死んで、この先どうしようどう生きようどうしたら良いんだろう、って……そんな感じかァ?」
「うっさいねん……」
「ああ? 図星かァ? どっちだ? どっちが死んだんだァ? 母親か? 父親か? あ、両方かァ!? そりゃぁ大変だなァ! ご飯も作って貰えないとなると食べ物に困っちゃうよなァ!!」
マミの目尻がピクりと反応する。攻撃の止んだ一帯は、マミの爪跡が無数に残る凄惨な状態だった。木から石から地面まで。立ち止まるマミの目からは、先程の殺気は無いにしても穏やかでは無かった。
「飯なんか一度も作って貰った試しが無いわ……」
「ああん? 飯も碌に作って貰ってないってか? ハハハ!」
「笑うな……」
「あん? なんか言ったか?」
「笑うなって言うたんや! お前に儂の気持ちが分かるんか!」
「はん! そんな事どうでもいいね。オレは憎んでいるんだ。愛? 愛がなんだ。愛はなんだ! 愛? アイってなんなんだ!?」
「せやな。育てる……って事やないか」
「育て、る? 育てるだと!? ハハハ! 一番理解出来ない言葉だよ! オレは愛も無く、まともに育てられもしなかった。飯? そんなもん食べられた日が何日あった!? 綺麗な身体をしやがって。オレは身体を洗う事すらままならなかった。そんな劣悪な環境でここまで来たんだ。育った? 育ったなんてまともな生活を送っていれば、そんな言葉は出てこないんだよ。当たり前、当たり前の言葉は非常識下で初めて当たり前の、正常な言葉として扱われる。オレはそんな非常識な状態で育ったんだ。正常な言葉なんて窓ガラス一枚隔てた外の世界の流れだよ。挙句の果てには、殺されちまってよォ……どんな気持ちか分かるか?」
「そんなん知らんわ」
「そうだよ。そうなんだよ! 誰も自分の苦しみなんか知らないし知ろうともしない! 知った所でどうなる? 救いの手を差し伸べてくれるのか? 母さんを、母さんの気持ちをあの憎い男から取り戻してくれるのか? アイツさえ居なければオレはこんな目に遭う事は無かった」
「だから知らん言うてんねん」
カズマが苛立ち始めている。だが、マミは決して同情などしなかった。したくも無かった。
「あんたの劣悪やっていう環境なんか想像でしか分からん。やけどな、それを想像してこの先何が得られるんや? 可哀そうやな、辛かったな、そんな言葉でこの先生き残れるんか? 掛けた言葉と受けた言葉は決して同じやないんや。どんな言葉を欲しとるかなんて知り様も無い。自分の辛さを表に出して得られるのはなんや? その愛とかいうもんか? アホくさ」
「アホだと……? お前、このオレをアホだと? オレが何をした、オレが誰に迷惑を掛けた!! 何故オレがこんな仕打ちを受け、文字通り死ぬ思いでこの世界に来たのに、そんなオレをアホだと!?」
「アホやなかったらなんや、ボケか? そうやっていつまでもウダウダしてんのを見るのが一番嫌いやねん」
「お前は……人の心が無いようだ」
「ああ、そうかもな。儂、人やないし、ミーツ族やし」
「屁理屈を」
カズマは右掌を振り上げると、再び周囲に重力弾が形成されていく。手が振り下ろされたと同時に重力弾はマミ目掛けて一直線に風を切って飛んで行く。
右腕に、左脚に、左胸に次々に当たる重力弾。だがマミの身体は穴が空いた直後から瞬時に塞がっていく。
「アンタ、無駄なんが分かってやってんねやろ」
「……」
マミはゆっくりと足を進め、カズマとの距離を縮めていく。
「くっ、来るな……お前は嫌いだ」
「ああ、儂もや」
「来るな、来るな! お前はオレを分かっちゃくれない。理解しようともしてくれない! そんな奴は敵だ!」
「そらそうやろうな。でもな、儂かてアンタに親殺されてんねん。その気持ちは分かるんか? ああ!!!??」
マミの憤激が、辺り一面を振るい上がらせた。
「分かる訳無いんや。人が他人を理解するなんて無理なんや」
「く、来るな! お前はオレの敵だ!」
幾度となく飛ばされる重力弾は、殆どが命中するも全て無意味だった。マミの怒りと嘆きの入り交ざる瞳には、情けない姿のカズマが映し出されていた。
「オレはこんな簡単にやられる訳が無い! もっと、もっと絶望を。この世に絶望を振りまくんだ!」
「人はな……生きてるだけで大概の人は、絶望を抱えとるんや……」
軽く前傾姿勢を取った後にカズマへと一足飛びすると、優しく抱きしめた。
「でもな、アンタも辛いのは何となく分かったで」
「……!?」
なんて事はない。マミは同情したつもりも、分かったつもりも無かった。だが、その口から出た言葉にカズマの瞳からは薄らと涙が滲んだ。
抱き締めらたその身体には、両の手十本の指が背中に突き刺されていた。