第113話 きゅうせいしゅ?
宿屋の廊下に通じる扉から入って来た少女は、それはそれはとても輝く笑顔を浮かべていた。満面の笑みと言う言葉はこの為にあるのではないだろうか。
金茶色の髪色に、横へ垂れるツーサイドアップの髪型は腰骨にまで伸びている。膝丈のワンピースの様に着こなす真っ白なTシャツ。左膝には絆創膏が貼られ、如何にも間の抜けていそうな小さな全体像は幼い少女にしか見えない。
「なんだお前は」
「あぇー? いやー名乗る程でも無い! あ、でも……いや! 名乗らない!!」
「邪魔だ失せろ」
「いいのかなぁー? そんな事言っていいのかぬぁー?」
「あー! イライラする奴だ。ガキに付き合っている暇は無いんだ!!」
カズマは足元に転がっていた木片を少女に投げ付ける。しかし、少女はニヤリと歯を輝かせドアノブに手を掛けた。
「そんな危ない物を投げてはいけませーん! 先生に教わらなかったの?」
ガチャリと少女が押し開けたドアの先は、何処とも知れない森の中を映していた。しかし、不可解にも投げられた木片は、その森の中にある木の幹にあたり渇いた音を立てて転がる。
「どういう……事だ」
勿論な反応である。扉の先は宿屋の二階であり、少女もそこから入って来た筈。しかし再び開かれた先は森だった。扉から顔を出した幼顔は楽しそうで仕方が無い様子。
「君の色力は知ってるかんねー、よっと」
少女は再び扉を閉め、部屋に入ると再びドアノブに手を掛けた。
「お前、色操士だな……?」
「ただのドアマンでありまーす! あれ? あ、アタシは女の子だからドアウーマンか。ウシシシッ」
「一般人じゃ無いならオレの邪魔をした厄介者として始末するッ! 行け!! アポグノーシ――」
「そうはさせないってんでい! ちょっと寒いけど我慢してねい!」
カズマが少女に向けて黒い球体を放とうと構えた、と同時に扉を押し開く。
驚いた事にその先は、先程の森では無く吹雪で荒れ狂う極寒の地だった。扉からカズマ目掛けて猛吹雪が押し寄せる。
「おま……えは……」
「ちょっと固まっておくんなましい! ウシシシ」
身体が固まる程の冷気がカズマを襲う。次第に全身が凍結し動きが止まったカズマはそのまま床に倒れ込む。
「はい! おしまい、獅子舞、てんてこ舞い!!」
少女はズルズルと凍ったカズマを引き摺り、扉の向こうの極寒の地へと押し出すとそのまま閉めてしまった。部屋にはまだ冷気が残り、初夏の暖かさとはとても思えない。
「あ、えーと……」
「あい! オスワルト!」
「え?」
「アタシ、オスワルト!」
「……」
一連の出来事にミルの頭は追いついていなかった。オスワルトと名乗った少女は、そんなミルの様子に笑みを浮かべ、ウシシシと笑いながら部屋中を駆け回った。ベッドの上で寝ているドームの事など知った事かと言う位にドームの身体を揺らしながら身体の上を飛び跳ねる。ギシギシと音を立ててはいるものの、ドームは苦しむ訳でも無くただただ眠ったまま。
「知ってるよー! 勿論だよ!」
「え? 何が?」
「だってその為に来たんだもん!」
「……」
「とりあえずここに居ると色々と厄介だから一旦お家にご招待しまぁす!!」
オスワルトは再びドアノブに手を掛け、手前に引っ張った。するとその先はどこかの館だろうか。先程の極寒の地とは打って変わって薄暗い廊下が見える。宿屋の廊下では無い事はミルにでも分かった。
「ささ! 遠慮なく遠慮なくぅ。あ! お兄さんも一緒じゃないとねッ!」
ヨイショヨイショとドームが寝たままのベッドを引っ張り始めたオスワルトだが、流石に幼い少女が大人の寝るベッドを引き摺る事は困難であろう。
「あ、いや。背負っていくからベッドは――」
「あーダイジョブネー! アタシチカラモチネー!」
オスワルトは力を込めて一回、二回と少しずつベッドを引き摺る。すると徐々にベッドが動き出し、回数を増す毎に引き摺られる距離が伸びていく。最終的にオスワルトは足で床を踏ん張る事無く、片手で扉向こうの薄暗い廊下へと引き摺って行くのだった。
「どゆ……こと……」
「早くしないと閉めちゃうよー!」
「あ、うん」
ミルは理解が追いつかないまま、扉向こうの廊下へと足を踏み入れる。
ガチャリと閉められた宿屋の一室とも呼べなくなった場所は、再び初夏の日差しに浴びながら温度を上げていくのだった。