第131話 千年の御伽噺
「おこおで、あんでおあえあけゆうしがであんが」
リムの顔は、マミの強烈な連撃によって腫れ上がっている。まともに喋れてはいない。自業自得だろう。女性に対していきなり身体を触っても良いかなどと普通は聞かない。
呆れたザハルは、ため息交じりでリムの言葉を代弁する。
「まあ、訳す事は簡単だな。オレ達も疑問に思っていたところだ。何故、お前だけがマドカとやらとの面会が許された?」
「ああ? マドカは人嫌いやねん。昔から仲がええのは儂だけや。それ以外に理由がいるか?」
「いや、大丈夫だ。色々な立場の奴らが集まっているこの集団は、知る人ならば警戒して当たり前だからな。で、何か情報は得られたのか?」
「ここの地下に監禁しとるらしいで、その帰還者とやらが」
「何故、ナコシキ家から派遣された人間がここに?」
「ファミリア諸島はアカソ自体の問題でもあるからな。最低限の協力は三方向からしとる。表上は儂らナコシキ家が派遣しとる事になっとるけど、その集まった人間は大半がアカソ家の息が掛かっとる」
「府に落ちねえな。仮にも三大富豪ならナコシキ家だって金で雇う力は有るだろうが」
「あーいちいちめんどいな。儂んとこはまだアカソに出て来たばかりの新参。顔が利くキヨウのジジイが、裏で人を動かしてんねん。そんくらい分からんか」
「……」
「とりあえず話聞くんやろ? 地下室はこっちらしいで」
シオンの案内の元、マミを先頭に一行は地下室へと向かうのだった。
連れ歩くザハルは今までの事の流れを考えていた。
何かが引っ掛かる。
難無くアカソへと到着するも、直ぐに何者かから襲撃。流れではあるも、マミに着いて行った事によるリムの拘束。リムと引き離す為? にしてはあっさりとした合流。
強引とも思えた自由への取引にも驚く様子も無く、準備していたかの様にファミリアへの派遣を引き合いに出してきた。
一番分からないのがマミの同行だ。命の危険さえもある場所に、娘を同行させる意図が分からない。いくらアカソ中に顔が利くと言ってもただそれだけだ。本人が行く以上、武名が有る訳でも無いのに、ただの人が一人増えた所で何が出来よう。ナコシキは裏で何かを企んでいる。
それに、ファミリア諸島の名前が出た頃からタータの様子がおかしい。あれから率先した行動が見られない上に口数も減っている。何かが臭う。
ザハルの考察はあれやこれやと行き来を繰り返しながら答えに辿り着けずにいた。
一行は光の届かない地下室へと足を運ぶ。シオンは松明を片手に先頭を歩いていたが、ふと火が消える。
顔の腫れが若干引いたリムは不思議そうに問い掛けた。
「おーい、真っ暗だぞー」
「承知しております。ですが、この先は火の光は彼を刺激してしまいます。ですので、この暗闇に目を慣らして下さい」
「……」
先頭をひた歩くシオンに無言で着いて行く一行は、とある一室の前で止められた。
「ここです。入る前に忠告しておきます。絶対に彼を刺激しないで下さい」
「うん? おお……」
意味深な言葉を発した後に、木製の扉がゆっくりと開く。そこに居たのは両手足を鉄鎖で繋がれ、衣服もボロボロになった男性だった。
「ど、どういう事だ……」
「御覧の通りです。彼はファミリア諸島から帰還してから暫くして、我を忘れたかの様に暴れ回りました。近隣の住民に被害が及ぶ前に抑え込み、ここに投獄しました。明らかに正気を失っている様に思えますので、期待した答えが返ってくるとは思いませんが」
異様な光景に息を飲むリム。しかし、ここまで来たのだ。少しでも情報を得たい。
「よ、よう。元気、じゃねえよな。大丈夫……か?」
「……」
勿論、反応は無い。刺激を与えるなとの忠告もある。下手に身体に触れる事は良く無さそうだ。
「オレ達はナコシキ家から派遣された者なんだけどさ、ファミリア諸島から生還した君から話を聞きたくて」
「……」
虚ろな目は微動だにしない。下を向き、口からは涎が垂れ、人の尊厳すらも保っているのか疑問である。
「おい、タータ。水、飲ませてやれよ」
「あい♪」
タータが繋がれた男の前で両掌を器の様に形取り、中から水を湧き出させる。と、その時だった。その光景を見た男が急に発狂しだした。
「み、水!? 水ぅぅあああああ! ドラゴンが!! あああああ!! 水ぅううう!!」
「ど、どうした!? タータ灯りを! 火を灯せ!」
「いけません!! 火はダメですッ!!」
シオンの制止も遅く、タータの掌に灯された火を見ると、男は更に暴れ出した。
「うがああああああ! 火ぃいいいいい!! ドラゴンがぁあああ!!」
「影縫ッ!」
ザハルはすぐさま影で拘束した。震えながら必死で抵抗する男は、タータに噛み付こうと歯を剥き出しにする。ジャラジャラと鉄鎖の擦れる音が地下室に響き渡った。
シオンは入口で静かに説明を始めた。
「ここに来てからはずっとこの調子なのです。食事も喉を通さず、せめて水分だけでもと水を差し出せば目の色を変えて暴れ出す。火を見れば同様に暴れ出す。私共には現状打つ手が無いのです」
「まるで恐怖を威嚇で遠ざけようとする野生動物だな。ザハル、これは使い物にならんだろう」
「いや、待て……」
影で拘束したままの男の前に歩み寄ったザハルは、男の顔を覗き込む。その眼はやはり恐怖に怯えている様に見えた。
「お前……楽になりたいのか」
「フーフーフー」
息を荒げる男はザハルの問いに答える事も無く、興奮冷めやらぬ状態のままザハルに噛み付こうとした。だが、ザハルは向かって来る男の口を片手で鷲掴みにするとそのまま地面へと押し倒す。
「良いだろう。楽にしてやる」
「おいザハル! 何言ってんだ! 殺してどうするんだよ!」
「黙って見てろッッ!!」
ゆっくりと立ち上がるザハルは両手を広げ、静かに色力を影に変換する。
「傀儡の影」
「あーやりやがった。お前、それじゃあ何も話さなくなるじゃねえかよ」
「この場でまともに対処できるのがオレだけだと判断したんだ。黙ってろ」
ザハルの影に支配された男は脱力し、地面に倒れ込む。その様子を確認したザハルは、すぐさま影の支配を解き放つ。
「う……」
「どういう事?」
「簡単だ。我を忘れた人間を傷付けずに落ち着かせる。お前等には出来ないだろうが」
良く考えればその通りである。ミルは霧、何も対処は出来まい。ドームの煙もそうだ、窒息させて気を失わせてしまっては本末転倒。タータの毒、アルの溶岩は言わずもがなである。
であれば、外的損傷を与えずに収める事のできる人間はザハルしか居なかった。勿論、リムにも出来るはずだが、咄嗟に行えるほど練達している訳でも無い。
「ま、まあ」
「さあ、落ち着いた所で尋問再会だ」
倒れ込んだ男をゆっくり抱え起こし、壁際にもたれ掛けさせる。頬を叩き、男を起こすとザハルはゆっくりと問い掛けた。
「おい、お前は誰だ」
「オ、オレは……あああ、あああああああ! 殺してくれぇええええ!」
「落ち着け、後で好きなようにしてやる。だがそれには対価が必要だろう? こっちの求める対価はファミリア諸島についての情報だ」
「ああ、あああああ。あそこは危険だ! 二度と行きたくない!」
「その理由を聞いている」
「恐ろしい、恐ろしい一族が棲んでいたんだ! あんな化物、誰も勝てやしねえ!」
「どんな奴らだ」
「き、聞いた事はあるだろ。神話の域だと思ったよ。竜の一族……ティアルマート……」
「良く聞く御伽話だな」
「実在したんだ! アイツらは島に侵入した奴らを、まるで蟻を踏み潰すみたいに蹂躙していったんだ!」
「おいおい、そんなでけえ奴なら島の外からでも見えるだろうが」
「ち、違うんだ! 次元が違うんだよあれはッッ! 腕を振れば風が裂き、咆哮を上げれば見えない砲弾の様に何もかも吹き飛ばしていく」
男は再び恐怖に身体を震わせ、ガタガタと歯を鳴らす。
「ザハル、オレが南に居た頃からその御伽話は聞いた事がある。もしそいつの話が正しいのであれば繋がる点がいくつかあるのだが」
「なんだ」
「ティアルマート一族、その中でも絶大な色力を持った竜がいる。ルシエ・ティアルマート、紺紅の祖竜と伝承にあったが、話を聞く限りだと弱すぎる」
「弱い?」
「ああ。混色派生ではなく純粋に赤と青の素を持つとされるルシエ・ティアルマートは海を弄び、火と戯れると聞く。一〇〇〇年以上も前の話だぞ。天変地異にも匹敵する程の力を持つが、今だに現存しているとは考えにくいのだが」
「ふむ……だが、コイツはドラゴンと言った。その末裔であればそれなりの力を持っていてもおかしくは無さそうだがな」
「殺してくれ……オレを殺してくれぇええ! もう耐えられない! 目の前で仲間が火に炙られ灰になっていく姿が目に焼き付いて離れない!!」
「いくぞ、相手は祖竜の末裔の様だ」
ザハルは死を乞い願う男を振り払い、背を向けた。
「お前の命を委ねられる程、オレはお前と関わっていない」
「ザハル……」
「ああああああああああああ! だのむううううう! もうこの悪夢から逃れたいんだあああ」
「自身の歩んできた結果だろ、業から逃げるんじゃねえよ……」
そのまま地下室を後にするザハルの背中はやけに冷たくも大きく感じた。