父の訪問
明けましておめでとうございます。
新年に、和物をと思い投稿させていただきました。
ある日の事でございました。
関白左大臣である、わたくしの父である 藤原篤時はわたくし、こと一の姫 鞠子にこう仰せられました。
「姫、喜べ。お前の結婚が決まった!」
人好きのする穏やかな笑顔を浮かべる篤時を、わたくしは呆然と御簾越しに見つめ返したのです。
わたくしはそばに仕える乳母 衛門に目配せをします。
衛門は心得たように頷き
「殿、姫ぎみは突然のことと大層驚かれ、胸張り裂けんばかりの心地でおいででございます」
(張り裂けませんよ)
「おお、そうか。それにしても父である私にまで声も聞かせぬとは奥ゆかしい事よ」
篤時は笑い声を立てる。
(奥ゆかしい、ではなくて、喋りたくないの。くそ親父...あら失礼)
その様に、機嫌のよさを感じてそのお相手とやらが父にとって、とても良い...都合のよいお相手なのだと感じて、わたくしの心は益々ずんと重くなるのです。
「姫や、お前は...帝の女御になるのだ」
何やら効果音が響き渡りそうな、そんな篤時の発言はわたくしに真っ暗な帳を投げ掛けたのでございます。
「喜びのあまり、声も出ぬか」
篤時はにこにこと言うと、「こうしてはおれまい、忙しくなろうほどに」といそいそと本殿に向かって歩いて行きました。
なんとまぁ、自分勝手な...。と思いながらも早々に篤時が前から居なくなった事に嘆息いたしました。
衣擦れの音と、簀子を歩む足音が聞こえなくなり
「入内...。ついに決まってしまったのね」
ポツリと呟いた声は、誰に向けたものでもなく、虚空に吸い込まれる。
「姫様よろしいのですか?」
衛門が問うてきます。
権勢を誇る関白左大臣の一の姫。
今上帝の女御として立たない方がおかしい位なのかも知れず。
「よろしいのですか?もなにもないわ。何をどうしろと?」
わたくし...。
もう、普通に話すことにしますね、
鞠子は、足を崩して脇息に寄りかかり姿勢を崩した。
「髪を下ろすの?そうしたら次は結局二の姫よね?それとも他に手があるの?誰かと先に結婚しちゃおうとしたって、みんなきっとお父様か、帝とやらの権威にきっと揉み潰されるに違いないじゃないの」
「左様でございますねぇ」
困ったように頬に手を当てる衛門だけれど、面白がっているだけのように見えた。
「今上帝といえば、昨年即位されたばかりの20歳。お側には添い伏しをお務めになられた、大納言家の姫、梅壺の女御さま、そして右大臣家の姫の麗景殿の女御さま。ですわね」
梅壺の女御さまと言えば入内して6年。麗景殿の女御さまは入内して5年目である。
「そうね、そしてどうしてそこにわたくしが必要だというのかしら」
「まぁ姫様ったら。よぉくお分かりのくせに。今上帝にはまだ男皇子がおいでにならないからですわ」
衛門の言うとおり、麗景殿の女御様が産んだ姫宮が3歳、梅壺の女御さまのお産みになられたのも姫宮で3歳となられ、まだ男皇子がおいでにならないのだ。
空位である東宮位を埋めるためにも、男皇子の誕生が切に望まれている。
「そのうち産まれるでしょうに、どちみちお父様のねじ込みに決まってるわ。この上まだ権力を欲するなんて欲深くて娘でいるのが嫌になるわ」
手駒となる娘がようやく年頃になったのだから、欲が出たに違いなく、しかし、だからといってその願い通りにどうしてならねばならないというのか。
「でしたら、帝と不仲におなりになれば?」
そう、おっとりと言ったのは三条という女房だ。
「どちみち、姫様はどうあってもそれなりの方と結婚しないといけないのですもの。それが帝であろうと他の貴族のボンボンであろうと、女の戦いになるのでございましょうから。でしたらここは一先ず大人しゅう、お嫁ぎになられて悠々自適に暮らされては如何でございましょう?」
「悠々自適に...」
鞠子にとってはそれは、甘美な響きに聞こえた。
確かに、帝の女御ともなればたとえ宮中のはじっこであろうとそれなりに...それなりに...。
いや、どうであろう。
「寵愛を受けなければ、いびられる事もございませんでしょう」
「そうよね!」
「殿や若君が安泰のうちは、ご実家の後押しもあるでしょうしよほどの事がないうちはゆったり心安く過ごせますでしょう」
衛門もそのように言えば、
「きっと、そうよね?」
さようでございますよ、と他の女房たちも頷き
「姫様、わたくしもきっとお連れくださいませね」
ん?
「宮中に行けば、きっと殿上人たちにお会いできますわね」
んん?
「噂の、夏風の少将さま。とってもお美しいお方だそうよ」
んんん?
「ああ、それに兵部卿の宮さまも」
んんんん?
「皆さま忘れてはいけませんわ。我が若君たちも負けず劣らずの評判の公達ですわ。きっとご機嫌伺いに参られますわ!」
んんんんんん?
きゃぴきゃぴと囀ずる女房たちは、すっかり華やかな宮中に思いを馳せて主人である鞠子の事などまるで添え物のよう。
とは言えど、深窓の姫ぎみとして育った鞠子には、ここから脱走をする伝も、知識も到底なく。
父 篤時の意向に従う他ないというつまりはそのような結論に達したのでした。
お読み下さりありがとうございました。
初の平安物ですので、間違いなどありましたらご指摘くださると嬉しいです。
よろしくお願いいたしますm(__)m