第114話 刻の廻廊
ミルはオスワルトと名乗る少女に言われるがまま、謎の屋敷へと足を踏み入れていた。先程まで前を歩いていた筈のベッドを引き摺るオスワルトは、既に見えず取り残されたミルは呆然と立ち尽くすのみ。
暗い一本の廊下は、まるでお化け屋敷にでもいる様である。左右均等に並んでいる各部屋へと通じるであろう木製の扉も、全て閉まり切っており何処に入れば良いのかもさっぱり分からない。
一つの部屋自体は然程大きくはなさそうである。等間隔に設けられた扉の距離は凡そ五メートル、それが目に見えぬ暗がりの向こうまで延々と続いていた。しかし、それぞれに外的特徴は一切無く、統一された扉は知らぬ者が入り込めば必ず迷うだろう。
ミルは右手で腰に据えてある短剣に手を掛けながら、左手で暗がりの廊下を手探りで進む。何も聞こえず静かな廊下に、ミルの左手が壁を擦る音と木製の床が軋む音だけが響く。
「あー! 妹さーん! こっちこっち! 行き過ぎだぜベイベー!」
ミルの歩いて来た方向から扉が開き、オスワルトが元気よく手を振っている。
ミルは不可解だった。見知らぬ場所と初めて会う人物、それに異様な雰囲気の建物内。微かな物音でさえ察知しようと気を張っていた筈。それなのにベッドが運び込まれたであろう部屋の物音を聞き逃すはずが無い。
腰の短剣に手は添えたまま、警戒を解かずにオスワルトへと近付いた。しかし、オスワルトは出て来た部屋へと再び入り、三部屋程向こうの扉が開きオスワルトが顔を出す。
「妹さーん、怖いからその短剣は構えないでよー。アタシ近寄れないじゃーん!」
オスワルトは再度部屋へと入ると、今度はミルの真横の扉を開けミルの右手をつついた。
「こーれ! 危ないから! ウシシシッ」
敵意が無い様に思えたミルは、強張った緊張を少しばかり和らげ少女に問うた。
「兄やはどこ」
「安全な場所でそのまま寝てるよー。この場所に居ればじきに起きると思う!」
「……?」
「ささ、妹さんには会って貰いたい人がいるのー。着いてきてー!」
「……」
ミルは言われるがまま、大手を振って歩くオスワルトの後に続く。暗い廊下をドタドタと歩く姿を不思議に思う。何故、迷いも無くこの先の見えない長い廊下を歩けるのか。その疑問はこの建物の主であれば些末な事だろう。しかし、明らかに少女。ミルよるもかなり下に見える少女が、このだだっ広い廊下もとい建物の持ち主とは到底思えない。
「あのさ」
「あい!」
「君は、誰?」
「あい! オスワルト!!」
元気な返事は気持ち良いものだ。だが、名前は先程も聞いている。
「いや、そうじゃなくて」
「あい! 分かってる! 今その話をする為に時間を掛けてるの!」
「え……?」
「あ、そうそう。他の部屋には勝手に入らないでチョンマゲッ」
「ちょん……? うん……」
やはり、この少女に聞いてもまともに答えてくれなさそうである。しかし、時間を掛けているとはどういう事だろうか。素直に自分ではなく別の人物の居る場所へと案内していると言えば済む話。ミルはオスワルトの言い回し一つ一つが不思議で仕方が無かった。
どれ位歩いただろうか。距離にするには少々長すぎる。一時間。そう、時間で計るのであればそれ位は歩いただろう。しかし、ミルにはこの建物に入って来てまだ間も無い感覚しか無い。小一時間も足を動かしている筈なのだが、宿屋からこの廊下に入ってからは確かに「間もない」と言う感覚なのだ。
疲れも感じない、長いとも感じない。だが、確かに小一時間は歩いたのだ。矛盾する感覚にミルの頭は徐々にフワフワしてくる。
「あーやっぱ初めてだと慣れないよね! 酔っちゃった?」
「あ、うん。少し、なんだか変な気持ち」
「もう少しだからガンバテ!!」
「……」
更に数十分歩き続けた。だが相変わらず先程の感覚は解けない。ふわつく頭、歩いているという感覚でさえ錯覚の様に思える。
ふと前を歩いていたオスワルトが立ち止まり、右手にある扉のノブに手を掛けた。ゆっくりと回し引き開ける。
「オツカレサンマ! 着いたよ! 中に入って!」
「……」
ミルは恐る恐る開かれた扉の中を覗くとそこにはミルの想像し得ない物があった。
「遠い場所から申し訳ない」
そこには木製のロッキングチェアーに座る一人の男と、隣に立つオスワルトの姿があった。
目の前に広がっていたのは、幾つもの宙に浮くモニター。勿論ライカの世界には無い物である。初めて見るそのモニターにはそれぞれに草原や山脈、見覚えのある街並みまでもが映し出されていた。その中にはホワイティア城やブラキニアの港町など、まさに見た事のある光景である。
「オスワルト? あまり時間を掛け過ぎてはいけないよ。初めて入る人には少々長すぎる。刻酔いには気を付けてあげないと」
「あい! でもあんまし近付き過ぎるとバレちゃうから」
「ああ、そうだね。だから次からはもう少し配慮してあげるんだよ?」
「あいあい!!」
オスワルトに注意を促すその男は後ろ姿しか確認できず、手入れのされていないボサボサの長い髪。それは白、いや白色と言うべきなのか。非常に透き通った白、むしろ色素が殆ど無いのでは無いかという位に綺麗な白色だった。
「ようこそ、暦刻の休息地へ。オルドール家の御息女」
「ここは……」
「驚くのも無理は無いでしょう。貴女達には到底理解の及ばぬ場所。確かに存在しているが、存在してはいない場所です」
男はただ目の前に広がる様々な光景を見ながらチェアーに揺られていた。