第116話 虫の囀る夜には泣こう
――――アカソ 商業地区裏路地。
「う……」
「兄やッ!?」
オスワルトにより暦刻の休息地から半ば強制的に出され、陽の沈み切った街で途方に暮れていた。兄の意識が漸く戻り、心配そうに傍らに座るミルは妹だった。
頭を押さえるドームだったが、すぐさま自身が見慣れぬ土地に居る事を察し起き上がる。
「ここは何処だ!?」
「もう大丈夫なの!?」
「何処だと聞いてるんだ!」
「ア、アカソ……だけど」
「そうか、すまない」
項垂れ溜息を漏らすドームは、心配そうな妹の顔を確認した後に再び地面へと倒れ込む。仰向けになった視線の先は、明滅を繰り返す綺麗な星の海だった。
「よくここまで来れたな。重かっただろう」
「ううん、ドラドラが背負ってくれたの」
「そうか……ん!? ここへは誰と来たんだ!」
未だ自分の状況を把握しきれていないドームは、ミル以外の存在を忘れる程に記憶が曖昧になっていた。
「タータんとリムちんとザハルとアル」
「……詳しく聞かせろ」
ミルは、ドームが気絶しているであろう時から今に至るまでを静かに説明し始めた。勿論、仇敵であるザハルとの戦闘も然り、和解に至る訳でも無く同じ船に乗って来た事。先程まで理解の及ばない場所に居た事。ドームはただ静かに妹の言葉に耳を傾け続けた。
「それで、お前は納得しているのか?」
「え?」
「オレは家族であるお前を大切に想うからこそ聞いたんだ。その拳でザハルに痛みだけの引導を渡した訳じゃ無いんだろ」
「ミルは……」
「オレはお前の唯一の兄であり、理解者で在りたい。今までも、これからも。だからオレはお前の気持ちを受け止める責任と覚悟がある」
「兄や……ミルね。本当はすんっごい殺したかった。でも途端に殺せなくなったんだ」
「……」
俯くミルを優しい目で包む様に見つめる兄は静かだった。
「ミルがザハルと闘ってる時ね、兄やを担ぐ黒軍兵を見たんだ。その時思ったの。ああ、何か違うのかなって。それが何なのかはまだ分かんない。ミル達を助けてくれたリムちんは、理解した上で一緒にブラキニアに来てくれた。それなのに意識の無い兄やを腕の折れた兵士が背負ってて、その横にそれを許すリムちんが居て……」
「その兵士はどうしたんだ」
「分かんない」
「そうか」
静かな夜にさりげなく聞こえる虫の囀り。暫しの沈黙の後、ミルが再び口を開く。
「ザハルはそれでも憎い。でも、ザハルも闘ってたんだ……家族同然とも言える存在を家族に殺されて、だけど毅然に振る舞いながら誰へともぶつけられない怒りを抱えたまま闘ってたんだよ。なんだか、ミル達よりも訳が悪いよね。国で反乱が起きて、自分の国を焼く決断までして。それでも国に裏切られて。そんな事実も知ったのに力を付けて戻ろうとする。今のザハルの姿がミルには少し痛いよ」
深く落ち込むミルの左頬が痛みとともに揺れ、同時にドームへと引き寄せられた。胸倉を掴む兄は、それでも青く優しい瞳をしていた。
「オレはお前を、妹達を守ると誓った。亡き父と母に、色星に誓った。だからこそお前が折れそうな時は、オレが支えてやらないといけない。リムでも無い、タータでも無い。死地を共にした兄妹だからこそ、お前を励まさなければならない。お前がどういう気持ちでザハルを殴ったのか、尚も行動しているのか。話したく無いのならオレはいくらでも待つ。だからオレは傍で見守るしか無い。オレの気持ちを分かれとは言わない。だが、自分の気持ちくらいは正直にいろ」
「……」
じんわりと残る頬の傷みと真っすぐな兄の視線に、ミルは瞬きをする事無く大粒の涙を零す。大きな雫は青く澄んだ瞳から湧き溢れ、ドームの右腕へと垂れ流れていく。
静かな、静かな路地裏。亡き国を離れた兄妹は、ただ静かに抱き合ったのだった。
一方ナコシキ家の地下牢では、腐れに腐れ切ったリムが羞恥心も無く全裸で寝転がっていた。守衛も見当たらない牢屋の一角で大の字になる紳士は、それはそれは見事な晒しっぷりである。
「あああああああああああああ! ダメだダメだ! 違うんだ!」
羞恥心以前にどうも頭がやられたらしい。バタバタと動かす手足は、陸に揚げられた魚である。
「何が違うんや、この変態」
「うっおおあぁあ!?」
「せめて人の言葉くらい発しろハゲ」
「ハゲちゃうわ!!」
いつの間にか鉄格子の向こうにはナコシキ家の姫、マミが呆れ顔で仁王立ちしていた。
「儂があとで話聞かせてもらう言うたやろ。レディが来る言うんに大開脚で晒してんちゃうぞハゲ」
「だ、だからハゲちゃうわ!」
「知らんわ」
(や、やべぇ。コイツは理不尽極まりないタイプだ)
「せ、せめて服くらい返して貰えませんかねぇ、マミ様」
「ああん? 馴れ馴れしく名前呼ぶんちゃうぞボケ」
(あーこれはやっぱアカンタイプですわ……)
マミは女性らしさなど微塵も無い罵詈雑言を投げ付け、上階へと上がって行った。
「えええ、何をしに来たんだよぉ……服を引ん剝かれた挙句に罵倒されて、放置プ――」
「黙れ言うとーが! ハゲ!!」
リムの視界が真っ暗になり、馴染みの匂いが鼻を喜ばせる。
「これは、オレの服ぅう!! ありがとうマミさ……」
最後の一文字は言うとマズイ、咄嗟に口を閉じるも既に名前は発している。恐る恐るマミを確認するとやはり眉間に皺を寄せていた。
「覚えが悪い猿やんなぁ!!」
「ひぃ! すませんすません!」
リム、何かに目覚めるが如く調教の一途を辿る。