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オロチ綺譚

信頼綺譚

作者: かなこ

シリーズ物です。上部「オロチ綺譚」より1作目「巡礼綺譚」からお読み戴けるとよりわかりやすいかと思います。

「ほう。これはなかなか快適だな」

 スイリスタル太陽系セイラン星の軍事司令官セイメイは、自由貿易船オロチのブリッジの予備シートからしげしげと周囲の計器を眺めた。

「南、いじってもいいか?」

「かまわんが、その席からだと何も動かんぞ」

 船長である南の素っ気ない言葉に、セイメイは残念そうに唸った。




 サウザンドビーにこんがり焼かれた船体を紆余曲折を経て中央管理局に修理してもらったオロチは、再び宇宙へ飛び出していた。

 目的地は惑星イザヨイ。高技術先進国であるスイリスタルに依頼して造ってもらった、半径50キロ圏内のあらゆるものすべての探知を不可能にするフェイクフィルタを運ぶためだ。

 しかし高性能フィルタであるが故に、精密機器に関してはシロウトであるオロチクルーには設置する事ができず、スイリスタル3惑星中で最も技術力の高いセイラン星の天才、セイメイが同乗する事になった。セイメイの現在の肩書きは軍事司令官だが、元々は技術畑の科学者だ。設置に問題はない。

 だがそれ以上に、あまり外部に知られないための人選でもあった。

 オロチの目的はイザヨイ星に存在するエルフの村を守る事だ。宇宙最大の組織であるUNIONと中央管理局、それに銀河海軍には嗅ぎつかれてしまったが、命がけでその3組織を黙らせる事に成功した。後は海賊や民間企業等の小さな組織に発見されるのを防ぐ必要がある。

 エルフは身体能力が高く、薬に関する知識も豊富で寿命も長い。おかしな組織の研究材料にされてはたまらない。そしてそれ以上に、オロチクルー達はエルフの村を愛していた。美しい風景、自然を敬愛する信仰、優しい民族意識。殺し殺される宇宙において、そこは楽園だった。

 彼らを守りたい。彼らの愛する故郷を守りたい。ただそれだけのために、見返りのない依頼を受けて来た。

 その目的がやっと叶う。南は口元をほころばせた。

「と、言う訳で、セイメイ軍事司令官」

 菊池はアイマスクとヘッドホンを取り出した。

「何だい?」

「これ、して」

 簡潔な依頼で、簡潔な目的を、セイメイは理解した。

 これはこれからオロチが向かう場所をセイメイに知られないためだ。オロチはフェイクフィルタの作成を依頼する際、どこに設置するか太陽系の名前すら口にしなかった。

「仕方ないな」

 あっさり了承して、セイメイはアイマスクとヘッドホンを受け取った。

「しかし、これをしたまま設置はできないからね」

「わかってるよ」

 菊池は笑って背を向け、セイメイはその背中を着陸するまでの最後の記憶とした。



 枝からこぼれ落ちる木漏れ日、視界を埋め尽くす緑、その間を通り抜ける風のなんと香しい事か。

 セイメイは魂を抜かれたようにその光景に魅入った。

 文句なしに美しかった。誰もが思い浮かべる理想の楽園が、そこにあった。

「これは……」

 そう言ったきり絶句するセイメイに、宵待が笑った。

「きれいな場所でしょう?」

 土を踏みしめるなど何年振りだろう。セイメイはゆっくりと小道を歩いた。

 道ばたは可憐な花に彩られ、上空には透き通るような鳥の鳴き声が響く。

「……なるほど。君達が命を賭けるわけだ」

 セイメイが恍惚とため息を吐いたその時、前方に人影が現れた。セイメイの知るどの惑星の文化とも合致しない繊細な刺繍の施された民族衣装をまとい、その頭部は鮮やかな羽で飾られている。尖った大きな耳からセイメイは初めてエルフである事を知った。

「……これは、どういう事です」

 女性的にまで美しく整ったその顔の持ち主からは、想像できないような低く冷たい声が発せられた。

「俺が呼んだ。ここを守るための新しいフェイクフィルタを設置してくれる科学者だ」

 落ち着いた物言いの南を睨み、エルフの族長であるヒバリは険しい表情を作った。

「そんな事を頼んだ覚えはありません」

「俺が頼んだんだ、ヒバリ」

 ヒバリの背後から浅黒い肌の男が現れた。彼が南の言っていたセキレイという男だろうとセイメイは思った。

「もう今のフェイクフィルタでこの村を隠すのは限界だ。お前だってわかってるだろう」

「セキレイ、あなたには幻滅しました。教えを忘れたのですか」

 セキレイを見ようともせず、ヒバリは南の正面に立った。

「長い付き合いでしたが今日までです。もう2度と僕の前に現れないでください」

「ヒバリ、俺は」

「何も聞きたくありません」

 ヒバリは美しいマントを翻した。

「オロチの着陸を許したのがそもそもの間違いでした。やはり我々は異文化と接触してはいけなかったのです」

 後半の言葉は力をなくしていた。その背は最後まで堂々としていたが、強い拒絶を悲しげに表現しているうようだった。

「南、すまん。説得できなかった」

 ヒバリが去った後、セキレイはがっくりと肩を落として申し訳なさそうに南に頭を下げた。

「いや、ヒバリの頑固さは俺もよく知っている」

 南は小さく苦笑した。こういう状況も、南はある程度想像していた。エルフの教えは強固だ。それを信じる者達の心も。

「状況が見えないな。説明してもらえないか?」

 セイメイの問いかけに、セキレイは弱々しく頷いた。



「エルフの教えの最初は、生命の誕生だ」

 南達はセキレイに案内され、村が一望できる崖の上に来ていた。宵待は思わずそこから上空を見上げた。以前ここに来た時に、滝のような魂の河が天へ昇って行くのが見えた場所だ。

「神がまず作られたのは、大きな1本の木だった。そこから他の植物が生まれ、動物が生まれ、我々エルフが生まれた」

 セキレイは村を見下ろしながらとつとつと話し始めた。

「雨が降り風が吹き、種子は遠くへ飛ばされ緑を増やした。増えた緑を追いかけるように、動物とエルフは居住地を広げた。だが最初の木はずっとそこにあった。世界の中心に」

 セキレイの髪を崖下からの風が揺らす。

「雷が最初の木を裂いた。それでも木は雨の力を借りて再生し、より強く大地に根を張った。風が最初の木を折った。それでも木は太陽の力を借りて折れた場所から新しい枝を伸ばした。強い日差しに枯れかけても、木は地下水の力を借りてそれに耐え、生命誕生の場所を守った。……南、この意味がわかるか?」

 セキレイが振り向いた。それに南は頷いた。

「最初の木のように、どんな災難も全て受け入れてありのままに生きる。……それがエルフの教えの根本なんだろうな」

 セキレイも頷いた。

「ヒバリはその教えを守ろうとしている。エルフにどんな災難が襲いかかっても、それを受け入れ、再生できると信じている。でも俺は違う」

 セキレイは目を伏せた。

「この間、上空を見知らぬ飛行船が何度も旋回しているのを見た。巨大な影が地上に落ちて、太陽を遮った。俺はその影に終末を感じた」

 近江が言っていた中央管理局の探査船だろうと北斗は思った。最新のジャイロコンパスを積んでここを突き止めた船だ。

「ヒバリは『灰の中から生まれ変わるものも存在する』と言うが、俺はこの村が未来永劫灰のままになるような気がする。それが恐ろしくてたまらない」

 セキレイは拳を握った。

「俺は死んでもいい。いつかは死ぬんだろう。だが、魂まで焼き尽くされてしまったら、俺はこの地に帰って来られない」

 セキレイは崖下の森を苦しげに見下ろした。

「この森が消えてしまったら、他の誰かのものになってしまったら、俺は……俺達はどうすればいい?」

 俺達はここでしか生きられない。

 セキレイはそう呟いて目を細めた。惜しみなく降り注ぐ太陽の光を受け、森は青々と息づいている。

「……わかった」

 南は深いため息を落とした。

「俺が説得してみよう。俺達だってここを失いたくはない」

 南の森を見る目も真摯だった。

「南、ヒバリは決してお前達を嫌っている訳じゃない。ヒバリがあれほど異文化や外からの客人を拒絶するには理由がある。その昔、まだ俺やヒバリが生まれるずっと前に、この村は滅びかけた事があるんだ。……人間を助けたが故に」

 森に迷い込み、飢餓で死にかけていた1人の人間を、エルフの村は救った。その人間は心から感謝し、元気になって村を出た後、幾度となく村に文明の利器をもたらした。

 最初は平和だった。文明の利器によってエルフの村は生活が便利になった。

 だが元々エルフは知的能力が高く手先も器用で、あっという間に入って来たものを改良し、よりよりモノへ変化させた。

 その改良を見て、人間は欲を出した。

 多くの人間がこの村に訪れるようになり、エルフに改良させ、人間の街で売る。そんな事をしているうちに、人間の街でも、そして平和だったエルフの村でも争いが頻繁に起きるようになった。

 個人の幸福のために他人を不幸にする。貧富の差が生まれ、恨みやねたみがエルフの村に侵入した。

 同じエルフ同士で争い、エルフ同士が殺し合うようになった。

 小さな村は真っ二つに裂かれ、悲しい戦いの末、生き残ったのはわずか数名の子供達だけとなった。そして、この村は外部との接触の一切を断ったのだ。

 その歴史を繰り返してはいけないと、ヒバリは自分の責任を強く感じている。

 それまでセキレイの話を黙って聞いていたセイメイは、視線を上げた。

「その役、俺にやらせてもらえいないか?」

「あんたが?」

 逆効果だと思うぜ、と言う柊に苦笑して、セイメイはふぅと吐息した。

「お前達がここは守らなければならないというのであれば、俺も協力する。そのために来たんだからな」

 セイメイはセキレイを見た。

「俺はスイリスタル太陽系セイランの軍事司令官セイメイと言う。オロチの連中の事は友人だと思っている。友人の願いは叶えてやりたい」

「ヒバリは文明が好きじゃない。あんたは相当文明が進んだ国の人間に見えるが」

「ご期待通り、おそらく宇宙の中でもかなりの技術先進惑星の者だ。だからこそオロチの連中は俺達にフェイクフィルタの作成を依頼したんだ」

 セイメイはふっと笑った。

「なんとかするさ。ヒバリはオロチの友人なんだろう? だったら話は通じるはずだ」

 セイメイはひらりと指先を振ってきびすを返した。



 村の中心を流れる小川の上流に、ヒバリは居た。

 川は更にその先へ伸びており、森の中へ進んで行く。

「こんなところに居たのか」

 見知らぬ声に、ヒバリは剣呑な瞳で振り返った。

「何の用です。さっさとここから出て行きなさい」

「まぁ話だけでも聞きなさいよ。フェイクフィルタを設置するしないは、それを聞いてからでも遅くないだろう」

 セイメイは近くの木に寄りかかった。長身のセイメイが両手をいっぱいに広げてもとても届かないほどの、太い幹をした大木だった。ここにはそんな木がごろごろとしている。

「俺がどこの誰かなんてのは興味ないだろう」

「ええ」

 いっそ清々しいほどの拒絶に、セイメイは笑った。

「お前と同じ、ただのオロチの友人だ」

「もう友人ではありません」

 ヒバリの声は冷ややかだった。エルフの長として、その命を預かる者として、部外者の介入は伝染病の侵入にも等しい。孤立無援のこの村を守るためにはどんな甘さも許されない。長の身にかかる責任は重大だった。ヒバリはそれを痛いほど感じている。

「でもオロチの連中は、お前を友人だと思ってるぞ」

 ヒバリは返答しなかった。感情を削ぎ落とした顔でセイメイを睨み返している。

「俺の持って来たフェイクフィルタは高価なものだ。オロチの宇宙船約50隻分かな」

「船の価値など知りません」

 ふむ、とセイメイは首を傾げた。

「そうだな……じゃあ、この村を5,000回滅ぼしてもまだ足りない程のミサイルと同じくらいの価値だと言えばわかるか?」

 ヒバリの眉間のしわがより強く刻まれた。

「知ってると思うが、オロチは決して裕福な船じゃない。誰もが認める貧乏貿易船だ。フェイクフィルタなんぞ購入しなければ、一生遊んで暮らせるようなその金を、いったい連中がどうやって作ったと思う?」

 セイメイは小川を見下ろした。まるで磨いたかのような丸い石が信じられない透明度の底に沈んでいる。

「まず、連中はここと取引したものを売って金を作り、金になりやすい香水を買った。その香水が実は違法薬物である事を知らずにだ。当然海賊に追いかけられて、荷を持て余した連中は仕方なく最も嫌っているUNIONと取引をして資金を増やした。次に、その金を頭金にして俺達にフェイクフィルタの作成を依頼した」

 さほど大きな金額じゃなかったけどね、とセイメイは笑った。

「オロチは次に、俺達の星から物資を調達し、それを売りにローレライという場所へ向かった。そこが1番高く売れる場所だからだ。ローレライで金を作るためにオロチはその惑星をコールドホールという化け物から命がけで救った。ここでオロチは1度全損している」

「全損?」

 ヒバリは思わず聞き返した。確かにさっき見たオロチは多少形と色が変わっていた事を思い出したからだ。

「そう、全損だよ。補助エンジンも尾翼も失い、システムは完全凍結。ついでにクルーも重傷を負った。そして、この場所はとうとう公に知られる事となった」

 ヒバリの顔がこわばった。

「先日、ここの上空を船が旋回しただろう? あれは全宇宙を管轄する中央管理局の探査船だ。中央管理局は海軍とUNIONにこの事実を報告した。それは実質的にこの場所が侵略されるカウントダウンに入ったという事だ」

「しかし、事実まだここは侵略されていません」

「まさかそれが神様のお陰だなんて思ってるんじゃないだろうな。オロチがここを守っているからに決まってるだろう」

 ヒバリの顔に初めて動揺が走った。

「UNION本部を襲おうとしている彗星を止めなければこの場所を全宇宙に公表する。そう脅されて、オロチの連中は再び命がけで心底嫌っているUNION本部を守ったんだ。ここでまたオロチは大きな損害を受けた」

 ヒバリは目を伏せた。セイメイの視線から逃げるためだ。

「そこまで必死になってもまだ金額が足りなかった。それでオロチは、最新鋭の宇宙船販売に協力して自分達のデータまで売った。まぁ他にも、途中で惑星のクーデターに巻き込まれたりブラックホールと対峙して菊池とクラゲが死にかけたりしたらしいけど、それは端折るよ」

 セイメイはふぅと息を吐いた。

「自分の故郷でも家族がいるわけでもない。そんな場所を守るために、連中は何度も自分の命を危険に晒した。それは確かにお前が頼んだわけではないだろうが、連中がここをどれだけ大切に思っているかの証左だとは思わないか?」

 ヒバリは返答しなかった。

「俺にはエルフの教えはわからない。わからないが、最初の木だって雨や太陽や地下水に助けられて生き延びたんだろう? だったらお前達が誰かの助けを借りたって、教えに反する事にはならないんじゃないのか?」

「……知ったような事を……」

 ヒバリは吐き捨てるように呟いた。だがその言葉には明らかに嫌悪以外の感情も含まれていた。

「正直に言えば、エルフが滅びたって俺は痛くも痒くもない。だがオロチの連中に悲しい思いをさせたくはない。彼らがここを守りたいというのなら、俺だって守りたい。……なぁ、ヒバリ」

 セイメイは笑った、旧知の友人に向けるような笑みだった。

「何も言わなくても命を賭けて助けてくれる友人がいる。それがどれだけ幸福な事か、お前は考えた事があるか?」

 ヒバリは何も言わなかった。何も言わず、逃げるようにセイメイから顔をそむけた。

「俺達が窮地に陥った時は、誰も助けてはくれなかった。税金を払っている中央管理局も、商品を融通してやっていた海軍も、俺達がいなくなると運営に支障が出るUNIONでさえ、通信が途絶えた事を理由に一切の救助を寄越さなかった。日に日に仲間達は傷つき倒れ、最終的に死者は40万人を超えた。ヒバリ、想像してみてくれ。ある日突然仲間との通信が途絶え、周囲を完全包囲するほどの巨大な海賊に、降伏しなければ皆殺しにすると脅された俺達の心境を。必死に戦っても状況は悪化するばかりで、敵の強大さ残忍さだけが克明になってゆく戦争の日々を。戦わず死ぬか、戦って死ぬか、その二択しか残されていなかった、あの時の俺達の現実を」

 セイメイは無表情だったが、それでも声からは苦痛が滲んでいた。

「どちらにせよ死ぬしかない、そんな状況の中、たった1隻の船が俺達を助けに来てくれた。それがオロチだった」

 軍事司令官をしているセイメイから見れば、学生の教材のように小さな機体だったオロチ。

 オロチがスイリスタルにした事は、実質的には樹脂の運搬と輸送船の護衛だけだ。だが彼らがスイリスタルに与えたのは、真っ暗な絶望の中に差し込む一条の希望だった。

「誰もが死を覚悟していた。俺達の歴史の終焉を予想していた。すべてを失うだろうと思っていた俺達に、オロチは『もしかしたら』という可能性をもたらしてくれたんだ。その小さな可能性が、当時の俺達にとってどれだけ救いだったか。いや、救いなんてものじゃない。オロチの存在は、俺達のすべてだった」

 もしあの時オロチが来てくれなかったら。

 そう思うとセイメイは今でも最悪の想像を夢に見て飛び起きる事がある。仲間が死に、都市が破壊され、略奪と殺戮に満ちた未来。その未来を変えてくれた。

「……君は、スイリスタルの人間ですか」

 ヒバリはぼそりと呟いた。

「知っていたのか?」

「以前、彼らに聞いた事があります。海賊に包囲された星系を手助けした事があると」

 その時のオロチクルー達は、特にたいした事をしたようには言っていなかった。だが彼らは多くの人の命と、そして未来を救っていたのだ。

「想像通り、俺はオロチに命を救われた惑星の者だ。オロチの頼みとあれば断る事ができる立場ではない。それでも連中はまっとうな商売を俺達に求めた。恐喝するなり何なりされてもこっちは文句を言えないのに、馬鹿正直にフェイクフィルタの作成を依頼して来たんだ。足りない分は後で必ず払うと言ってね」

 なぁヒバリ、とセイメイは大きな木を見上げて呟いた。

「お前は、オロチを信じられないか?」



 オロチクルー達が宇宙船に帰った後、セキレイは小川のほとりでため息を吐いた。

 自分のしている事はもしかしたら間違っているのかもしれない。教えに背いているのかもしれない。

 でも、自分が天罰を受ける事によってこの村が存続できるのなら、それでかまわなかった。

 この村を愛している。優しい者達のささやかな幸せを大切に思っている。それを守れるのなら、教えに背いて罰せられてもいい。

 エルフの村では長は絶対だ。自分は追放を言い渡されるかもしれない。そうなれば2度とこの村へは戻れないだろう。でも、生きているうちには戻れなくても、魂になった時には戻って来られる。その場所を守りたかった。

「セキレイ」

「のあっ!」

 急に名前を呼ばれたので、セキレイは驚いて小石を踏み外して転びそうになった。

「な、なんだ、ヒバリか。どうした?」

「こっちのセリフですよ。いちいち驚かないでください。騒がしい」

 ヒバリはため息を吐いてセキレイを睨んだ。

「明日は太陽の泉へ禊に行く事にしました」

「え? 明日って禊の日だっけ?」

「行きたいと思ったから行くんです。何か問題でも?」

「ああ、いや」

 禊は大切な行事だ。しかし太陽の泉は遠い。行けば明日は1日中ヒバリと話す時間など取れない。セキレイはおもむろに残念そうに肩を落とした。

「そうか……」

「だから村を頼みます」

 セキレイは力なく頷いた。セイメイの説得はヒバリの心を変える事はできなかった。オロチだってそう長くは停泊できないだろう。そうそう時間は取れないに違いない。早く説得しなければいけないのに。

「わかった……。でもな、ヒバリ」

「くれぐれも頼みますよ。この村で何が起ころうと、太陽の泉では何も察知する事ができないんですからね」

 セキレイは顔を上げた。

「え?」

「ですから」

 ヒバリは不自然にそっぽを向いた。

「例えおかしな機材を村に設置されたとしても、僕にはわからないと言ってるんです」

 鈍いセキレイでも、ヒバリが何を言いたいのか察する事ができた。

 自分は長として異文化の侵入を許す事はできない。しかし目の届かない場所であれば、何かあったとしてもそれをとがめる事も止める事もできない。

 つまり、自分の見ていないところで勝手にしろと。その間の権限をセキレイに許すと。

「ヒバリ……!」

 セキレイはヒバリの手を取って強く握った。

「ありがとう! ありがとうヒバリ!」

「何をおかしな事を言ってるんです。僕はただ禊に行くと言っただけですよ」

 つんとそっぽを向いて、ヒバリはそのまま自分に家に戻って行く。だがその耳が赤かったのをセキレイは見逃さなかった。

「ゆっくり禊って来いよ!」

 ヒバリはため息を吐いたように両肩を上下させ、振り向かずにその場を去った。



「……いったいヒバリに何を話したんだ?」

「たいした事は話してないよ」

 身に付けていたセイラン星の軍服を近くに放り出して腕まくりをするセイメイを見ながら、セキレイはその軍服を拾い、近くの枝にかけた。

「しかし、俺があれだけ説得しても聞く耳を持たなかったのに」

「オロチの連中がどれだか馬鹿か、という話ならしたかな」

 それはどういう意味だと唸る菊池を無視して、セイメイは工具箱のようなものを開いた。

「さて、ここが村の中心だな。じゃあちょっとセッティングするから、従来のフェイクフィルタのデータを見せてくれ」

 南は苦笑して小型の端末をセイメイに手渡した。それが現在稼働しているフェイクフィルタの端末だった。いくつも設置した端末でぐるりと村を囲み、それを受けてメイン装置があらゆる干渉を排除している。

「ふむ……さすがエンテン星のマシンだ。政府お抱えでもない開発者が作ったとは思えないな」

 ケーブルで繋いだ端末から新しいフェイクフィルタへデータを送信しながら、セイメイは他にいくつも操作した。

「磁鉄鉱があるという事は聞いていたが、ここまで強力な電磁派とは思わなかった。可動範囲の制限を解除するプログラムを入れておいて正解だったな。四季の気温差と季節的な自然現象も端末にはインプット済み……というか自動付加プログラムで再計算し修正されているのか……すごいな」

 ぶつぶつ言いながらセイメイはフェイクフィルタを操作した。

「なぁセイメイさんよ、あんたを疑うわけじゃねぇけど、本当にそんな小さいもんで半径50kmも補完できんの?」

 セイメイの手元を見てぶしつけに呟く柊へ、セイメイはむしろ嬉しそうに笑った。

「スイリスタルの技術を舐めないで欲しいね。これは単純にこのマシンを中心に円状に地域をカムフラージュするものじゃない。エルフの発する熱を関知してフォロー範囲内を常に自在に変更する事が可能なマシンだ。海軍や中央管理局のジャイロコンパスはもちろん、高性能なサーモグラフィも他の生物に自然にスライドさせて不自然さを消す機能も持っている。光や音ももちろんフォローしているし、ほとんどの部品がウンカイ星のレアメタルで作られているから腐食も少ない」

「う、ウンカイ星のレアメタルで作ったの?」

 クラゲを抱えたまま愕然とする菊池に、セイメイは低く笑った。

「もちろんだよ。そうでなければ間違ってミサイルやエネルギー砲を受けた時にバリアを張れないだろう?」

「ちょっと待って。シールド機能も持ってるの?」

 今度は北斗の驚愕した言葉に、セイメイは当然だと頷いた。

「何せ君らはこれをどんな場所に設置するのかまったく教えてくれなかったからね。あらゆる可能性を考慮して造り上げた一点ものだよ。同じ物をもう1つ作れと言われてもできないね」

 何を言っているのかまったくわからず、セキレイは宵待に色々質問したが、宵待はそのほとんどを笑って誤摩化した。

 新しいフェイクフィルタの大きさはせいぜい30cm四方に満たない。だがそのすべてがウンカイ星のレアメタルで造られているとあれば、価格はその辺の宇宙船100隻相当に匹敵する。その上、内臓されている部品は宇宙で1、2を争う精密機器製造惑星であるヒムロ星のものだろうし、陽子ミサイルをも防げるSシールドを開発したセイラン星がその技術を使ってあらゆるデータからシールドまでできる出力と耐性を詰め込んだマシンとなれば、とてもセキレイに説明できるものではない。

「うーんと、とにかく宇宙一のフェイクフィルタだよ」

 宵待の曖昧な説明にセキレイはよくわからないながらも頷いた。

「硫酸のごとき酸性雨が降ろうと、地殻変動が起きて溶岩を被ろうと、このマシンはびくともしないよ。なぜなら」

 セッティングを終わらせたセイメイは、フェイクフィルタから手を離した。途端にマシンは重力を無視して浮き上がった。

「このフェイクフィルタは自身を保護する機能も兼ね備えている。あらゆる有害物質を除ける事が可能だ」

「はぁ」

 セキレイはまだよくわからないという顔で、ぽかんとフェイクフィルタを見ていた。

「さて、ここからはセキレイ、君に覚えていてもらいたい機能だ」

「俺が?」

「そう。単純だから大丈夫」

 セイメイは小さなフタを開けた。

「データは自動更新されるからバックアップは不要だし、エネルギーは自身で大気中のイオンから生成するから問題はないけど、もしこのマシンを止めたくなったらこの赤いボタンを押すと30秒以内に機能を停止する」

「多分そんな事にはならないと思うけどな」

「そうだといいが、この先何があるかわからないからな。そしてロデア砲くらいならびくともしないが、もし核ミサイルや反陽子ミサイルクラスのでかい攻撃があった場合、シールドに必要なエネルギーが不足する事態も考えられる。その時はこの青いランプが点滅するから、そうしたらこの黄色のボタンを押せば、エネルギーの再充填をフル稼働させる事ができる。まぁ、反陽子ミサイルなんか撃たれたらこの惑星はこの村だけを残して消滅するだろうけどね」

 説明を聞いていた南は呆れたようにため息を吐いた。

「つまりこのフェイクフィルタは広域にSシールドを発動させる事ができるわけか」

「まぁね。ミサイルが影響範囲内に来ると自動で起動する。そして再起動はこの青いボタンだ。何も知らない奴が勝手にいじらないよう、このフタはこうやって2段階の操作をしないと開かない」

 セイメイはフタを開閉させて見せた後に、そっと閉じた。

「以上だ。何か質問はあるかな?」

 ちょっと考え込んだセキレイは、ふと顔を上げた。

「この機械を使ってオロチと連絡を取るという事はできないのか?」

 セイメイは首を横に振った。

「それはできない。通信波を飛ばせば近くの船にキャッチされる可能性がある」

 そうか、とセキレイは残念そうにつぶやき、ふっと笑った。

「じゃあ、今まで使っていた装置は回収するのか?」

「それはやめておくよ。新しいフェイクフィルタの耐久性は折り紙付きだけど、何があるかわからないからな。もし間違って壊れでもしたら、以前のフェイクフィルタでもないよりマシだろう」

「耐久性は、一応いつまでなら保証してもらえるんだ?」

「オロチの連中のひ孫達が全員じじいになって引退するまで、かな」

 セキレイは声を上げて笑った。

「充分だ」



 フェイクフィルタを設置した翌日、オロチはイザヨイ星を発つ事にした。

 それぞれが自分勝手に作った得意先と取引をし、今回は宵待も一般のエルフと羽を物々交換した。綺麗な細工物を手に入れてほくほく顔で帰って来たクルー達を見て、留守番だったセイメイは笑った。それらの商品を見ても、やはりセイメイにはこの惑星がどこなのかわからなかった。でもそれでいいと思った。詮索するつもりもなかった。

 何一つ持ち帰る事は許されないが、見て回る分には何をしてもいい。そう言われていたので、セイメイは出発前にもう1度土を踏む事にした。

 セイラン星は整備された美しい惑星だが、地面のほとんどはアスファルトで覆われている。公園もある事はあるが、ほとんどは全面が人工芝で覆われた土地だ。それに比べてここは太古の自然がそのまま生きている。大地と共に生きる事、その偉大さを噛み締めながら1人で歩いていると、ふと開けた場所に出た。そこは火祭りの大祭が行われる神事の場所だったが、セイメイには何をする場所なのかわからず黙ってむき出しの地面を見つめた。

 もう2度とここへは来られない。来る必要もないだろう。ここでの出来事はすべて夢だと思おう。

 出立まであとわずかの時間しかない。きびすを返そうとしたセイメイの視界に、繊細だが存在感のある人物の影がよぎった。

「ヒバリ……」

 ヒバリは一瞬躊躇したように見えたが、次の瞬間にはスタスタとセイメイに近づいた。

「やっと出て行く気になったようですね」

 つっけんどんな口調はそのままだ。セイメイは苦笑した。

「まぁね」

「ここで見た事など、誰に言っても信じてもらえませんよ」

「誰にも言うつもりはないよ。俺にとっては夢の中の出来事に等しいからな」

 天へ伸びる無数の大木。小鳥の舞う天空。様々に咲き乱れる色とりどりの花。底が見えるほど透き通った川。そんなものは、セイメイの惑星には存在しない。

「……本当にきれいな場所だ。こんな土地で生きられるお前が羨ましいよ、ヒバリ」

 昨日の夜、オロチの中から見た月夜の風景は絶景だった。七色に輝くエルフの灯火は、頭がおかしくなったのかと思うほど幻想的だった。

「もう2度と会う事もないだろう。元気でな」

「あなたに言われるまでもありません」

「オロチの連中には会わないつもりか?」

 ヒバリはしばし黙り込んだ後、ごそごそとマントの中へ手を突っ込んだ。

「僕は忙しいのでそんなヒマはありません。だからこれを渡しておいてください」

 ヒバリが差し出して来たのは、折り畳んだ和紙のようなものだった。

「これは?」

「今回彼らは手ぶらで来ましたからね。次に来る時はそれを持って来るようにという商品のリクエストです」

 手ぶらではなかった。フェイクフィルタという、エルフの村の存亡に関わる大切なものを持って来ていた。だがヒバリの中ではそれはなかった事になっている。少なくとも建前上は。それを強調しての言葉にセイメイは笑った。

「わかった。渡しておこう」

「頼みましたよ」

 背を向けたヒバリは数歩歩いてから足を止め、逡巡してまたスタスタとセイメイの前に戻って来た。

「まだ何か?」

 ヒバリは1度口を開きかけて閉じ、うつむいて、また口を開きかけて閉じた。

「……どうした?」

 やがて、ヒバリは迷いを吹っ切るように顔を上げた。

「ここは、惑星イザヨイの北半球、座標AD358です」

 セイメイは瞠目した。オロチがあれほど守ろうとした秘密を、ヒバリは自ら口にした。場所が知られれば他からの介入もありえる。それはヒバリが最も嫌っている事ではなかったか。

「どうして……」

 ヒバリはつんと顔を背けた。

「彼らは馬鹿ですからね。また何か馬鹿な事をしでかして、その時に僕に何か手助けができそうであれば、連絡してくださってもいいですよ」

 フェイクフィルタがある限りこの村との通信は不可能だ。連絡するとなれば直接来るしかないだろう。

 また来てもいい。また会おう。言外にそう告げるヒバリに、セイメイは破顔した。

「わかった。その時は必ず連絡しよう」

 セイメイがその言葉を言い終わる前に、ヒバリはさっと背を向けた。必要以上に不機嫌そうな表情を作ったまま。

「元気でな」

 再びそう告げるセイメイの声を背中に受けながら、ヒバリは足早に歩き出した。

 本当に馬鹿な連中だ。ここを守る為に1度ならず命を賭け、恩着せがましい事の1つも口にしない。なんて馬鹿な連中だ。そんな人間、見た事も聞いた事もない。

 ヒバリは村の中心へ向かった。そこに新しいフェイクフィルタがあるはずだと見当を付けたのだが、思った通りそこには小さな球体の機械が浮いていた。

 それは、彼らがここを大切に思ってくれている事の証。

 たった1人でこの村を守っているつもりだった自分に、同じようにここを守ろうとしてくれている友人がいる事の証。

 ふと重低音に気付いて顔を上げると、木々の枝の間から白い機体が飛んでゆくのが見えた。

 セイメイにこの場所を告げたのは、彼らを信じているからだ。

 彼らは決して自分達を裏切らない。その彼らの友人なら、この場所を告げてもいい。そう思った。

 去るオロチを見ながら、ヒバリはふっと笑った。







 それは、エルフの村を去る直前へ遡る。

「と、言う訳で、セイメイ軍事司令官」

 菊池はアイマスクとヘッドホンを取り出した。

「何だい?」

「これ、して」

 それを聞いて、セイメイは視認し得ない程度に口角を上げた。

「仕方ないな」

 あっさり了承して、セイメイはアイマスクとヘッドホンを受け取った。

「ああ、そうだ」

 セイメイは思い出して、ヒバリから受け取った和紙を菊池に渡した。

「これをヒバリから預かっていた。次に来る時はそれを持って来るようにとの事だ」

 セイメイの言葉を聞いていたクルー達は、もう2度と来て欲しくないと思われているんじゃないかと思っていたので、その言葉に心から安堵した。

「……ありがとう」

 菊池は嬉しそうにそれを受け取り、いそいそと広げた。

「ええと……植物油と調味料と鉱石と……」

 そこで菊池の言葉が止まった。

「どないしてん、朱己。入手が難しいものでも書いてあったんか?」

 菊池の背後から覗き込んだ笹鳴は、最後の一文を見てふっと笑った。

「あいつ、ほんまアホやな。何が『誰1人欠ける事のないクルー全員の健康と元気』や」

 ブリッジに笑みが広がった。

「さぁ、出発するぞ。全員席に着け!」

 南の号令に全員が離陸体勢に入った。

「エンジン全開! オートリフレクターセット! 船体浮上秒読み10! 9! 8!」

「エンジンローダーノーマル解除!」

「4! 3! 2! 出力曲線レブリミット!」

「発進!」

 北斗の声と同時に浮遊感を感じ、セイメイはアイマスクとヘッドホンを装着した。

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