第154話 力有る者の名
「あーらら、やられちゃったね!」
「フンッ! ちょっと油断しただけだ!」
「その油断が命取りだーってビーダ様に言われるのが目に見えてるんだけど?」
「う、うるせえよ! じゃあお前は勝てんのかよ、ミャラン」
「アタシは女だもーん。訓練も終えてないのにあんな強そうな人に挑む訳ないじゃん」
ミャラン・ナン・カッツェ、ギウの幼馴染であり良き理解者だ。いつもギウをからかっては面白そうに後を着いて回る、若干年下のミーツ族の女性である。頭と尻尾は三毛模様。ギウからすれば妹分でもあるが。
投げ飛ばされ国壁に強く打ち付けたギウの後頭部で腫れ上がった瘤をペチリと叩くと、目の前にしゃがみ込みジッと見つめる。
「な、なんだよ」
「んーん、ギウってさー弱いのになんでそんな強がりなのかなーって」
「よ、弱いだと!? いくら幼馴染でもガー一族にそんな言葉を言って――」
「あーあーめんどくさーい。それだよそれ! アタシ思うんだよねー。生きるか死ぬかの闘いなのにさ、ソルウスのガー一族ですーって言って引いてくれる相手なんかいるの? 名前を使ってまで闘ってさー、負けたらどうすんの? その名前、まだ使えるの?」
「う……」
「痛いねー! この言葉はギウに一番効くねー! だってそれこそ虎の威を借るなんとかって奴じゃん。名前ってさ、ただ使って良いもんじゃないと思うんだよねー」
「だって、事実オレはガーの人間だぞ」
不機嫌そうにそっぽを向くギウに、再び顔を覗き込んだミャランは思いっきり両頬を引っ張った。
「いで、いでででで!」
「名に恥じない生き方をしてね? じゃないとアタシ、他のとこのお嫁さんに行っちゃうゾ?」
「な、なんだよいきなり。べ、別にお前に嫁に来てもらおうなんて思っちゃいねえよ」
「あっそ。じゃあそこらへんの何処の馬の骨とも分かんない男に泣かせられても良いって事ねー。あーあ、毎日こき使われてベッドの上ではただただ欲求の捌け口にされるんだわアタシ」
「……」
スッと立ち上がったミャランは、真っ直ぐ伸びた尻尾で優しくギウの頬を撫でる。
「アタシ、ギウの為ならいつだってキンクテイルになるよ? だから、アタシの為に強くなってね? 未来の王子サマ」
「っるせえよ。言われなくたってなってやらぁ。お前だって偉大過ぎて嫁に来るのを躊躇うんじゃねえぞ」
「はいはい、口だけはどうとでも言えますー。なってから言いなさい、半人前さん♪」
「フンッ!」
差し出された手をしっかりと掴み、立ち上がったギウ。二人はそのままガーの巨樹へと向かっていった。後ろでしっかりと尾を絡ませて。
――――ソルウス東の門、物見櫓付近にて。
陽が沈み、辺りが徐々に暗闇に包まれつつある街道へと足を進めていたダロン。物見櫓で警備をしている兵と互いに会釈を交わし、これからまた数時間かけて東にあるアカソへと戻るのだ。だが、それも苦にはならない。吉報を届ける為であればその程度の苦労など厭わない。いや、苦労だとすら思うまい。
夜になれば氷点下にもなる季節。吐く息は白く、足先の感覚は鈍くなる一方だ。そんな折、後方ソルウスより慌てた様子で駆け寄ってくる姿に気付く。
「ダロン殿! 待つのだ!」
「どうなされたのですか、ビーダ殿。まだ何か御用が?」
「いや。これは未だ誰にも話してはいないのだが、いずれ国中に知らせなくてはならない事だ」
「……」
「父が山へ発たれた」
「シュルツ殿が……そうですか。やはり死期を悟られていたのですね」
「ああ。ミーツ族の寿命は二〇年程だ。死期が迫ると人知れず朽ちる為に、山へと発つ習性がある」
「私達純粋な人間からすると考えが及ばないものですね。人は看取ってもらう事で心置きなく逝く事が出来きます。その様な事も無いとは、本当にミーツ族の精神には驚かされます」
「死は残らぬ様にしているのだ。そうする事で悲しみよりも、前を向く力が大きくなる。荼毘に伏す時間など必要無いのだ。墓石など勿論無い。あるのは人々に刻まれた生き様だけよ」
ビーダは右拳を強く握り、自身の左胸をトントンと叩いて見せる。
「本当にお強い方々です」
「よってこれよりソルウスは、私が長となり率いてゆく事になる。遅かれ分かる事だが伝えておこうと思ってな」
「お気遣い感謝致します。シュルツ殿の御厚意、決して無下には致しません」
「ああ、その場にいた私も同様だ。協定通り、助けが必要であればいつでも言うが良い。次代の子にそう伝えてくれ。ソルウスのビーダ・ガー・カーターは必ず力になる、と」
「ありがとうございます。それでは私はここで」
「ダロン殿」
ビーダは背を向けて歩き出したダロン目掛けて思いっきり殴り掛かる。しかし、その拳は空を切り、何事も無かったかの様に歩き続ける姿を見つめ、ビーダは一人笑みを浮かべていた。
「我々が本当に怖いのはピーチャロン家よ……」