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百花繚乱  作者: 桜 詩
11/13

恋文


《 かくとだに えやはいぶきの さしも草

  さしも知らじな 燃ゆる思ひを (※藤原実方朝臣)》


[※ あなたがこれほど好きだというのに言えないでいます。言えないからあなたはそうとも知らないでしょうね。ちょうど伊吹山のさしも草のように燃えているこの思いを。]



その和歌の書かれた文が、そっと文箱の中に入れられていたというのに、女房たちは誰も知らないと言うのです。

見覚えのないその文をそっと開いて見れば、それは帝の手磧でもありませんし、鞠子の知る誰の物でもなかったのです。


そして、誰か別の人あてが紛れていたのでもありません。

何故ならば、『まりこさま』と書かれていたからです。


堂々たる筆運びといい、墨の具合といい男手であることには間違いなく...。それ以上それを置いた犯人探しをしなかったのは、間違いなく鞠子は女御という身分で、その鞠子にこんな手紙を書くなんて、よほど命がけの本気なのか。それとも、危険を楽しむようないたずらか...もしくは、罠か。

いたずら...だとしても、このようなまっすぐな恋の歌は心がときめくものです。


燃ゆる思ひを...。


こんな風に思われたいと、女なら憧れた事が一度くらいあるはずで、鞠子だとて、そうです。

帝は...。怖い方ではないと今では分かっているし、女御として大切に...他の女御たちと分け隔てなくされているのはわかっています。

そして、鞠子が密かに慕わしく思っていても、この先も鞠子だけを思ってはくれないのです。

もしも、今、この文の男性(ひと)がいたならば...。鞠子はどうするのでしょう?


ふと、先日御簾ごしに目のあった弾正尹の宮の事がふっと思い出されました。あの、まっすぐな黒い瞳に射ぬかれながら、あの低い響きの良い声で、まっすぐに想いを告げられたら....。


鞠子は拒否できるでしょうか?


そんな風な妄想を膨らませてしまいました。


何となく、反古紙にしたくなくて、それは再びそっと文箱に仕舞いました。


普通なら、恋文の一つや二つ、貰ったこともあったでしょうけれど、鞠子は入内させる予定で、篤時は男性を近づけませんでしたし、そしてそのまま入内してしまったのだから、ついぞそんな機会には恵まれなかったのです。


上辺じゃなくて、本当の思いの籠った恋文を、一度貰いたかった。そんな諦めていた密やかな願いが叶えられたような気持ちです。

誰か分からないけれど、本当の気持ちかなんてだから分からないけれど、それはなんだかとても、嬉しいものでした。


(心が少し浮わつくくらいは、きっと罪じゃない)


「女御さま、誰からのお文でしたか?」

「ちがうの、お文じゃなくて...。前に兄上さまから譲り受けた、手習いの和歌をつい出していたみたいだわ」


「あら、そのような事がございましたか?」

「ええ、随分と昔のだから、わたくしもきっと忘れていたのね」


衛門にも、つい嘘をついてしまいました。


しかし、その謎の文は、数日後また鞠子の文箱に舞い込んできたのでした。



《 嘆けとて 月やはものを 思はする 

    かこち顔なる わが涙かな (※西行法師) 》


[※ 月よ わたしに嘆き悲しめといって、もの思いをさせるのか...。いいえ!この涙はおまえのせいではない。

わたしが恋しい人を忘れられないからなのだ。おまえはただ静かに輝いているだけ。]


その和歌には、強い気持ちが込められているように思えます。

今度は誰にも、何も言わずそれをまた文箱へと戻しました。

知らず、指先が震えて蓋を閉める音が大きく響きました。


こんな文机まで近づけるなど、この文を置いている主は鞠子に仕える女房のうちの誰かなのでしょう。



「女御さま、今宵は帝がお渡りになられるとの事ですわ」

にこやかに衛門が言いました。

「そう今宵はこちらに、おいでなの」


前のように、心から待ち遠しく思えないのは...。やはり梅壺の女御の懐妊を、知ったからでしょうか?


(3番目だと、分かっているのに...)


そうして、夜が更け、虫の音が響き渡る頃。

夏らしい荷葉の薫りがして、お引き直衣も麗しく帝が藤壺へと参られたのでした。


暑い盛りに差し掛かったので、帝が来るからと、(ひとえ)に五つ衣と小袿を着ていると、暑くてなりません。


「ご機嫌はいかがかな?」

「良きも悪きも...」

(普通です)


分かっていることと、心は一緒にはなりません。そして、その心を全て隠してしまえるほど鞠子は大人でもありません。

「...私の、愛らしい女御さまはご機嫌斜めとみえるね」


ふわりと、その袖にくるまれれば帝の手はいつものように艶々と手入れの行き届いた黒髪に伸ばされてゆっくりとすくと、その感触は心地よく、ささくれがちな気持ちも癒されるような気がします。


「鞠子の髪はとても美しい」


一房掬い取り唇がそこに触れると、まるでそこにも感触があるように思えました。


「清嶺さま」

許されたその名を呼び、そっと手を伸ばして、その顔に触れました。指が帝の頬に触れれば鞠子の唇に接吻が優しく落ちてきます。


...何もかも。

鞠子の生きる世界には、ままならない事が多いのです。


「もっと近づいておいで」

そう言われれば、鞠子は素直に体を預けました。


そうしてしまうのも、やはり鞠子がこの男性(ひと)を慕わしく思うから、その声には従ってしまうのです。

心には、抜けない棘が刺さっているそんな感じがあるのに、それを知らせるすべは無いのです。心は誰にも見せることも、また見ることも出来ないのですから。



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