夕焼けどーなつ
「最近、本当に忙しくて……」
好き、なんて誰が言えるだろう。
「バイトと学校と……なんか色々板挟みでさ……」
あなたが好き、なんて、そんな浮わついたこと、
「もう、毎日寝る時間もほとんど無くて……」
こんなに毎日大変なこの人に、私の勝手な私情なんか、
「毎日、生きてくのに精一杯よ」
挟む余地もないから。
「そっか……大変なんだね」
勝ち気な声が、既に私の入る隙間がないことを雄弁に物語っている。
だから私は、彼女の邪魔にならないように、彼女の苦労を労う。
そもそも、今は女子校だからないみたいだけど、恋人(もちろん異性)がいたこともあるって言ってたし、私は女だし、……ね? うん。絶対言えない。
「そうなの! だからどうか慰めて~」
「ドーナツ……食べる?」
駅前にドーナツ屋さんがあるし、駅まではもう少しで着く。
信号が青に変わり、気怠げなバスがのろのろと動き出す。後ろの車にクラクションを鳴らされても、全くもって、急ぐ気配はないけど。
「わぁ、マジで? やったぁ!」
本気で喜んだ様子の彼女に、安堵する。一瞬頭を過った、「ごめん、バイトあるから」――。
「わ、分かったから、静かにしないと」
「持つべきものは友達だよぉ! ありがと、夏子!」
「ち、千里……」
バスに乗ってからずっと、他の乗客の視線が冷たいのに気付かないふりをしているのか、それとも――
「ん? どうしたの?」
――全く気付いていないのか。
「な、何でもない」
バスの座席って、隣同士で向き合うと、どうしてこんなに近くなるのだろう。……向き合うように作られてないからか。
暴れ回る心臓を必死に宥めつつ、私は前を向く。
もうすぐだ。
◇◇◇
「ごちそうさまでしたー!」
「いえいえ~」
お札は飛んで行っちゃったけど、彼女の笑顔を見れるなら、そんなこと、何でもない。
お店を出ると、夕焼けが出迎えてくれた。真夏の、それも夕立の後の夕焼けは、ものすごく綺麗だ。電柱と電線が、ものすごく良い味を出している。……おばちゃんみたい? うるさいな。
「ねぇ夏子、何か私に言うことあるんじゃない?」
「えっ?」
な、何だろう、急に……。夕焼けのこと? な訳ないか。えっと……何だろう。見当もつかない。奥さんに「何か隠し事してない?」って聞かれた旦那さんの気持ちって、こんな感じなのかな……。
「無いなら良いけど……ちゃんと、言いたいことがあるなら言ってよ? ……それが、私の望む言葉かも知れないんだからさ」
その時、私は直感的に思った。
彼女は、私の気持ちを知っている……。そして、私を受け入れてくれようとしてい……
「なーんて、真逆かも知れないんだけどね」
ない! はい訂正! そんな少女漫画みたいな夢展開なんかあって良い訳ないんだから!
「千里は……彼氏いたことあるんだよね?」
「まぁ……今は女子校だけど、小学校も中学校も共学だったしね」
「どれくらい……?」
「そんな、大したことないよ。片手で足りる数」
それだけでも、かなりの人数だと思うんだけど……。これが、告白された人数になると、両手を使っても足りなくなるんだろう。そんな人だ。
「それに……本気で好きになる相手なんて、いなかったし。今も、誰から告白されても全く靡かない」
「え?」
本気で、好きになる相手が、いなかった? 付き合った人たちの中に? そして、今も?
「あー、忘れて。ごめん。重たい話みたいになっちゃうね。全然そんなんじゃないから」
「何が……あったの?」
「何にもないよ。ただ、私は夏子が好きってだけ」
「え……? それは、どういう……」
「ふふふ。さぁ? 夏子が思う方で良いんじゃない?」
「そんなの……」
待って、私、落ち着いて。
夢展開はないの。変な期待なんかしちゃダメ。ダメなの。千里が私のことを好きなんて、絶対にな――
「夏子、付き合って」
くないかも知れない!?
でもそれは本当? 本当に本当なの?
「ど、こに……」
「私の人生に。なんて言ったらクサいかな」
鈴の音……ううん、そんなんじゃないけど、いつもみたいに、カラカラと楽しそうに笑う彼女は、私が微塵も笑ってないのを見て、小さく溜め息をついた。
「じょうだ……」
「本気で言ってるの?」
偶然にも、「冗談」だと笑い飛ばそうとした彼女の言葉と被ってしまい、彼女の表情が凍る。
「…………えっと、」
「本気なの?」
「本気、だよ」
夕焼けを全部取り込んでしまうくらいに、大きく息を吸う。
もしかして、もしかしたのかも知れない。本当に? 本当に。本当なんだよ。それなら。
「千里」
「な、何?」
「私も、好き」
「へ?」
「好き、千里」
「う、嘘」
「嘘だと思うの?」
「お、思わないけど……」
「私が嫌い?」
「……好きって言ったし」
「付き合お」
「……冗談?」
「しつこいよ、千里」
頬が真っ赤な千里。私もきっと、真っ赤だ。
「ごめん。えっと……こういう時、どうするんだっけ?」
「こういう時は……手繋ぐんじゃない?」
きゅっと彼女の手を握ると、彼女はびくっと体を震わせた。
「何か……緊張すんね」
「大量に恋人がいたヤツが言うこと?」
「好きじゃなかったから」
「……そっか」
駅に向かう。
空は、もうずいぶん夜に近づいていた。
「夏子、これからも……よろしくね」
「もちろん。こちらこそ、よろしく」
それは、勝ち気だと思っていた千里の涙を、初めて見た瞬間だった。千里が実は泣き虫だなんて知るのは、もっと後のこと――。