第151話 ガー一族
「で、オレ達の国が攻められるってどういう事だ」
「それを貴国、ソルウスの長であるシュルツ殿に御説明と御協力を求めたいという旨で御座います」
「だからオレが代わりに聞いてやるって言ってんだよ!」
ダロンの静かで鋭い眼光がギウを睨み付けた。
「な、なんだよ。やんのか! 中敷きかナコシキか知んねえけど、ガー一族を相手に勝てると思ってんのかよ!」
「貴方は分かっていない様ですね。国を動かすに足るかを私如きの戦闘能力で推し量ろうと?」
「睨んできたのはそっちだろうがよ!」
「失礼ながら一つ、御忠告を差し上げましょう。最初から敵意剥き出しの視線を送って頂いていたのは承知しておりますが、私と一戦交えたければソルウス軍一個小隊を御揃えになった方がよろしいかと」
「一個小隊!? ハハハ! 爺さん焼きが回ったか? たかが人間がミーツ族の小隊を相手にするだって? しかも森林に囲まれたこの地形でか? アハ、アハハハハ! 腹が痛えよ!」
「ギウ! 下がれッ!!」
「ッ!?」
門の中からミーツ族の男が一人、ゆっくりと歩いて来る。地面をしっかりと掴んで歩くその貫禄。決して肩で風を切っている訳では無いが、あまりにも堂々とした風貌からは抑えようの無い威厳が見て取れた。
ビーダ・ガー・カーター。日に焼けた褐色の肌と隆々とした筋肉は、見る者を寄せ付けない強者の証。ピンと伸びた頭部の耳と先の折れ曲がった尻尾。キンクテイルと呼ばれる尻尾は、ガー一族特有の遺伝によるもの。だがビーダは婿養子である。ガーの一族となる為に、自ら尾を曲げたのだ。ギウはガーの血を受け継いでいる為、遺伝的なキンクテイルである。
「ゲッ! マジかよ。なんで親父がここに居んだよ」
「馬鹿者! 訓練中の筈が姿も見せずにどこで油を売っているかと思えば。異様な雰囲気を察知して出向いたは良いが、私より先に客人に喧嘩を売るとはどういう了見だ」
「い、いやだってよ親父」
「だってもクソもあるか! お前は一国をも揺るがしかねない男を相手にしておるとまだ分からぬか!」
「ビーダ殿、お久しぶりで御座います」
「ど、どういう事だよ……」
「かの御仁は私と渡り歩いたこともある程の人間だ。お前など蟻も同然よ」
「ま、マジかよ……」
「ダロン殿。馬鹿息子が失礼を働いた様だ」
「滅相も御座いません。しかし、ビーダ殿。渡り歩いたとは少々大袈裟かと思いますが」
「ガハハ! 何を言うか! 私の追撃の殿を務めて尚無事で居る人間など何処にもおらんぞ」
イロウとアマネが西から落ち延びようとする際にソルウスの領地を横切った事があった。
縄張り意識の強いミーツ族はすぐさま侵入者の排除に向かう。だがそれを凌いだのがダロンだった。殿を買って出たダロンは、狙われたら最期とまで謳われているソルウス軍の精鋭部隊、ガーソルダットに猛追されていた。
ガーソルダット、ミーツ族特有の高い運動能力を最大の武器とした高機動殲滅部隊だった。全員がキンクテイルとなり、ガー一族を名乗る事を許された者達。その名はライカ全土に及び、個々の能力もさることながら洗練された連携は、他の追従を決して許さなかった。だが彼らはあくまで自国防衛のみに徹し、他国を侵略する事はなかった。
では何故そこまで恐れられているのか。侵略されないのであれば放っておけば良いのでは無いのか。そうもいかないのがこのライカである。
強力な軍事力を誇る獣軍国家ソルウスの強さの謎は、未だ行方の分からない虹の聖石がその地にあると噂された事が発端だった。世界が力を欲する為に虹の聖石を求めていた。その中で一際目立っていたソルウスが、他国に攻め入る事無く防備を固めている。安易に考えるならば虹の聖石がソルウスに存在しており、力を与えているのでは無いのか、と。
欲に塗れた凡愚が見境無しにソルウスを攻める様になった。だが、悉く返り討ちにしたのがガーソルダットを中心としたソルウス軍だった。無用な争いに激昂した当時の長は、一度限りの侵攻を精鋭であるガーソルダットに命じた。その数一個小隊に相当する約三十数名。
一度限りの激昂進軍は、ライカ本州の西側全域をたった数日で制圧したのだ。数十国とある西側諸国は、日に日に墜ちていく国々を前に阿鼻叫喚する。寝ている間に二つ三つ隣にあった国が一夜にして陥落するその速さは尋常では無かった。幾ら精鋭部隊といえどたかが数十人規模の小隊が、一日にして国を滅ぼして回るのだ。
更にライカに名を轟かせた出来事が続く。西側全域を数日で制圧した後、彼らは留まる事無く自国へと帰還し国壁を固く閉ざしたのだ。戦勝国として地を治める事も無く、ただ見せしめの様に蹂躙した後に放棄したのだ。侵攻など興味が無い様に思わせたその行動は、全世界を震撼させた。下手に手を出して逆鱗に触れようモノならば、ただ轢き殺されるが如く捨て置かれるのだ。
恐怖した敗戦国は、属国に成り下ってでも構わない。そんな思いで謝罪を申し出るが、悉く使者を追い払う。しつこい場合には、首だけが帰って来た。
恐怖だけが残り、自然とソルウスとの関わりは薄れていったライカでは、触れる事自体が災厄に繋がると話が広がるのだった。
数百年以上も前、『ガーの逆鱗』と呼ばれるソルウスの一度きりの大侵攻だった。
現在でもガーソルダットの名は健在だが、勿論攻め入ろうなどと考える国は存在せず、暗黙の了解の元にソルウスとの関係が成り立っていた。
そんな逸話がある精鋭部隊の猛追を一人振り切ったのがダロンだった。ミーツ族と人間では明らかに身体能力に差が有る。しかも当時は豪雨の山間。ぬかるんだ足元に体勢を崩しながらも必死に殿を務めたダロンの姿が容易に想像できる。一向に崩れる事の無いその守りに感服した、ガーソルダットの隊長でもあるビーダは追撃を停止。一騎打ちにて終いとする旨をダロンに提言したが、決着は付かず。ビーダはダロン達が自国に侵攻しようとしているのではないと分かると、潔く兵を引きダロン達を逃がしたのだった。
「その節は御迷惑をお掛けして――」
「良いのだ良いのだ。私達こそ危うく好敵手を数で蹂躙してしまう所だった。それより父に何か用があるみたいだが?」
「流石ミーツ族、耳が良いですね」
「お、オレは蚊帳の外かよ」
「当たり前だ! まだ兵役も終えとらん半人前が出しゃばるな!! とっとと戻れ!」
「チッ! おい爺! 今度会ったら勝負しろッ!」
「まだ言うか! 私にも歯が立たん小便小僧が!」
「チッ……」
ギウは耳と尻尾をシュンと垂らし、トボトボと門内へと歩いていくのだった。
「元気が良いのだ、妻に似て好奇心旺盛でな」
「子が出来るとはどの様な感情をお持ちになるのでしょうか」
「どうしたダロン殿。柄にも無く感傷に浸りおって」
「それも含めてお話が」
「……」
やけに神妙な面持ちのダロンを察したビーダは、挨拶も早々に長の住まう大木へと誘った。
――――獣軍国家ソルウス中枢、ガーの巨樹。
ソルウスの中でも一際大きな大樹を刳り抜き、外皮に階段を打ち込み、一本の木に幾つもの部屋を拵えてあるガー一族の居住区。
空を仰ぎ見る事の出来る場所では、どこに居てもこの巨樹が目に入る大きさ。ソルウスのシンボルでもあり、国民は日の出と共にガーの巨樹に向かって祈りを捧げるのだ。
今日も一日平和でありますように、と。
ガーの巨樹の外皮に作られた階段を周り登ること数百メートル。大広間の様に抉られたその空間に長、シュルツは居た。
「なるほど。ナコシキ殿の心配事も分からんでも無い。東側諸国も含め、アカソ一族の思惑も大方理解できる。だがビーダとも張り合う者が居て尚、我らに助力を乞う意図が分からぬ」
「跡取り、で御座います」
大広間の奥に大きな座布団を敷き、胡坐をかきながらナコシキの書簡を読むシュルツ。その前で跪くダロンと、傍らで沈黙を続けるビーダの姿。
「何故それがお主の口から出るのじゃ。当人達の問題であれば尚の事、この書に書き綴れば良かろうに」
「私の主であるイロウ・ナコシキは私を信用して下さっています。この交渉も必ず成功する、と。それを私めに任せたのです」
「ハハハ! まだ交渉の段階にも無い状態でよくも成功するなどと言えたものじゃな。儂も既に二十年は生きておるがこんな馬鹿げた話は初めてじゃ」
「シュルツ殿は御息女が御生まれになった時、どのような感情が湧きましたか」
「クアンの事か? それはもう嬉しいに決まっておろうが」
「それは跡取りが生まれたからでは?」
シュルツの顔が急に険しくなる。
「お主、腕は立つようじゃがあまり感情を逆撫ですると後悔するぞ」
「旦那様はまだ子を持った事がありません。ですので自分の子が産まれるという事よりも、ナコシキの跡取りという考えが大きい様です。ですが、私めは知っています。アマネ様が生まれた時、何とも愛らしい感情が湧いてきたのであります。私のお仕えする御方が斯様に可愛いのかと。その御方が命を賭して成そうとしている事が一つ潰えました。子を授かれないお気持ちが理解出来ましょうか? 周りに悟られまいと気丈に振る舞ったアマネ様の絶望を理解出来ましょうか!? 私はアマネ様が産まれたあの時の気持ちを忘れた事が御座いません」
「……」
「申し訳御座いません、少々感情的になってしまいました。私の役目はナコシキ家の繁栄を支える事です。その為ならば、如何に危険な地であろうとも、死すら厭いません」
ダロンの静かで真っ直ぐな愛情と忠誠心を前に、シュルツは深く考え込む。
「ダロン殿、すまないが暫し時間をくれぬだろうか。私が父と話をしよう。部屋を用意してある。そこで暫し休息を取ると良い」
「お心遣い感謝致します、ビーダ殿」
ダロンは素直に席を外し、大広間を後にするのだった。