怖がり? い、いや、当然の反応でしょ?
薄暗い廊下。
月明かりに照らされた机や椅子たちが、教室の闇に濃淡を描き出している。
……なーんて。格好良く言ってみたって、怖いものは怖い。
夜の廊下。
夜の教室。
今まではこっそりサボれていた――警備員さんがやってくれていたらしい――鍵閉めに向かうところの私。
そう。事の発端は、長谷先生。
何故か長谷先生にサボっていたことがバレて、こっぴどく叱られた。いや、悪いのは私だけど。私なんです。
……という訳で私は、教室の鍵を閉めに学年廊下まで来ているのだが、……
とにかく怖い。
奥の方までなんて、絶対行けないし!!
「誰か……いる?」
聞いてみた。
……返事はない。
私の声が反響しまくって、その残響が更に響き渡る。
あー私のバカバカバカバカ!
そんなことやって、一層怖くなるのは当たり前でしょ!?
……もういい、諦めなさい。
さあ、足を進めて。とりあえず、奥の教室まで行くのよ私……。
少しずつ足を踏み出す。
体はガクガクと震え、息も出来ない。
……息!!
息くらいしなさいよ!!
ほら、吸ってー吐いてー。
お、これは良い。
はい、吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー。
そんなことをやりながら歩いていたら、やっと着いた。
恐る恐るドアを開け、教室に入る。
電気を付け……って、電気がない! スイッチどこ?! 暗くて見えないし……手探りでも全然手に触れないし……うぅぅ……。
い、良いじゃない、電気なんかついてなくても。ほら、大丈夫よ。
ドアと窓の鍵を閉めるだけなんだから。
よし。
一歩足を踏み出す。……あら、案外行けるじゃない。
……なんて、油断したのが悪かった。
「きゃあっ?!」
な、何何何何何何一体何なの!
何か踏んだ!
何なのよ! もう!
……靴?
誰かが体育館用シューズをここに置きっぱなしにしていたらしい。
なんてこと……。
はぁ、とその場に座り込む。
もう……怖い!
でも、長谷先生の雷の方がかなり上を行っているから……やんなきゃ。
ガラガラガラガラ……
「ひゃぁっ!?」
もう、何なの!?
ドアが勝手に開くなんてことはないはずだし、ちょっと待って真っ暗で何も見えないのに、
「平松先生」
「は、……長谷先生!?」
「何やってるの、もう……遅いから見に来ちゃったじゃない」
「長谷先生〜」
私は長谷先生に泣き付く。
救世主!
神!
「どうしたのよ……って、もしかして怖かったの?」
泣きながらコクコクと頷く。
「良い歳して情けない……ほら、離れて」
「い、嫌! 待ってください……!」
腕を振りほどかれまいと、必死で長谷先生に掴まる。
真っ暗より長谷先生の雷の方が怖いなんて言ったけど、訂正! 長谷先生は、天使です!
「えっ、ちょっと」
長谷先生は見事に狼狽している。
そりゃそうだよな……大の大人が死に物狂いでしがみついて来るなんて。
でも怖いもん。
「……あのねぇ、そんなふうにあなたからされて、私がどう思うと思う?」
……っ!? もしかして怒られる?!
「す、すみません」
ぱっと腕を放す。
「違うのよ、バカ」
ぎゅっと抱き締められた。
……抱き締め、られた?!
「は、長谷先生っ?!」
「ほら、あなたは気付いてさえもいないのよね……」
長谷先生は私から離れると、軽くため息を吐く。
「えっ、あ、えっと……その……、っ?!」
えっ?!
ちょ、ちょっと待って……私と長谷先生は今……キス、してんの?!
ふわっと香る長谷先生の香りに、思わず頭がぼーっとなる。
「わかったでしょ? 私がどう思ったか」
「えっと、あの、」
「あーもう……」
ガシガシと短い茶髪を掻き、長谷先生はそっぽを向く。
「本当焦れったいわね! ……好きだって言ってんのよ!」
え? すき!?
あ、隙とか? それとも、漉き?
急に視界が低くなる。
あぁ、私、座り込んじゃったんだ……。
えーっと、
頭の中がぐるぐる回る。
と、ポン、と私の頭に手が置かれた。
「なんてね」
長谷先生は傷付いたような表情で、そんな表情させたいんじゃなかったのに、
「じゃあ、私、行くから。ちゃんと戸締りやっときなさいね?」
嫌。待って。行かないで。
どの言葉も私の口から出ていかない。
あぁもう!
まず、立て!
で、走れ! よーい、どんっ!
「長谷先生っ」
勢い良すぎて後ろから抱き締めちゃったけど、私にしてはすごい成長。だよね?!
「平松先生!? ちょ、ちょっと……」
「じゃあ、私は今どう思ってるでしょうかっ!?」
「はっ?!」
あー、私は何をやってるんだ……。
でも、今までは走り出せてさえいなかったんだから、進歩よ、進歩。
「……嫌、ではなさそうね……今この状況ってことは」
好き。一緒にいて。
どの言葉も、出ていかない。
「……だいたい、長谷先生が悪いんですよ。いっつもいっつも格好良くて、私の欲しい言葉をくれて、時々可愛くて、お茶目で、」
「泣きながら言ったって聞こえない」
長谷先生は私を振り向くと、その腕で私をぎゅっと抱き締めてくれた。
聞こえない?!
聞こえてなかったの!?
頑張ったのに……。
「嘘よ」
よほどショックを受けたような表情をしていたのか、長谷先生が笑う。向日葵のような笑顔。眩しくて、温かくて、胸の奥がきゅんきゅんしちゃうような。
「……長谷先生の抱き締め方って、なんだか安心します。力強くて……」
「平松先生、」
パタパタパタパタ……と、軽い足音が近づいてくる。
え……誰?
長谷先生と顔を見合わせ、再び教室に入り、息を潜めて待つ。
って……何で私たちが隠れなきゃいけないのよ!?
同じことを思ったらしく、長谷先生も不満顔。
ロッカーを開け閉めする音が聞こえ、音が去って行く。
「こんな遅くまで残ってるもんなんですね……」
「後で絞めとくから。それより……」
長谷先生はしゃがんだまま、私に向き直る。
必然的に私もしゃがんだままになるわけで。
「平松先生、私と」
ガラガラガラガラ……。
「ひゃっ、」
真辺先生!?
邪魔しに来やがった?!
ドアを遠慮気味に開け、少し困惑した表情をしているのは、同僚の真辺先生だった。
「あっ、ごめんなさい、なんか……邪魔しちゃったみたいで……。あの、職員室閉まっちゃいますよ?」
もうそんな時間!?
「私、先に戻って警備員さんから鍵預かっておきますから、早めに来てくださいね?」
では失礼します、と教室を出ていく真辺先生。
「はぁ……じゃ、行こか」
スカートを叩きながらと立ち上がり、開いているそのドアから出ていこうとする長谷先生。
嫌。
「待って……!」
ぎゅっと長谷先生の服の裾を握りしめる。
「待って、ください」
「……どうしたの」
言うんだ。
言え、私!
もう、何も怖くなんかないでしょ?!
「長谷先生……わ、私と、付き合ってくださいっ!!」