三人の女御
宮中の華やかさを彩るのは、部屋から滅多とでない女御たちよりも、女御たちに仕える女房たちです。
藤壺には小式部という、若くて美しい女房がいますから、彼女が居ることによって鞠子の格も上がるのです。
先程麗景殿から使いでやって来たのは、柚葉という若くて髪は黒々として長く、すっきりとした目元も涼やかで綺麗な女房です。柚葉はまだ見たことがなかったので、新たにどうやら呼び寄せたようです。
「女御さま、また...」
また、と衛門がささやいた、その視線の先には柚葉が持ってきた麗景殿の女御から贈られた“濃き色の袴”でした。
「また...濃き色とは...」
女性の袴は濃き色は若い女性、もしくは結婚、出産前の女性が履くものです。ですから、濃き色の袴は鞠子が着てもおかしくはないのですけれど、この場合は...とても嫌味を感じてしまいます。
「まぁ、あの手この手で...」
少し呆れがちに衛門が呟きました。
「そんな白々しい。女房同士、あれやこれやでやりあってるんでしょう?」
「やりあってるだなんて、女御さま。はしたないお言葉を!」
「まあ、いいわ。濃き色の袴を頂戴したのですから、相応しいお礼をしなくては...。濃き色だから、思いっきり鮮やかな緋色の袴を贈ることにしましょう」
鞠子がそう言うと、
「承知致しました。早速手配を致します」
濃き色に対して、緋色の袴は産後の女性や既婚女性が身に付ける一般的なものです。けれど、この場合はあなたの嫌がらせなんて露ほどもなにも感じません。と、いう意趣がえしです。
そんな風に、麗景殿側とあれやこれやと、やりあってる間に....。
「大変ですわ...!今、嫌味たらしく『そちらはまだ?』と...。梅壺の女御さまに懐妊の兆候がおありなのだそうです」
慌てて、鞠子に告げたのは小鈴という女房です。
「そう、おめでたい事ね」
「そんな...のんきな事を仰って」
「主上は男皇子を欲しがっておいでですもの。それをお産みするのが誰であっても、喜ばしいことだわ」
まして...、麗景殿の女御や鞠子と比べて、穏やかで美しい梅壺の女御は、近頃機嫌の宜しくなかった、麗景殿の女御や、またまだ若くて頼りない鞠子よりも、長く側に仕えている梅壺の女御は帝にとって安らぐ人なのではと思えました。
自然と足が向いてしまうのも仕方ない事です。
そうは考えても...。やはり気持ちというものは御しがたい...。
自然と、深くため息が出てしまいました。
「いかがいたしましょう」
「どうも、なにもしなくていいわ」
しかし、そうなると...篤時がきっと何か言ってくるだろうなとそんな風な予想をしてしまうと、ますますため息は深くなってしまうのです。
「女御さま、今からこちらへ帝が...!」
慌てて言うのは菖蒲でした。
「静かに...バタバタとしては見苦しいわ」
そう言うと、衛門が鞠子に五つ衣とそれから小袿を着せて身なりを整えてくれました。暑い時期なので脱いでいたのですけれど、単は透けているので帝を迎えるのには障りがありました。
女房たちがお迎えの準備をしていると、帝とそれから兵部卿の宮、それに鞠子の知らない直衣の端整な顔立ちの男性でした。
帝は御簾を上げて入って来られたので、兵部卿の宮とその男性と鞠子は一瞬御簾のない状態で目が合ってしまいました。
「鞠子の機嫌を伺いに来た」
明るい陽の中で見れば、やはり帝は高貴な、美しい男性です。
「鞠子ははじめてだったかな?弾正伊の宮だ」
「弾正尹の宮さまと仰ると...」
「伯父に当たる方だ」
伯父といえど、弾正尹の宮はまだ若く帝とそれほど差がないように思えました。
孫と同じ年頃の子供がいるとは、先々帝はお元気でいらしたのでしょう。
見れば、帝と兵部卿の宮が華やかな雰囲気があるのですが、弾正尹の宮はくっきりとした目元で男らしい容姿です。
「...それで...不義理をしていらっしゃるから、援護をお頼みになったの?」
くくっと帝が笑いました。
「淋しく思わせたかな?」
淋しくさせるのも...楽しませるのも...。
全ては目の前のこの男性次第。
「さぁ...主上の仰る通り、わたくしは帝の女御ですから...ご意志に逆らうなどとんでもないことですわ」
鞠子の横で寛ぐ帝は、
「ふっ...。相変わらず鞠子は面白いな」
扇ごしにいとも優雅に微笑んでいます。
「そうでしょうか?」
鞠子は、そしてその顔を見ながら、
「梅壺の御方の事を、聞きましたわ。喜ばしい事です」
「耳が早いな」
「わたくしの耳ではなくて、あちらさまのお口が滑ったのですわ」
「なるほど...」
帝はパチリと扇を鳴らしました。
きっと、その事がこちらの耳に入るよりは知らせに来たのか、それで機嫌を損ねるのを気にしてきたのかと。先に鞠子が口にしてしまったのでしょう。口元を扇で覆って何か言葉をさがしてるように思えたのです。
そこへ、庭の方を見れば夏風の少将がやって来ました。
「恐れながら申し上げます。そろそろ紫宸殿にお戻りください」
「やれやれ...もう少し、ゆっくりとしたかったものだが」
「はっ」
夏風の少将はそう頭を下げても、ゆっくりさせるつもりは無さそうでした。
帝は立ち上がり、女房たちが衣を整えると、
「では、また...話の続きはまた日が暮れてからに」
「はい、お待ち申し上げております」
わざわざ顔を出して、これだけを伝えに来られるとは律儀な事です...。
けれど...そのわざわざが嬉しくあるのも、事実でした。
帝が御簾を上げてまた出ていく際に、視線を感じて見れば...弾正尹の宮とかっちりと視線が合ってしまいました...。
ドキリとしてしまったのは、その眼がとても美しかったからでした。