第150話 獣軍国家ソルウス
陽も暮れ、人々が夢を見始める頃アカソから一人発つダロン。向かうは西にある獣軍国家ソルウス。主に託された書簡を懐にしまい、冷え切った街道をひた歩く。幾ら夜中と言えど馬車を使えば保安隊に勘付かれる。これはナコシキ家の未来が掛かった重要な外交だった。アカソ一族に悟られぬ様、外套を纏い静かに街を背にしていた。
(ソルウス、ですか。噂通りであれば門前払いされそうですが、主の為に何としてもソルウスの長に会わなければなりません)
歩く事数時間、未だ距離は半分と言った所。冷え切った身体に鞭を打ちながら、白い息を吐き続ける。
街道の三叉路に差し掛かった時だった。真っ直ぐ西へ進めばソルウスへ行けるのだが、左に曲がると未知の土地であるファミリア諸島へと続く道。その角に不気味な人影を見つけたのだった。
大きな外套に身を包み、外見は全く分からない。だが、覗かせる首元と手足の先からは女性と思わしき華奢な身体付き。腕に抱える小さな布の塊。
ダロンは非常に不可解だった。こんな寒空の下、女性が何をする訳でも無く一人佇む。声を掛けるにしても不気味過ぎたのだ。今はその様な時間は無い。見て見ぬ振りをして、西へ進もうとした時だった。
「お待ちしております……」
「……」
女性は確かにそう言った。抱えられた布が微かに動く。
(もしや赤子が……このままこの気温に晒され続ければ母子共に命の危険すらあるでしょう。ですが今は手を差し伸べる時間など無いのです。これが成されればいずれ貴女方の様な人も救える様になるかも知れません、ご容赦を)
ダロンは良心の呵責を覚えてしまう。致し方無し、これはダロン一人の判断で動いている訳では無いのだ。だが女性は何も言わず、ただ立ち尽くすのみだった。
更に数時間程歩くと、漸くソルウス領地との境にある物見櫓が見えてきた。未だ陽は差し込まず薄暗さは残るが、時間にして早朝。街道の両脇にある櫓に灯された松明は、見るだけで温かさを覚える程だった。
「貴様、ニャに者だーニャ」
櫓から出てきたのは、獣軍国家ソルウスの主種族であるミーツ族の監視兵だった。
名前の如く獣人である彼らの容姿は殆どが人間と同じなのだが、頭部に生えた耳や臀部から垂れ下がる尻尾は大凡猫を思わせる。彼らは人間と猫のハーフであり、個体によっては身体の特徴に違いが見られる。
一般的には人間の姿に耳と尻尾が付いているという認識だが、ミーツ族の血が濃い者であれば、全身に体毛を生やし二足歩行をした猫、と遺伝による違いがある。
だが、総じて彼らの運動能力は人間のそれを凌駕しており、獣軍国家というだけあって戦闘には長けた種族である。
「私は東にあるアカソからやって参りました」
「当たり前だニャ。ニャー達は東から来る人間を見張っとるがニャ」
「これは失礼を。ナコシキ家当主、イロウ・ナコシキの使いとして貴国の長との面会をしたく存じます」
「おい、お前。そんな話聞いとるかニャ?」
「んニャ。儂は聞いとらんニャ」
「だそうだニャ。帰ってくれ爺さん。怪しい奴を国に入れる訳ニャいかんのでニャ」
二人のミーツ族は、手にした簡素な槍で道を塞ぐように交差させる。
「そうですか、それは残念で御座います。アカソの未来が掛かっているのですが。ここで御目通り出来ない様でしたら、貴国にもどの様な被害が出るか検討も付きません。致し方あ――」
「待て待て、どういう事ニャ。説明しろニャ」
「いえ、強力な軍事力をお持ちの貴国には些末な問題でしょう。私めは長に会う事も許されず、門前払いされたと主に頭を下げる他ありません」
「だから待てと言うとるニャ」
「どうするニャ。なんか重要そうな話ニャ。儂らで判断して良いんかニャ?」
「そ、そうニャね。し、仕方ニャいニャ。爺さん、着いて来るニャ」
一人の監視兵がソルウス方面へと歩き出す。
「何しとるニャ。とりあえず儂らじゃ判断出来んから一旦上に話してみるんニャ、はよー着いて来いニャ」
「お手数をお掛けします」
数十分程歩くと見えてきたのは巨木を用いた巨壁。その高さ、優に一〇〇メートルを超える。一本一本が大樹であり、それを隙間なく並べられた国壁は正に要塞。石造りの城となんら相違無い強固さを思わせる。
ここソルウスは、大森林を活用した自然豊かな土地だった。山々に生い茂った木々はそれぞれが樹齢数百年はくだらない。だが、幾ら切り出したとて一向に減る気配など無い幾万本の大樹が山を、国を支えている。
幹を刳り抜き住まいとしている者、大木の枝を支柱にして家屋を建造している者、全てが大森林を利用した正しく自然に身を置いた生活。
国の至る所にある駐屯地が軍事国家と言われる由縁である。
人口はライカの世界でも上位に入り、軍事力は類を見ない程である。それはソルウスの民全てに兵役があるからである。国民が皆、戦闘に従事できるよう訓練を行い、身体能力が衰えた者以外は戦争に参加できる程である。
しかし、力に驕り余所を攻める事はせず、自国の防衛に注視している。味方となれば非常に強力だが、双方余程の有益な事由でなければ手を貸す事は無いだろう。
産まれて一歳が立つと自衛軍に入隊し、半年の期間みっちりと訓練する。一年程軍に従事した後、民間人として生きるか継続して軍に残るかを選択するのだ。
大概は除隊するが、一部の志を持つ者や身寄りの無い者はそのまま残る事もある。
ダロンが国壁である門の前まで来ると、一人の門兵が姿を現す。
「止まれ! 貴様ニャに者ニャ!」
「まま待つニャ!」
「お前は。今日は櫓の担当じゃニャーのか? 交代ニャまだ早いニャ?」
「違うニャ。この爺さんがシュルツ様に会いたいそうニャ」
「シュルツ様に? そんニャ話は聞いてニャいニャ」
「やはり御目通りは叶わない様ですね。それでは引き返しますとしましょう」
ダロンが踵を返すと、一人のミーツ族の雄が森林にある大木の枝から声を掛けてきた。
「爺に何の様だ」
「失礼、シュルツ・ガー・カーター殿には御子息はおられない筈ですが」
「ああ? オレぁ孫だよ。ギウだ。ギウ・ガー・カーター」
「これは大変失礼致しました。ミーツ族は未成人と成人の方の区別が付きにくいものでして。何卒ご容赦下さい」
「ギウ様ニャ。今は訓練の御時間ではニャーのですか?」
「そんなもん、サボりに決まってんだろ。かったるくて仕方ねえよ」
「アハハ。ギウ様は相変わらず御転婆ですニャ」
「親父には黙っとけよ」
「それは勿論。ビーダ様に告げ口をすると我々がギウ様にコテンパンにされてしまうニャ。アハハ」
「で、爺に何の様だ」
「ガウ、様でよろしいですかな」
「ああ」
「私は東にあるアカソより参りました。ナコシキ家の当主、イロウ・ナコシキの使いの者です。急な訪問である事は承知であり、失礼極まりないのですが火急の用で御座いまして」
「火急かどうかはこっちが判断すんだよ。おめぇらの主観的な話なんざどうでもいい」
「貴国が攻められる可能性が有る、と申せば聞く耳を持って頂けますかな?」
「……話を聞こうじゃないか」
ギウの刺す様な眼差しがダロンを捉えていた。