第100話 応える先の答え
「ふぅ、厄介な事を押し付けなさる……ん?」
逃走したリム達の追撃を命じた二代目五黒星筆頭ヌルは、何かの違和感に気付く。今にも崩れ落ちそうな家屋の扉が閉まる音を聞いたのだ。既に原型を留めていない建物は、扉が辛うじて重力に耐えているのみ。しかし、その扉が閉まる音を確かに聞いたのだ。
「……」
ヌルはゆっくりと今にも倒れそうな扉のみの家屋の残骸へと向かい、腰に据えた鞭を握る。ゆっくり、ゆっくりと足を進め、何かに気配を覚られぬ様静かに近付く。扉の正面からじわりと側面に周り、一気に背後を確認したがそこにはただの瓦礫しか無かった。
「……」
機能が残っているか確認する様に、木製のドアノブに手を掛けた途端に崩れ落ちる扉。
「気のせい……か」
「死ねぇ黒軍ッ!!」
背後からの殺意に咄嗟に飛び退くヌル。殺意の正体は、反乱軍リーダーのカエノだった。
「みんな……みんな死んじまった! 標的のザハルにまで逃げられて……オレは、オレは……」
「反乱軍か」
「ハルも、リアも、リユーも! 道連れでも構わねぇ!」
「良いだろう。反乱を起こした覚悟に免じて、真向から受けてやろう」
ヌルは腰の鞭をスルリと抜き取った。一般的な長鞭にしては少々長い二メートル程。だらりと垂れた先端は地面に引き摺られ、生き物が這ったか様に跡を付けていく。
「この私と相対した事を誇りに思うが良い。黒王直属親衛隊五黒星筆頭、白蛇のヌル・ワイ」
「ご、五黒星だと! ヘッ! 良い土産話になりそうだ! オレは反乱軍リーダー、カエノ・キサキだ! いくぜ!」
カエノが長剣を構え、一歩を踏み出したと同時だった。ヌルは右手に握った長鞭を真上に振り上げ、カエノの左横を風が通り過ぎる。微かな振動が耳から脳へ、その情報は目へと移り、眼球、頭からと横切った先を確認するカエノ。
刹那だった。彼には今の一撃がゆっくりと脳内に情報伝達され、感情へと変化していく感覚が分かった。切られた風が、常識に反して裂けたままになっている。その後、何事も無かったかの様に空気の裂け目が閉じていく。
踏み出した右足が漸く地面に付き、カエノの動きは止まった。動けた距離は一歩、ただの一歩だけだった。
「どうした、来ないのか」
「……」
明らかにおかしい、ヌルは一歩も動いていない。距離にして二十メートルはある筈。鞭はその十分の一程度。だが、確かにカエノの横を通り過ぎて行った。
ゆっくりとヌルへと向き直した時、カエノは目を疑う。先程手に持っていた鞭は、白銀に光るかの如く神々しき白蛇へと変化していた。ヌルの右腕から肩、首へと纏わり赤い舌をヒョロリヒョロリと出し入れしている。
「これは白蛇鞭と言ってな。私の色力を込めるとこの様に白き蛇へと変化する。頼もしき相棒だ」
「こ……んなにも違う……のか」
そう、次元が違うのだ。色力による攻撃に曝されたカエノの膝は折れ、戦意を喪失する。
「元から命を取るつもりは無い。今のブラキニアが憎いのであろう。だがそれはブラキニア一族に非ず。更に中枢にいる中央黒染老と呼ばれる脳だ」
「だからなんだってんだ……同じ国じゃねぇか」
「今、私はお前の命を預かっている。その憎き感情がまだ消えていないのならば私と共に来い」
「……」
「兵、進路を北に! 目指すはザハル・ブラキニアの居城、ダーカイル城! 備品は破壊せず押収しろ!」
ヌルからすれば反乱軍は脅威ですらない。息をするかの様に軽くあしらわれたカエノは従う他無かった。兵達に両脇を抱えられ、徐に歩くカエノはどこか虚ろである。
リム一行の捕縛隊を除くヌルの軍勢は、静かに北を目指すのだった。
――――ブラキニア領 イーストブラック 港町。
「あんな重い甲冑纏ってオレ達に追いつけると思ってんのかねぇ?」
リムはせっせと足を前に出し、我先にと一行の先頭を走っていた。
「貴方は向かう方角も分からないのになんでボクの前を走ってるんですか」
「え? だって海に出るって言ったら港でしょ? 帆が見えてる方向に行けばいいじゃん」
「そうだけど……」
「キミ、諦めな☆ リムちんはこんなだから☆ ミルは先に埠頭の様子を見て来るね!」
「はぁ」
そう告げるとあっという間にミルは見えなくなってしまった。
「なぁドラドラぁ! もう少し静かに走れねぇのか! ズカズカ走ってたら音でバレるじゃんかよ」
「アンタ失礼ネ!! レディに向かって重いニュアンスの発言はデリカシーナッシングョ!!」
「ハィハィ、レディね」
「それにこの状況で空なんか飛べないワ。幾ら夜中だからと言っても上空は炎で照らされてるんだから。アンタ、ドームを背負ってるんだから文句言わないで!」
「へいへい」
「ドラドラぁ? あんまり乱暴に走らないでね! ミルっちのお兄ちゃん落ちない様に掴んでるの大変なんだから!」
「モー! ご主人様まで!」
一連の波乱が嘘の様に賑やかな一行である。
そんな中、最後尾にただ無言で後に続く姿があった。
ザハルの心中は穏やかでは無いだろう。国を想い、国の為に戦ってきた。その国に裏切られたのだ。増してや父に忠誠を誓った筈の五黒星にまでも目を付けられるとは思いもしなかっただろう。
しかし、現実は無情にも進んでいく。あの時あの場に残っていれば何か変わっていたのだろうか。そんな事を考えながらも悲憤の思いをぶつける術は無かった。だが、リム達に着いて走っている。その止まらぬ足が、今出した答えなのだろう。