第112話 絶望の一手
刻は少し遡る。リムらが情報収集の為に、商店街へ繰り出した頃。ミルは兄ドームが眠る隣のベッドに座り、足をパタ付かせていた。
「兄やがなんで気を失ってるかは分かんないけど、リムちんと一緒にあの場に来たから安心だと思ってた。でも、なんでだろ。兄やが隣にいる筈なのになんだか居ない様で不安だな」
「……」
ドームは依然として起きる気配は無い。漸く一息付ける時間が取れたのだ。ミルはそのまま隣のベッドに横になる。天井に見える木目は蛇行しながらも同じ方向へと沿っている。
「ミル達も同じ方向を向いてるのかなぁ。こーやって波打ちながらさ。でもこれからどうすればいいんだろ、兄やが居ないと結局決めれないのかな。兄やが聞いてるから決めれるのかな」
「……」
ミルは起き上がり、窓辺から揺れる葉を眺めていた。中庭の青々とした木や草花が、微風に揺れ何か囁いている様にも聞こえる。初夏の匂いが締め切った部屋にも入ってきそうな程に清々しい風だ。雲一つ無く、陽の差す部屋は次第に暖かみを増していく。
そんな昼下がり、ミル達の部屋に来客を知らせる音が響く。
「ん? 誰だろ。タータんかな? 入っていいよー☆」
しかし、扉は開かず再び木製の扉を軽く叩く音。
「店のおっちゃんかな?」
扉に近付き、ドアノブに手を掛けた瞬間だった。ミルは即座に後方の殺気に気付き、腰の短刀を構える。と同時に中庭に面している窓が勢い良く蹴破られ、外套を纏った一人の人物が侵入する。硝子片は部屋中に散乱し、ドームの頬にも傷を付けるがやはり起きる気配は無い。
「誰!!」
「目当ての片角は居ない、か。だが……見たぞ、お前も見たぞ!! そうだお前も載っていた! 確かに見たぞオレは、ハハハハ!!!」
「いきなり入って来てなんなのよ!」
「何とは失礼だな。世を乱すお前等を抹殺する為だ! お前等はズレを起こす!! 世界にとって害悪なんだよ!!」
「何それ意味分かんない!」
「分からなくて結構だ! 死んでもらうぞ、絶望よ、前へ!!」
外套から出された両手には黒く歪む空間が徐々に膨れ上がり、球体となってミル目掛けて投げ付けられる。速度然程速くは無い。ミルにしてみれば止まって見える程、余裕で躱せるスピードだ。
だが、その余裕は直ぐに無くなった。躱したミルの髪が一部分千切れて無くなっているのだ。黒い球体には触れていない筈。しかし、ボリュームのある髪の一部は切られる訳でも、燃える訳でもなく無くなっている。
すぐさま危険と判断したミルは全力で男の後方へ飛ぶ。しかし、それに負けじと黒の球体はミルを追従する。
「チッ!」
「無駄だ無駄だぁああ! ハハハ!! 絶望よ、前へ!!」
ミルはドームに被害が及ぶ事を避け、中庭へと飛び出る。予想通り、黒い球体はミルを追い中庭へと出て行った。
「コイツは……リストには無いな。無関係な人間を殺すと面倒臭いからな」
未だ起きないドームの姿を見た男だったが標的では無い様だ。
「絶望よ、広がれ!!」
男が両手を空へ高々と上げると、黒い球体はみるみる大きくなり中庭に影を作る。触れる木や草は音も立てずに、その球体に吸い込まれる様に消えてゆく。
「何これ、反則じゃん!」
「反則も何もないさ! これがオレの色力だ!! 絶望を見せてやるよ! 世界を陥れるという罪に悔いながら塵になれ!! 絶望よ、前へ!!」
更に大きくなった球体は、スピードを緩めたものの依然としてミルを追いかける。ミルは中庭から隣の部屋へと飛び込む。球体に触れない様にと次々に部屋を変えていくが、まるで障害物など無いかの様に真っすぐと部屋の壁を吸い込みながらミルへと追従を続ける。
気付けば二階部分はまっさらに抉り抜かれ、ミルは行き場を失ってしまう。このまま商店街の方に逃げれば市民にも被害が出兼ねない。ましてや兄を置いてはいけない。ミルは決死の覚悟で男に突進する。
「逃げてばっかも好きじゃないの! 霧場! からの白魔の軍勢!!」
濃霧を発生させたミルは、得意の超高速移動での残像を造り出し男へ反撃を繰り出す。
「どうせ本体はガラ空きなんだからっ!」
男の背後に迫ったミルの一体が、首元に短剣を当てた瞬間だった。
「止めとけ。オレ自身が……絶望だァアアアッハッハハハハハハハァッ!!!」
異様な気配を感じ取ったミルは、すぐさま攻撃を中止しドームの傍へと駆け寄る。近くにあったユーク青銅貨を一枚男に投げ付けると、黒い球体と同様に男に当たる事無く消え去って行ったのだ。
「やはり察しが良いな。まだまだとは言えアステリと呼ばれる訳だ」
「あすて……ん?」
意味深な男の発言に疑問を抱くも、今はそれ所では無い。ミルは物理攻撃が一切通用しない相手に立ち向かう術を持っていない。どうする、どう切り抜ける。戦闘時のミルの頭の回転はかなり早い。しかし、今現状で打つ術も見当たらないのだ。
正に窮地に立たされたその時だった。部屋の扉がゆっくりと音を立てて開き、一人の少女がニコリと笑みを浮かべる。
「貴女はまだ死する時では無い。なんつって! エヘヘ」
その胸には「きゅうせいしゅ」と書かれていた。