第110話 繁盛のキス
――――アカソ 西の洋館 ナコシキ邸。
「爺! どゆこと!」
「申し訳御座いません、マミ様。私としても奥様の言う事には逆らえず」
「ハァ。で? その奥様は何処におんねん! 散々街に言いふらして混乱させといて当の本人は留守かいな!」
「元はと言えばアナタが出ていくからでしょ?」
館の大きな中央階段から優しく手摺と握り、ゆっくりと降りて来る母・アマネの姿。執事である爺は頭を下げ、一歩引く。
「ハァ!? 元はと言えばってなんで儂が悪いみたいになってん! いっつもいっつも部屋に閉じ込められて、風に揺れる木を一日中眺めとる儂の気持ちが分かるんかいな!」
「アナタはまずその言葉遣いから直して貰いたいものだわ。部屋に幾つも語学書を用意してある筈よ?」
「んなもん知らんわ! 興味無いもんに時間なんて割いた所で何の意味も無い! 儂はもっと世界を見たいんや!」
爺は何も言わずに目を瞑り、ただ二人の会話を聞いていた。アマネの表情は呆れ果てている。
「いい? アナタはナコシキ家の大切な娘なの。何かあってからでは遅いのよ? いずれ跡継ぎを見つけて貰わないといけないのに、世界を見たいだなんて」
「フン! 何が跡継ぎや、どうせこんなん好きになる奴なんておらんやろ!」
「全く……」
マミはドタドタと中央階段を駆け上がり、自身の部屋へと戻っていくのだった。溜息が耐えないアマネの心労は相当なものだろう。
「奥様。先程お嬢様と一緒に連行した者はどう致しましょう」
「どうせ人攫いの類でしょ? 適当な情報を聞き出しておいて頂戴。処分は任せるわ」
「かしこまりました」
――――ナコシキ邸 地下牢。
「二回目……また裸……んがああああああああああああああああ!」
リムはこの世界に降り立ってから二回目の投獄。全裸に剥かれる姿は最早お決まり。
「にしてもたかが金持ちってだけで地下牢とは物騒だな」
中央通路を挟む様に左右に仕切られた鉄格子。十部屋にもなる空間は全て石で出来ており、勿論明かり取りなどは無い。上階へ上る階段の左右にのみ松明が灯され、地下牢の奥は闇である。
今はリム以外誰も居ないのだが、暗闇の雰囲気はどこか霊的な何かを感じざるを得ない程に、静けさと淀みが入り交ざっている様だった。
「へっぶしッ!! うーさみぃ……みんなぁ、すまねえ。今頃心配して探し回ってんだろうな。おおおおおおおおおおおおい! オレはここだあああああ!」
リムの渾身の叫びは終ぞ届く事は無かった。
――――アカソ 中央地区商店街。
「アハー♪ ここも! ここにも! 美味しそう♪ おじさんこれチョーダイ!!」
「お! お嬢ちゃん珍しい髪色だねぇ。冒険者か何かかい?」
「うん! ミルっちと一緒に旅してるの♪」
「おお、そうかいそうかい。そのミルっちさんとやらにも食べてもらってくれよ!」
「わぁ! ありがとー! おじさん、きっと繁盛するよ♪」
「お、綺麗なお嬢ちゃんにキスされたとあっちゃぁ頑張らねーといけねえな、ハハハ!! ささ、通りすがりのお方―! アカソ名物、餡子たっぷりドマジュの饅頭はいかがかーい!!」
タータは饅頭屋の前に立ててあったミーツ族を模した客寄せの置物の左手にキスをした。この世界でも一般的に知られている、現代でいう招き猫の様な物である。店主はタータに礼を言いつつ、更なる繁盛の為に客引きを続けた。
「ドマジュさん、か♪ よーし、リムっちからお金貰ったからもっと買って帰るぞー♪」
リムの危機に気付く筈も無く、タータは商店街の人込みに消えていくのであった。
――一方、ザハルとアルは港へと戻ってきていた。情報収集の要だと豪語していたリムの酒場案は、リム一人に任せれば良い。情報収集は分散して行う方が効率的だ。少なからず政に関わっていたザハルもそれなりに頭が回る。
「もうそろそろ陽が暮れる、か」
「ザハル。未だに疑問なんだが、何故あんな奴と共に」
「父とお前の為だ」
「それがお前自身の為にもなると?」
「フッ。そういう事にしておけ。そういうお前もやけに大人しいじゃないか、アル」
「……オレはお前に着いて行くだけだ」
「どうだか」
未だにこの二人の仲はよく分からないものだ。
揺れる波と行き来する商人、軋む商船に馬車の雑音。至って普通の港町の様に見えるのだが、ザハルは何故ここに来たのか。
「おい、アル。あそこの気の沈んだ船乗りを見ろ」
「ん?」
埠頭の端で一人、背を丸くして波を見つめる男が居た。憂鬱な目は近くを見るでも無く、しかし遠くを見据えている様な生気も無く、ただぼんやりと夕日に煌めく波間を見つめていた。
「おい、お前。何かあったのか」
「……」
ザハルの呼び掛けに応じる事は無く、微動だにしない身体。アルは腰の剣を握ろうとしたが、ザハルが制止する。
「事情がある様だが、オレ達に話を聞かせてもらえないか」
「ザハル、なんでこんな奴に」
「いいから黙っていろ」
再び呼び掛けるも男からの反応は無かった。
「お前、ナインズレッドから来ただろ」
「ッ!?」
その言葉に憂鬱な男がザハルを見上げる。
「何故……それを」
「何処となくアルと同じ匂いを感じた」
「オレ……と?」
男はゆっくりと息を吸い込み、話始めた。
「アンタの言う通り、オレぁナインズレッドのもんだ。って言ってもただの運び屋なんだがな」
「一人で動かすには少々大きすぎる船に乗っている様だが?」
「ああ、何人も仲間が居たさ。だが、ナインズレッドの内乱に巻き込まれちまった。命からがら逃げて来たが、船に乗る前に傷を負った仲間はみんな死んじまったよ」
「内乱……か」
「……」
アルは途端に黙り込み、近くの木へともたれ掛かる。
「その内乱の原因は分かるか?」
「アンタらに話した所でどうにもなんねえよ」
「オレ達はナインズレッドに用がある。それに、それなりの力を持っている」
「アンタらもしかして色持ちかい?」
「そっちではそう呼ばれているのか。そうだ、色操士だ」
「オレにはよく分かんねぇが、鍵がどうとかって噂で聞いた事がある」
「やはりか」
「アンタ達、それと関係があんのかい?」
「今はまだ無いが、オレ達もそれを求めている」
「気を付けな。国が一つ滅んでも消えない争いの種だぜ」
「ああ、分かっている」
ザハルは立ち上がり、夕日の沈む水平線を見つめた。
「良く知っているさ……」