第129話 届かぬ愛と子の想い
「やべ、あの凶暴女から逃げてたら迷っちまったじゃねえか」
リムはマミからの強烈な蹴りから逃れる為、屋敷内を彷徨っていた。然程大きな建物でも無いのだが、やはり慣れない者が入れば方向感覚は多少狂うものだ。イロウの書斎は二階、そのまま一階へと続く廊下を戻って来たつもりだったが、先述した通りマミの所為で階段を見失う。
「とりあえず誰か使用人さんでも見つけりゃ教えてくれるだろ」
「はい、その様に仰っておりました」
「ん?」
屋敷内をうろつくリムの目の前にある部屋からダロンの声が聞こえて来る。またしても若干の隙間から漏れる会話。聞いてくださいと言わんばかりにリムの耳に入ってくるのだった。どこか重い空気を察したリムは、廊下の角に身を潜め聞き耳を立てる。
(あそこは……イロウの書斎か。戻って来ちまったな)
「であれば予定通り明日には……」
「すまんな、世話を掛ける」
「滅相も御座いません。私は旦那様と共にあります」
「すまない……それにしても、もう二十年も経つのか。早いものだな」
「ええ、まるでひと時の様に感じます。お嬢様は何も仰りませんがどこかで感じてはいるでしょう」
「……マミには何もしてあげられなかったわ」
「何を仰いますか、奥様」
(ん? 儂姫の話? 奥さんも居るのか)
リムは引き続き息を潜め、部屋から聞こえて来る会話を盗み聞きする。
「いずれ帰さねばならないのだ。だが私達が拾った以上、安全に育てる義務があった」
「でもあの子には碌に愛情も注いで上げられなかった。産みの親では無いにしても本心では我が子の様に愛していたわ」
「ああ、それは私も同じだ。だがマミには辛抱が過ぎたかも知れんな。私の所為でもある。ナコシキとしてアカソに名を売るには時間が惜しかったのだ」
「その点、ダロンには感謝していますわ。代わりにあの子を見守って下さった」
「お嬢様は大切な存在で御座います。私め如きで務まると仰るのであれば光栄で御座います」
「貴方には割と懐いていたものね」
「失礼を承知で言うなれば、孫の様にも感じております」
「そうか、お前のその心に救われるよ」
「私が子どもを産めないばかりに散々迷惑を掛けてしまったというのに」
「奥様が気に病む必要は御座いません。私はただ役目を全うしただけで御座います」
「ダロン、本当に感謝しているよ」
「いえ……」
「今晩はあの子の好物を用意してもらえるか?」
「かしこまりました」
「それと、他の使用人にも忘れずに」
「ええ、既にお仕えする先を見つけておりますので、今晩が最後と」
「すまない」
書斎の扉が開き、ダロンが姿を現す。その顔はいつもの無表情だった。そのままリムの隠れる角とは反対方向を向くと、立ち止まりゆっくりと口を開いた。
「貴方なら必ず……いや、お嬢様をどうか宜しくお願い致します……」
独り言の様にも思えたが、はっきりと聞こえる様に発したその言葉。リムの反応を伺う事も無く、背を向けたまま廊下を歩いて行くのだった。
リムは薄々感じていた。ただの家族では無いだろうと。だが、マミが二人の子どもで無いとは流石に思わなかった。
「孤児……か」
リムは複雑な面持ちで立ち上がると、何食わぬ顔でイロウの書斎をノックした。
「あ、えっとイロウ! ごめん! 屋敷迷っちまってさ。正面階段はどっちだったかな、アハハ」
「アマネ、案内を」
「ええ、リムさん。こちらへ」
「ヘヘ、悪いな」
リムはアマネに案内され、無事に屋敷の正面入り口へと辿り着く事ができた。しかし、そこには腕を組み、鬼の形相で待ち構えるマミの姿があった。
「おい! 遅いんじゃハゲ! はよ行くで!」
「え? 行くって何処に」
「はあ? 何しらこい事言うてんねん! 街行くんやろ? はよー」
「はぁ、やっぱこうなるのね……」
「マミ、今晩は貴女の好きなトマトを用意させるわ。早めに帰って来なさいね」
「フンッ。はよ行くで!」
(今更何を言うねん。用意させるて、儂が食いたいんはアンタの料理や……)
アマネの言葉を振り切る様に、マミはリムと共に屋敷を出るのだった。
リム達、纏まらない一行とマミは中央区へと足を延ばしていた。だが、勿論目的は買い物では無い。リムが得た情報では中央区よりも更に進んだ、マドカ・アカソの管轄である東区の一角にあるあばら屋。ファミリア諸島からの生還者はそこに居るとの事だった。しかし、位置的に目前にはマドカの居城がそびえ立ち、マドカ管轄の保安隊を見ない時は無い程に各所へと配置されていた。
先日の一件での容疑者である彼らは目の敵にされるのだが、ダロンがキヨウ邸からの帰り道にマドカ邸にも足を運んでおり、リム達に行動の許可を求めていたのだった。だが、そんな事を知る由も無い一行は、保安隊の目を気にしながらコソコソと目的地へと向かう。
「何コソコソしてんねん! 目障りやなぁ」
「だって、宿屋の一件で追われてんだもんよー。このバカの所為で」
「テヘッ☆」
「あー。ほんならちょっとマドカんとこ行こか」
「マドカって三大富豪の一人?」
「せやで」
リム達は言われるがまま、マドカの居城の入口まで来てしまった。目の前にはギラギラした目付きの保安隊がリム達を睨み付けている。しかしマミは、気にする様子も無くズカズカと敷地内へと足を踏み入れる。
「止まれ! 許可無き者を通す訳にはいかん!」
「ああ!? 儂や儂! お前等目ぇ腐ったんかいな! ええからマドカ出しぃ」
「こ、これはマミ様!? し、しかし今は誰も通すなと命じられておりまして」
傍若無人なマミは、保安隊の制止も振り切り城へと足を進める。
「なあ、アイツってそんな顔広いのか」
「分からんが、三大富豪の一角の娘ともなれば顔は知られているだろう」
「にしても、他の管轄の保安隊にまであんなデカイ顔できるって相当じゃね?」
「あの性格だ。抑えるには一保安隊でさえ苦労するだろうな」
肩甲骨まで露わになったオフショルダーのドレス姿は、かの凶暴なマミ・ナコシキとは思えない程華奢だった。
「おう、アンタら気張りや!」
「は、はぁ」
数刻の後、マミが城から満足気に戻ってくる。警備に当たる保安隊の方をバシッと叩き出した。気分は上々と言った所か。
「おう! 行くで!」
「行くって何処にだよ」
「城ん中や」
「なんでよ。オレ達が向かうのは一般市民の住む居住区だろ?」
「頭の回転が悪いなぁ。頭ん中、錆びてんちゃうやろうな。油でも飲ましたろか?」
「相変わらずお上品な事で」
「ああ!? なんか言うたか?」
「いえ……で、城に何の用だよ」
リムの質問に答える間も無く、再び城へと歩き出したマミは遠退きながら声を張り上げた。
「その生還者が城におるー言うとんやー」
「はぁ」
「リムちん、ペース握られてるね☆」
「いずれ立場を逆転させてやるからな……」
一行は仕方なく、マミに付き従う様にマドカの居城へと足を踏み入れるのだった。