第127話 新緑の朝
新緑の風がなんとも心地の良い朝。直近の方針が決まり、一息を付く為に屋敷の外に出たザハルは、一人木陰の大岩に腰を下ろしていた。
ザハルの目的は、ナインズレッドに有るとされる鍵の石板の一つ。一刻も早く力を付け、自国で待つ五黒星の元へ駆け付けなければならない。追放された身にも関わらず、何故帰国に拘るのか。再び五黒星を失う恐怖か、それとも一族としての意地か、はたまた謀られた恨みか。
であれば直ぐにでも戻るという選択肢もあるのでは無いのか。ザハルやアルであれば一国にダメージを与える程の色力は有している筈。
しかしそれは叶わないだろう。ブラキニア国民にしてみれば今や犯罪者として流布されている状況。長きに渡って治めてきたブラキニア一族が国民を騙し続けたと擦り込まれれば、国民は敵意の眼差しを向ける。
元凶である中央黒染老には《恍惚のエクス》が裏で糸を引いているに違いない。だが、エクスの目的は何なのか。不確定要素ばかりを並べても現状は前には進まない。であれば、今は様子を見た方が賢明だろう。力を付け、汚名を晴らし凱旋すれば良い。
ナインズレッドの状況も不鮮明だ。誰が主導者なのか、誰が正義であり悪なのか。どちらにせよ鍵の石板の在り処すら判明していない現状、乗り込んだだけでは徒労に終わるだろう。いくら探せど見つからない、波打ち際の砂浜を掘る様なものだ。
だが可笑しなものだ。アルと共に南下すれば良いものを、何故リムと共に行動しているのか。それを否定も肯定もしないアルは、何を考えている。オルドールを亡き地とした罪悪感か。胸の内を明かす事が殆ど無い彼。
そんな様々な思考を巡らせながら微風に揺れる木々の葉を、ぼんやり見つめるザハルは何故か穏やかだった。
「妹から顛末は聞いた」
気付けば、ザハルの座る大岩の横に寄りかかるドームが居た。かつて、と言うには短すぎる過去ではあるが、敵対していた二人の勢力。だが、今やその間も霞掛かった様に曖昧である。
「何か用か」
「いや、特に無い。ただ、王子とて黄昏れるのだな、と思っただけだ」
「曲がりなりにもお前も王子だろう」
「今更オルドールの名で王を語ろうがオレにはその資格は無い」
「資格、か……」
二人の間には何とも奇妙は空気が流れる。互いを憐みながらも何処か奥底には敵意がある。だが、それは両者にとって探す必要が今は無い事も理解していた。
ドームはゆっくりとザハルの前へと歩き出しザハルに背中を向けたまま徐に口を開く。
「オレは今、お前に背を向けている。その意味が分かるか?」
「……」
風が背を押した。ザハルは立ち上がるとドームの前へ足を進める。ザハルはドームと相対する様に正面を向きこう答えた。
「オレはお前に背を向ける事は無い」
「フンッ、当たり前だ。お前が背を向けていたら躊躇いも無く殺す所だった。その後、ミルにどう責められようがな」
「だろうな。潰した相手国の人間に許しを乞うとでも思ったか。それこそ侮辱だろ。オレはそんな腐った人間じゃねぇ」
「互いに敬意を持ってこそ成り立つ同行と心得ておけ」
「言われるまでも無い」
ドームは何処か晴れやかな気分で屋敷へと足を進める。だが、ザハルには何処か靄が掛かった様な感覚だった。
「おい……ドーム」
「なんだ」
「これはお前の妹とも話した内容だ。禍根は早々に消えるもんじゃねえ。オレはお前等を踏み潰してでも国に戻る。だが、それはお前等が地面に膝を付いた時だ。だから……」
「……」
「オレがもし地面に膝を付き、足を止める様な事があれば殴ってくれ」
「ああ」
そう言うとドームは間髪いれずにザハルの左頬目掛けて拳を振るった。鈍い音と共に地面に倒れ込むザハルは、薄ら笑いを浮かべて立ち上がる。
「ハハッ! だろうと思ったぜ」
「少しは気合が入ったか」
拳を突き出したままのドームを見たザハルは、ゆっくりと近付き右拳を握り締めた。二人の間には骨と骨が軽くぶつかる音が、互いの身体に響く振動が伝わったのだった。
――――とある雪山。
極寒の吹雪の中、異様に盛り上がる雪の塊があった。その中には……。
「んだああああっくそぁああああああああああああ!!!」
勢い良く雪の塊が粉砕され、中から現れたのは黒色の髪をした青年だった。その隣には、何故か一粒もの雪すら付いていない外套姿の男が立っている。
「やっと起きた」
「ああ? なんだカズキか」
「ずっと待っていたよ」
「待ってたじゃねえ! 早く解放しろってんだ! それより、あのクソガキがぁあああ! オレをこんな事にしやがって!! タダじゃ済まさねえッ!!!」
「カズマ……落ち着いて。一人にしたボクも悪かったけど、君を飛ばした相手は只者じゃないよ」
「ああ? ったくよぉ」
「とりあえずここから離れよう。ボクは大丈夫だけど君は寒いだろ?」
「フンッ。好きにしろ」
先日、宿屋の店主を尋問していた二人組だった。二人はカズキの持つ懐中時計に吸い込まれる様に消えて行った。
「それよりここは何処なんだよ」
「恐らくブルーフォレストとスハンズの間にある山岳地帯だね」
「オレはアカソに居た筈だぞ」
外は依然として雪が吹き荒れる。二人は山間にある無人の小さな小屋に居た。ミルを急襲したカズマは、オスワルトにより遥か北へと飛ばされていたのだった。
「経緯を説明してもらえない?」
「ああ、名前までは聞けなかったが――」
カズマは、ミルとの戦闘からオスワルトに飛ばされるまでの一部始終を説明した。
「んー、恐らくそのアステリの色力じゃ無いだろうね」
「って事は……」
「うん、恐らく観測者で間違いないだろうね」
「クソ厄介な奴らが来やがったな。どうするよ」
「観測者が関与したとなると、やっぱりあのアステリは特異点で間違い無いって事。つまりは……」
「こっちの動きも捕捉されてはいるがやるしか無ぇって事か」
「そう言う事だね。どうする? ボクはまだ君がアカソに居る時点の報告しかしていないよ」
「間違い無いってんなら態々戻って報告する必要なんか無ぇだろうが」
「また怒られるよ?」
「標的がハッキリしてんのにただやられた報告だけしろってか? それこそどんな目に合うか分かんねえよ! 行くぞ! アカソに居る特異点を抹殺だぁ!」
「観測者はどうするの?」
「ああ? それはお前がやれよ!」
「えー……仕方無いなぁ。今回だけだからね」
カズキが懐中時計に色力を込めると、二人は再び吸い込まれる様に消えてゆくのだった。
時を同じくして暦刻の休息地では、マンセルがロッキングチェアに揺られ微睡んでいた。その横にはオスワルトが、床に胡坐をかきながら壁際に宙に浮くモニターらしき物を見つめている。
オスワルトの白いクソダサTシャツには、黒い文字で「デキる」と書かれていた。最早天才の域であるデザインだ。
幾つものモニターには様々な場所が映し出されている。人の行き交う街並みや緑豊かな草原。何処かの国であろうか、雪荒ぶ中に薄らと見える巨大な石造の城。
「マンセルぅ、アイツ等動き出したよー」
「……」
「ねえマンセルってばぁ」
呼び掛けに応じる事無く、ロッキングチェアは緩やかに揺れている。
「んもーアタシ一人でやっちゃうよ?」
「待ちなさい」
「やっと起きた! で! どうする? 統合者がまた動き出したよ?」
「やはりですか。こちらが接触した所為もありますが、彼らは彼女を特異点と認識した様ですね」
「やっちゃったーやっちゃったー! マンセルドジ踏んだー!」
「フフフ、ですがこれも計算の内ですよ」
「うっそだー! そんな言い訳は見苦しいんだゾ!」
「見てみなさい」
「ん?」
マンセルが宙に浮くモニターに目をやると、そこには拳を合わせるザハルとドームの姿が上空から映し出されていた。
「彼らが少しでも心を開いて協力すれば難は乗り越えられるでしょう。それにあまり私達が接触すると彼らの為にもなりません」
「死んじゃったら?」
「彼が居る以上、それは無いと信じています」
「ふーん。んじゃアタシご飯食べてきて良い?」
「ええ、ゆっくりしてくると良いでしょう」
オスワルトは嬉しそうに部屋の扉を押し開き、刻の廻廊へと出ていくのだった。