第161話 ライカへと
倒壊したナコシキ邸へと駆け込んだマミは、瓦礫を掻き分けてダロン達を探していた。
「爺ッ! こなつッ! どこや!」
煙の立ち込める中、部屋と言う区切りも無い屋敷を歩き回る。硝子片や木片に身体が切られ様とも気にする様子は無い。外傷は忽ち超回復してしまうマミの身体は、切られては治り、切られては治りを繰り返す。
「にゃーん」
「こなつかッ!」
倒壊から難を逃れていたミーツ族の幼体こなつが、マミの足元へすり寄ってくる。抱き上げたその身体は煤だらけになっていたが、負傷している様子は無かった。
「無事やったか! 爺はどこや!」
「にゃーん」
「あ! 待ちーや!」
こなつは腕をすり抜けると、屋敷の外へと駆け出していく。後を追い、裏庭へとやってきた所でマミは驚愕する。そこには、腹部が真っ赤に染まったイロウの妻、アマネが横たわっていた。隣には、左腕が損失しているダロンが。
「爺ッ! 大丈夫か!」
「ッ!! 御嬢様」
「オカンは!」
「……」
横たわる身体の隣には、血に塗れた腕程の太さもある木片が捨て置かれていた。
「弁解の余地もありません。私が助かり、奥様が犠牲になられた。私は旦那様の御命令を遂行する事が出来ませんでした」
「おい、オカン! 腹に穴開いたくらいでなに死んでんねん! 儂のオカンなら直ぐ治るんちゃうんか! なあ! オカン!」
「御嬢様……」
既に事切れているアマネのドレスを掴み、力の限り揺さぶる。しかし、アマネからの返答は無かった。
「儂に、飯……作ってくれるんちゃうんか……おかあ、さん」
マミの目には涙が滲んでいる。口では邪険に扱ってはいたものの、やはり唯一の母としてそれなりの想いはあったのだ。
「爺、その腕は」
「はい、私と奥様は屋敷外へと出る為に隠し通路から逃走していました。ですが突然気配を感じたので、咄嗟に奥様を庇いました。その際に何かしらの攻撃により腕をもぎ取られた様です。その後すぐに屋敷が倒壊し始め、奥様はその際に腹部に木片を……」
「そうか、爺が生きとって良かった」
「良くなどありません。何故主たる者が死に、私が生きているのでしょうか」
ダロンの頬に平手が飛ぶ。
「……御嬢、さ、ま?」
「お返しや。死んだもんはしゃあないんや! 嘆いて生き返るんやったら幾らでもしたるわ! やのに……儂は、爺が死んどらんで良かった! 爺まで死んだら儂は……」
「申し訳ありません。ですが、旦那様の行方が分かりません」
「最後に見たのは何処や」
「最後は、マドカ様の使用人シオン殿が書斎に現れた時しょうか」
「シオンやてッ!? なんであいつがここにおんねん!!」
「分かり兼ねます」
マミは再びダロンの頬を平手で殴る。
「いつまでしらこい事言うてんねん! 儂は知ってんねんで! アンタ等みんなしてソルウスに逃げる算段付けとったんやろ!? 儂を置いて! なぁ! どういうつもりなん!? 儂はナコシキには要らん人間なんか!? なあ!」
「御嬢様」
「御嬢様なんて言うんはやめてくれや! 両親にも除け者にされて、仕舞いにはあんなけ好きやった爺にまで隠されて。誰も信用出来ひん!」
「違うのです。御嬢様、聞いて下さい」
「何が違うんや! 今までまともに親子として接してきた事なんか記憶にも無いのに、実は愛してましたなんて言うんやないやろうな! ああ!?」
マミは母アマネの死よりも、今までまともに接してこなかった事の積もり積もった怒りが爆発した。
「私の事はどうとでも仰って構いません。ですが、旦那様も奥様も本当に御嬢様を愛しておられました。後世の為に、マミ様の為にと日々奮闘されていました」
「そんなもんわか――」
「そうです! 分かる筈も無いのです!」
急にダロンが声を張り上げた。左腕からは脈打つたびに血が噴き出て来る。
「御嬢様に分かって貰えなくても良いのです! 嫌われたままでも良いのです! ですが、御二人は本当に御嬢様を愛しておられた! 一代で名を、富を築く事は容易では無い。ですが娘である御嬢様に、自分達が始めた事の苦労を強いて欲しくは無かったのです! 一人の人として自由に生きて欲しかったのです! それは傍で見てきた私が良く分かります。愛した者へ尽くす事は、決して見返りを求める事では無い。嫌われる事も厭わない。何より愛した者の幸せを願う事こそが、愛なのです。愛のカタチは一つではありません。街へ出れば仲睦まじく手を繋ぐ親子の姿も見て来た事でしょう。ですが、それは御嬢様が望んでいた事なのでしょうか?」
「儂は……」
「御嬢様は外を、世界を見たがっていた筈。早くから察した御二人は、それを抑え込もうとしました。危険しかないこの世界に、御嬢様を御出しになられる事は出来ない。それは名を上げてしまったからと言う事も往々にしてあるでしょう」
「うん……」
「ですが、愛しておられたからこそ私めの提言を受け入れて下さりました」
「どういう事や」
そう、この一連の計画はダロンが企てた物。ダロンもマミを孫の様に愛していた。愛した者が苦痛な生活を送っていく事は、ダロン自身も苦痛だったのだ。
ダロンがマミを鍛えていた理由、それはいずれ世界に出るであろう日を想定し、危険に立ち向かう事が出来る様にという計らいだった。あの日、幼いマミを譲り受けた時の言葉を胸に。
『血は継げませんが、必ず貴方の意思を継ぐでしょう。これは一つの真実です。それは自ずと訪れる世の理なのです。いずれ時が来れば分かるでしょう』
左腕の激痛に顔を歪めながらも、ダロンは話を続けた。
「御嬢様、潮時で御座います。リム殿が御嬢様を世界へと連れて行ってくれましょう。今以上の機会は御座いません。私たちはこの日の為に、この時の為に貴女を、真なる実として愛して来たのです! 貴女が望むなら私めは背中を押しましょう! 奥様も、旦那様も望んでいた事なのです! 行かれなさい! 死という一つの出来事に過ぎないものに足を止めてはなりません!」
「でも……」
「私めも必ず追います! 旦那様を見つけて必ずッ! アカソの、ナコシキ家の崩壊を止めて下さいませ! 世界へと出るのです!」
「……クソッ!! 絶対やで! 絶対見つけて来るんやで! 儂はソルウスに行くからなッ!」
「勿論で、御座います」
こなつと共に二人の元を離れていくマミの背中には覚悟が見えた。
「大きく、なられました。これで、私の……役目も、果たせたで、しょう……か。桃星ピーチャロン、よ……」
微笑んだ口から溢れ出た血を拭う事無く、アマネに覆い被さる様に倒れ込むのだった。