第103話 感情整地
――――とある屋敷。
「ふぅ……危なかった」
一人の少女が、艶のある木製扉にもたれかかり溜息を付いていた。
髪色は金茶色と明るく、腰骨程もある長さと肩にかかるツーサイドアップの髪型。
真っ白いTシャツの胸元には「かんぺき」と言う文字が雑に書かれていた。所謂、クソダサTシャツである。
Tシャツの丈が長すぎる所為か、そのままワンピースの様に見え、下に何か履いているかは確認できない。素足の為、屋敷内を歩くとペタペタと可愛らしい音が聞こえてきそうである。
「大丈夫ですか? オスワルト」
「うん! 多分! ちょっと怪しまれたけど。シッシッシ」
Tシャツに書かれている文字が説得力の無さを醸し出しているが、満面の笑みの前では突っ込む事も躊躇うであろう可愛さだった。
「私が出られない分、君と彼女には頑張って貰わなければならないのだが、立場を忘れない様にね」
「もっちろんでありまーすッ!! マンセル隊長ッ!!」
「その隊長と言うのはやめなさい」
「あれ? 違ったかな? こうだったかな?」
オスワルトと言われた少女は、ビシッと足を揃え敬礼している。恐らく黒軍兵の真似をしている様なのだが、色々試した結果しっくりくるものが無く、結局右手を開き現代風の敬礼に落ち着いた。
木製のロッキングチェアーに揺られながら、マグカップに注がれた飲み物を口に含む後ろ姿を見てオスワルトは首を傾げる。
「どしたーん? なんか悩み事?」
「いや、些細な事だよ。まだ動く程では無い。それよりも例の状況はどうだい?」
「ロングラスの灰色の円柱? んー少しずーつだけど明らかに大きくなってるかな?」
「やはりそうですか。ですが、そちらもまだ危惧する状態では無い様ですね」
マンセルは木製の小さなテーブルにマグカップをコトリと置き、正面の窓から夜空を見上げた。
「彼女は今何処に居ますか?」
「わかんなーい! あの人結構自由人じゃん? でもちゃんと動いてるみたいだし大丈夫なんじゃないかな?」
「そうですか。彼女にも、なるべく接触は控える様に、と伝えてはあります。恐らくは大丈夫でしょう」
「明日は何処を見に行く?」
「そうだね。彼らが向かったアカソにでも行ってみて下さい」
「おっけー了解であります、隊長!!」
オスワルトはペタペタと屋敷を走り回り、二階へと続く階段を駆け上がって行くのだった。
未だ謎の二人組……彼らの目的は何なのだろうか。
――――同時刻 辺境のとある古城の一室。
「オレはッ!! 激怒してッッ!! いるッッ!!!」
怒号と共に一人の男が両拳を強く打ち付けていた。
「レイジ様……そっちは壁ですよ」
「なんだと!! アング! 何故もっと早く言わなかった! オレはまた激怒しなければならないでは無いか!!」
レイジと呼ばれた男は、壁に向かって一人怒りをぶつけていた。アングと呼んだ女性に諭され部屋の中央へと向き直すレイジ。
広い環状テーブルの中央には、八つの角を持つ星形多角形の模様と中央には不気味な瞳が一つ描かれていた。
「スゴイですね! あのレイジさんが中位体の言う事を聞くなんて!! 私、感激です!!」
「お前もお前で驚きだわ、アドミーレ。そんくらいで感激してんじゃねえよ」
「なんでです!? 素晴らしいじゃないですか、アメイズさん! 自分の過ちに気付いて、部下の言葉にもしっかり耳を傾ける。これって本当に素晴らしい事だと思います!!」
「はぁ、またこの五月蠅い人達と一緒だなんて。なんて悲しい事……」
「五月蝿いとはなんだグリフッ!! あの御方からの招集の場で、そんな事を言う貴様には激怒せざるを得ない!!」
「少し黙れ。オレ様が居るにも関わらず、存在を無視するが如き五月蝿さではオレ様の恐怖が薄れてしまう」
「ハァ……また始まったんだーし。ハイハイ! 皆様お座りになるんだーし! これでは感情整地が始められないんだーし!!」
「……」
一同、ある人物の声により沈黙する。このなんとも言えないキャラの濃い集団。そう、八基感情である。八角形の星形多角形。その各頂点に合わせるかの様に、環状の机に座っていく八基感情達。
真北の位置は空席……。
そこから時計回りに順に、《感嘆のアドミーレ》。
東の位置に《恐怖のテッロ》。
《驚嘆のアメイズ》は南東位置に。
《悲観のグリフ》は南の席で悲しそうに顔を手で覆っている。
南西位置には、椅子では無く自身の使役しているダルクと呼ばれるクッションに座る《憎悪のヘイト》。
正面のテッロへ腕を組み、怒りを向けているのは《激怒のレイジ》。その後ろには護衛役なのか、《怒りのアング》が静かに立っている。
最期の北西位置の席には《予測のアンチーシ》。
「おい、アンチーシ。お前んとこのヴィジーランスはどうしたんだ。あと、あのババア」
「そうである! 代役を寄越す事は百歩譲るにしてもだ!! 席を空けるとはどういう事だ! このレイジ! 怒りを通り越して激怒しているッッ!!」
「いい加減にして! 貴方が激怒すると話が進まないの! 私怒るわよ!!」
「ク……」
テッロに便乗するかの様に激怒するレイジは、後ろに居たアングに叱られてしまう。力強く握った拳を机に叩き付け、嫌々席に着いたレイジは貧乏揺すりを始めるのだった。
「ヴィジー様はこの場を非常に警戒してるんだーし。だから今日はボクが代わりを務めるんだーし。《恍惚のエクス》さんは、恐らくサウザウンドリーフに向かってる筈なんだーし」
「またロクな事を考えてねえんだろうよ。それより、先の感情昇華した《嫌悪のディスガスト》はどうしたよ、嬢ちゃん」
テッロの問い掛けに反応した《憎悪のヘイト》は気怠そうに話し始める。
「彼女、ダメだった」
「はあ? ダメってどういうこった」
「消滅もしてない。でも、存在もしてない。新しい《嫌悪》が生まれない」
「だからそれは何でかって聞いてんだ! 話が進まねえなぁ」
テッロも苛立ちを隠しきれず、机上に足の乗せゴリゴリと音を立てる。
「灰色……曖昧な灰色に飲まれた……様に見えた……」
「もしかして例の吸収する奴か」
「恐らく……」
腕を組むテッロは険しい顔になり、再び問い掛ける。
「で? 他には? 何も無かったのかよ」
「……ティアルマート」
「ッッ!?」
一同がその名前を聞いた途端に空気が一変する。
「おい、それって」
「あれは確かにティアルマートの一族」
「冗談じゃねえぜ。よりによって古龍の一族が出張ってんのかよ」
「でも知らない女の子が一緒。彼女は……よく分からない……」
一同が会する感情整地と呼ばれたこの集まりは、夜通し行われた。
第三の勢力としてこの世界の脅威とされる八基感情の目的とは。だが脅威の存在である筈の彼らすらをも驚かせる、古龍一族ティアルマートとは何者なのか。
この世界に起こる災難は、未だ混沌の一端に過ぎない……。
――廉潔の黒――編 完。