第96話 過去への拳
「ザハルぅ! いい加減出てきてよー! 死人ばかり見つけても疲れるー!」
未だに姿を現さないザハルに苛立ちを隠しきれないミルは、あちらこちらに瓦礫の山となっている家屋を漁り、生き埋めになった市民や兵士を引き摺り出していた。
本人にも分からない。何故、敵地の人間を助けているのか。それはミル自身が経験して来た戦争の悲惨さを痛感しているからこその償いとでも言うのだろうか。
「何故助ける。お前にとっては敵じゃないのか?」
「あ! やっと出て来たな陰湿真っ黒角野郎め☆」
瓦礫の影から姿を現すなり酷い言われ様のザハルの眉間はヒクついている。だが、遺体や息のある者も含め続々と救い出されている姿を目の当たりにし、ザハルは複雑だった。
「あー、この人らね。見つけたの☆ そのままには出来ないからねー! 迷惑だった?」
「――ない……」
「ええ? あんだってぇ? 聞こえないよぉ☆」
「すまないと言ったんだぁあああああああ!!!」
ザハルもまた可笑しな行動をとるものである。自国の民を救ってもらった相手に対し、感謝の言葉を告げながら巨大な両刃斧で切りかかるのだから。
「オレが不甲斐無い為にこの様な惨状になった事は認めよう。だが、あくまでお前は敵! 敵に恩を売ろうなど見え透いた事をするな! 不快だっ!!」
「おっとっと。なんでぇ? 助けてただけだよー。別にいいじゃん? それに恩とかどうでもいいしー。ミルは君に復讐する為だけにここに来たんだもん☆」
愛刀の短剣をくるくると回し、ザハルに対し攻勢に出る。傍から見れば二人の行動、言動は理解し難いだろう。だが、少し離れた場所でドラドラの背に乗ったタータはニコニコと笑むばかり。
「ネェ、ご主人様ァ? ミル様は遊んでるわよネ?」
「ん~? あれは遊んでるんじゃないよー」
「エー? だってザハルってば隙だらけじゃない。いつでも首を落とせるわヨ」
「そんな簡単には行かないんだよ♪ ドラドラももっとお勉強しないとね♪ あの二人、ああ見えてかなり牽制し合ってるよ?」
「ソォ? アタシには弄んでる様にしか見えないんだけど」
「一瞬で決まるよ……」
タータの表情はにこやかなものの、眼は笑っておらず二人の行く末を見逃さんと真っすぐ前を見ていた。
「あれは……ザハル様ッ! 誰かと戦っている! アンタ、すまねえ、この兄ちゃんは置いていく。盾をくれ! ザハル様ァ! 御助力致します!」
二人の激闘に割って入ったのは、先程リムに手当を受けた黒軍兵だった。折れた腕を気にする事も無く、盾を受け取り躊躇いも無くミルの攻撃に自ら晒されに行ったのだった。
「んもー誰? 邪魔するなら殺しちゃうよ☆」
「誰だろうが、ザハル様を傷付けさせる訳にはいかない!」
「お前は……」
折角の復讐戦に水を差されたミルは機嫌を損ね、割って入る兵士へ切っ先を向ける。
「ミル! やめろォ!!」
その時間は正に一瞬だった。兵士の喉元には短剣が鈍く光り、血が滴り落ちていた。しかし、兵士の首が飛ぶ事は無く、血の元は鋭利な切っ先を握ったザハルの手からだった。ポタリポタリと血が滴り、リムの制止が一帯に木霊す。
「オレの目が届く所で兵士を殺す事は許さない……ッ!」
「ミル、お前の復讐は分かる! だけどこの戦いは、そんな簡単な事で拭えるものじゃないんだ!!」
「分かってるよ……」
ミルは再びザハルと距離を置き、短剣を構える。
「どいて。ミルはそいつを、ザハルをやらなきゃダメなんだ!」
「はい分かりましたっつって、主の命を奪おうとする奴を前にしてどけると思うなよ?」
「いい、どいてくれ」
「ザハ……ル様? しかし!」
ザハルは血塗れになった掌を兵士の肩に乗せ、前をあけるよう促す。
「お前の目的がオレだけなのであれば、兵士には手を出すな」
「いいよ☆」
「ザハル様……それはいけません! ザハル様無くしてどうやってブラキニアを導くのですか!」
「どうとでもなるさ、いずれ才有る者が現れるだろうよ」
ゆっくりと、ゆっくりとミルの前に足を進めるザハルは間合いの少し外で両刃斧を地面に突き立てる。
「さあ来い! 最早小娘などとは言わん。ホワイティアの霧の悪魔! お前の色力が勝つか、オレの色力が上回るか、見せてみろ!!」
ゆっくりと息を吐き目を閉じる。身体に宿る素の力を最大限に引き出し、ザハルの周囲には徐々に黒い靄が溢れ出してきた。
「覚悟は決まったね? 行くよ☆」
「ミル……」
リムは非常に複雑な感情を抱きつつも、事の顛末を見届けるしか出来無かった。
急に静まり返る周囲。燃え盛る家屋や砂塵、音を成す物は沢山ある筈なのだが、何故か一体は静寂に包まれる。これが死闘という間合いに入った空間であろうか。
だが、開始の合図は誰にも出せない。何分も、何十分も経ったかの様な錯覚を起こすほどに長く、長く、短い時間が過ぎて行く。
一瞬だった。瓦礫が燃え崩れる音と同時にミルは姿を消した。
「甘いッ!!!」
ザハルは後方を振り向き、影を纏わせた腕で防ぐように構える。
しかし、そこに居たのは短剣を腰に戻し、拳を突き出したミルの姿だった。
「ッ!?」
戸惑う時間など無かった。不意を突かれたザハルは、そのまま高速の拳を顔面に受ける。鈍い音が辺りに響き、吹き飛んだザハルは瓦礫へと一直線。
再び静寂に包まれた中でミルはこう言い切った。
「ザハル、討ち取ったりぃい!!!」
「……」
ミルが過去から抜け出したかの様な行動に、リムはやれやれと安堵の表情を浮かべる。タータは相変わらずにこやかに身体を揺らしていた。