優位性、我にあり
「素麺で良い? ごめんね~、つまんないもんしか出来なくて」
「いえいえそんな、お気遣いなく…………って、違~う!」
何流されそうになってんの私?!
違うでしょ! 今日ここに来た理由は……
「あんたが学校に来ないから、私がわざわざあんたん家まで来たんじゃない!」
「あれ、私、そんなの頼んだっけ?」
「そういうことじゃないでしょ?!」
「あー、待ってごめんごめん。そうじゃなくてさ、えっと……何? その……そんなに大変だったんだ?」
「当たり前でしょ?! 全く……」
「で? ソーメンで良いの?」
「良いわよ! 何か手伝うことある?!」
「だいじょぶだいじょぶ! てかさぁ先生、私いないとダメとか、色々ダメじゃん? 私が風邪で1週間寝込んだくらいでそんな窶れてちゃ……話になんないよ」
「うるさいな。誰のせいだと思ってんのよ」
「私」
にしし、と口を横に広げて笑う彼女の笑顔は、やっぱりクラスのみんなを纏められるだけあって、人を惹き付ける。私も、惹き付けられる。相変わらず、飽きずに。
「風邪、治ったの?」
「あったりまえさぁ! 全快全快!」
ドン! と胸を叩いた彼女は、しかし直後に咳き込んだ。強く叩き過ぎたのだろうか。つい、口元が弛んでしまう。
「へひはほー」
素麺が山盛りの大きなお皿を右手に、お皿やお箸の乗ったお盆を左手に、口にはチューブ入りの柚子ごしょうをくわえて、彼女がちゃぶ台にやって来た。
「おぉ、大丈夫?! 待って待って受け取るから……」
右手、左手、口、の順番で受け取ると、彼女はニッと笑い、座ってあぐらをかいた。
「さて、食べますか……箸、ちゃんとお客さん用だから安心して。器も日頃は使ってないやつね」
「お気遣いどーも」
彼女が渡してくれたのは、つゆの入った紙皿に割り箸。……確かに日頃は使ってないだろう。
「よし! いっただっきまーす!」
「いただきます」
彼女が麺をひとすくいし、ちゅるる、と吸い込んだのを見て、質問を投げ掛ける。
「あんたさ、本当に風邪だったの?」
「ほえっ? っけほっ、げほっ」
大きく咳き込んだ彼女は、目と顔を真っ赤にして台所へ駆け込む。
そんなに悪いこと訊いたのかしら……なんて。何となく想像はついてたけどね。
「ちょっとー……何てこと訊くのさー……」
「ちょっと気になっただけよ。ほら、なくなるよ」
麺をすくい、つゆに浸して啜る。
まぁ、言わないか。
そもそも、私の思い上がりかも知れないしね。
「……何で分かったの」
「えっ?」
「私、そんなに分かりやすい?」
「えっ、ちょっと待っ……分かりやすいわよ」
こらそこ。私の方が分かりやすいなんて言わないの。
「そっか……」
ほら、気付いてないみたいよ。私が分かりやすい訳じゃないわ。ふふん。私の優位性は翻らないのよ。
「じゃあ、何も言わなくても、通じてるよね?」
「えっ? も、もちろんじゃない。でも、ちゃんと言葉にする習慣はつけた方が良いと思うわ」
「だって……分かってることを何度も言われるのは嫌じゃない?」
「そりゃあ……でも、」
「ねぇ先生?」
……私に優位性がある、のよね? 間違ってないわよね?
「そ、そうね、でも」
「それなら良いじゃん。良かった~嬉しい。さ、食べて食べて。なくなるよ?」
「……そうね」
かわされた……それも、いとも簡単に。
ちゅるちゅると麺を啜る彼女は、ちら、と私を見るなり、何かを思案するような表情になる。
「ねぇ先生」
「なに?」
「私がいなくて困ったでしょ」
「……うん」
「それが聞きたかったの」
「……そうなの?」
「出来ることなら、その困ってる姿も見たかったけどね」
「なにそれ」
「好きだから」
「……えっ?」
彼女は、そっと箸と器を置く。
あれだけ煩かった蝉の鳴き声が、もう全く聞こえない。
素麺はもう、ほとんど残っていなかった。
涼やかな透明のガラスの食器で、数本の麺が、水に泳いでいる。
「好きだから、だよ。分かってたんじゃないの?」
ニカッと笑った彼女は、再び箸を持って、水の中を掻き回す。
麺が2、3本絡み付き、それをおもむろにすくい上げる。
蝉の声が戻って来た。
「私をそう言ってくれるのは、あんただけよ」
「そりゃそうだろうね」
「……何よ」
「ううん」
つゆに浸した麺を口にくわえ、少しずつ啜る彼女。
「ねぇ」
「なに?」
「来週から学校ちゃんと行くわ」
「うん」
「だから、ま、安心しといてよ」
「……ありがと」
ごちそうさま、と手を合わせ、立ち上がる。
「帰るの?」
「……頼りにしてるから」
彼女の頭を抱き寄せ、あっさりと離す。
「じゃあね」
「……うん」
玄関まで送ってくれた彼女に手を振り、彼女の家を後にする。
「あああーっ……」
疲れた。
ちゃんと上手く出来ただろうか……優位性、我にあり?
ニヤけてしまう口元を戒めるため、頬を両手で挟む。
「先生ー!」
「え?」
「鞄ー!」
「あら、」
振り向くと、私の鞄を肩にかけた彼女が走って来ていた。
「ごめんなさいね」
手を振ると、彼女も振る。
足を縺れさせて転ばなきゃ良いけど。……なんて。
お礼に夜ご飯を奢るのはどうかしら?
今からの時間に思いを馳せ、また頬が弛む。