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百花繚乱  作者: 桜 詩
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月影と夏風

おーし、おーしと先払いをする声がして、

「あら、どなたかしら」

三条が言えば

「左大臣さまか、朝霧(あさぎり)の中将さま?それとも月影の少将さまかしら」

衛門が室内を整えながら鞠子の方を向きました。


女房たちのざわめきが大きくなるから、これはきっと麗しい公達に違いないと鞠子は予想しました。

先払いの声がしてからも、なかなかその人物が現れないのは美しい女房とでも、艶っぽい話でもしているのでしょうか。


「やあ、藤壺の女御さま。ご挨拶に参りましたよ。こちらは私の友人夏風の少将」


仕立てのよい直衣姿の二人は、華やかなくっきりとした容姿の夏風の少将と、そして鞠子の兄の篤行 月影の少将その人で、控える女房たちが少しでも近くにと、いざるその衣擦れの音が驚くほど大きく聞こえます。


「兄上さま、おひさしゅう」


「本当に、こうして御簾ごしの対面すら久しい」

「こちらが、左大臣家の秘蔵の姫君か。さすが、なんど垣間見を頼んでも無理だと言われた訳だ。帝の女御さまになられるとはさぞや美しい姫君なのでしょう」

率直な言い回しが、その名の通り爽やかな印象を与えていました。


「夏風はあちらこちらに気が多い。大切な妹をお前にはやれない」

「なんの。まだ運命の人にお会いしていないだけで、もし女御さまに主上より前にお会いしていたらきっと心を奪われていたでしょう」

「暗闇なら、わたくしのこともきっと美しく見えましょう」

くすっと鞠子は笑った。

「暗闇とは...またこれは艶な。帝の女御とそのような場面になれば...、源氏の君の気持ちを身をもってという所ですね」

夏風もまた扇を口許にあてて笑い声をあげた。

「これだから、夏風は油断ならない。道ならぬ恋さえも楽しい遊戯に変えてしまう」

微笑む月影の言葉に周りの女房たちもさざめくように笑い声がおこる。


今をときめく若い二人との対面は確かに、目にも心にも楽しい。


「さすが藤壺には、他にも美しい人たちがいらっしゃるね」

笑い声を受けて夏風が目を向けたのは端近くにいた女房 藤壺一美しいと評判の小式部である。

「あちらこちらでその言葉を言っていらっしゃるとしても、わたくしはお恨みは致しませんわ」

くすりと微笑んでいう小式部は、本当に(なまめ)かしくて夏風も見惚れているようで、その並ぶ様はとてもこの宮中と似合いまるで絵巻のよう。


その二人が話し出すと、

「女御さま、すこし近くに」

篤行の言葉に、これはもしかすると昨夜の事かと御簾ごしに寄る。

「言いたい事なら想像はつきます」

篤行は扇を広げ、囁くように聞いてきました。

「...入内は、嫌だったのか?」

「はい。嫌でした、でも仕方ないと」

「...知らなかった。父上はお前が喜んでいたと」


「黙っていたら、そのように思われたようです」

「なるほど。父上はそういうご都合の良い所があらせられる」

「ええ、そのようです」

ふぅ、と息を吐くと

「すまないな」

「左大臣家に生まれたからにはこのような事はわかっております」

「何でも相談しなさい。あなたは私の妹なのだから、遠慮はいらぬ」

「はい。兄上さま」

篤雅と篤行、それと鞠子は母が違う。


篤雅は北の方(※篤時の正妻)、篤行は西の対にすまう白菊の方、鞠子の母は篤時が外で茜の君という女性に産ませて引き取った娘でした。

二の姫 晶子(あきこ)は北の方の娘であり、まだ裳着(もぎ)(※女子の成人の儀式)もしていないほんの少女です。


「主上は稀にみる素晴らしい御方だから、きっと幸せになれるだろう」

「...なれど、あの御方は...とても恐ろしい方です」

そう鞠子が告げると、月影は片眉をあげた。

「さて、そろそろお暇をしようか、これ以上居ては大切な女御の女房たちが夏風に(さら)われてしまう」

「まぁ」

と女房たちがクスクスと笑う。


*☆*☆*☆*


そうして、夜。

この夜は衛門すら居ず、隣室に控えているのか...。

暗き室内にただ一人で帝を待つのは心細く


(これも、もしや衛門の思惑なの?)


こうして人寂しくなれば恐れる帝さえ、待ち遠しくなるというのか...。

「...はやく...」

ぽつりと呟けば、応えるかのようにカタリと音がする。


ピクリと音の方を見ればそこから、覚えのある香の匂いがして

「今夜は、可愛らしき声が聞こえたものだ。鞠子」


御簾をあげて、鞠子の側に来た帝は傍らに座り月明かりの元の朧気な中で顔を覗きこんだ。

「頬が、濡れている。泣いていたのだね」


「誰もいないのだもの...。それに、主上は...恐ろしいのですもの」

そう呟けば、

「なるほど、昨夜は確かに脅かしすぎたやも知れぬな」

くすっと笑みを浮かべたのが分かり、思わず顔を見返し

「お笑いになるなんて」


「怖がらせた詫びに、今日は優しくしてやろう。ここへ座れ」

示されたのは、帝の膝である。


「それではまるで童のようです」

「そなたが童ではないことは知っているよ」

さぁ、と手を伸ばし促されて鞠子はその膝に座った。

しっかりと抱き止められ

「鞠子は箏の琴が得意だと聞いたが」

「人並みに弾けるだけです」


「それは楽しみだ。管弦の宴が」


ゆったりとこうして話してみれば、この夜はさほどの恐ろしい人でもなく膝の上で抱き締められればただ温かく安堵さえしてしまう。

こんな風に、抱き締められた事なんて記憶には残っていない。


『そのうちに慣れますから』

確かに...。昨日よりも今日、今日よりも明日と、日毎に慣れてゆくのかも知れない。


「ふっ...。まだ共寝に慣れるには時がいるようだ」

まだ緊張の残る鞠子に気づいたのか、そう呟きが聞こえ

「今宵はどうか、お許しを」


「許しを、か...」

少し間を置いた帝はゆっくりと口を開いたかと思えば

「そなたにはそなたの思いがあるように、私にもあるのだ」


昨日よりも柔らかな接吻は、優しくも思え、けれど思わず手は帝の肩を押していた。その手さえ力強い長い指で捕らえられ容易く力を失ってしまう。


3日通うのが、この時代の結婚の習わし。


明日を過ぎれば、帝はどこへ渡るのか...。


くゆる高貴な香、(きぬた)で打った美しい衣、力強い腕と、そして滑らかな肌と。しなやかな長い指。

それを知っているのは、鞠子だけではなかった。そう思えば、例えば源氏の君の世界の女君たちや、女君たちの日記や、和歌に込められた様々な文字たちがまるで息づいて、語りかけてくるように思えたのでした...。

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