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雨にも負けず  作者: 宝積 佐知
最終話
104/105

雨にも負けず

 引っ繰り返すと雪が降る。

 それは紛い物の雪なのだけど、行儀良くお座りをする犬のマスコットの上に降り注ぐ様は美しい。


 霖雨から贈られたスノードームは、リビングの棚の上に置いた。天井から下がる紙飛行機と同じように、部屋の中を見渡すことが出来るように。

 曰く、謝罪の品だそうだ。

 何の謝罪なのか、和輝は解らない。喧嘩をした覚えも無いし、霖雨が謝らなければならないようなことも無かったように思う。

 だが、この品を渡す事で霖雨が満足するならそれで良いと思う。理由の解らない謝罪を受けるのも面白くないので、当て付けのように目に付くところへ置いてやった。意地が悪いだろうか。


 もうすぐ、クリスマスだ。

 空からはこのスノードームと同じように、粉雪が舞うようになるだろう。

 紛い物の雪に降られた犬のマスコットが何と無く寒そうに見えて、マフラーの一つでも巻いてやりたい気持ちになる。


 クリスマスが終わったら、年が明けるまであっという間だ。そろそろ大掃除の準備をしなければ。


 スノードームを元の位置に戻し、和輝はソファへ投げ出していた鞄を背負った。


 キッチンで煙草を吹かせていた葵が、出掛ける様子を察したらしく言った。




「夕飯、何?」




 葵は退屈そうだった。

 入院していた頃も退屈そうだったが、彼が楽しそうに笑っていることは少ない。顔に出難い性質なのだ。


 和輝は付けっ放しだったテレビの電源を落とす為にリモコンを手にする。丁度、テレビでは下世話なワイドショーが放送されていた。

 話題は芸能人のスキャンダルから、市議会議員の汚職、高速道路の事故、そして、あの病院で起きた武装組織による占拠事件へと移り変わる。


 中々に大きな事件だった。暫くお茶の間を賑わせていたけれど、世間はやがてやって来るクリスマスへ興味を変えていた。


 テレビの電源を落とし、和輝は答えた。




「とんかつ」

「揚げ物の気分じゃない」

「夜には揚げ物の気分になってるよ」

 



 大丈夫大丈夫と、笑えば、葵はこれ見よがしな溜息を零した。

 どうせ、どんなメニューになっても最初は文句を言うのだ。その癖、いざ出されると完食する。そういう面倒臭いところが、可愛いなと思う。


 内心の声が聞こえてしまったのか、葵は忌々しそうに眉を顰めていた。

 それ以上、突っ掛かる気は無いようだったので、和輝もリビングを出た。

  葵はそのまま煙草を吸っているものと思ったが、意外なことに玄関まで付いて来た。


 センサーが作動し、暖色の光が照らし出す。

 和輝はスカイブルーのスニーカーに足を通し、見送りみたいに背後に立つ葵の気配を探った。


 結局、葵は何か用があった訳でも無いようだった。肩透かしを食らった心地で玄関の扉を開ける。

 その時、葵が言った。




「行ってらっしゃい」




 自分が今、何を言われたのか解らなかった。

 丁度、和輝は扉の外に出たところだった。振り返る間も無く、扉は乱暴に閉められた。

 追い出される形になってしまい、和輝は扉の前で狼狽してしまった。


 扉を開けて、行って来ますと返すべきなのだろうか。しかし、扉はもう閉められている。メールの一通でも送るべきなのか。

 行ってらっしゃいと言うことは、お帰りと言ってくれるのだろう。なら、それで良いのだろうか。


 きっと、些細なことなのだろう。

 けれど、以前、葵は忽然と姿を晦ましたことがあるので、和輝はすっかり警戒するようになってしまった。

 扉を開けた先で、葵が消える準備をしているのではないか。帰って来たら、其処にいたという形跡すら消していなくなっているのではないか。それが、怖い。


 トラウマだ。

 こんな姿を知られる訳にはいかない。


 扉の前で右往左往していると、丁度、帰宅して来た霖雨と鉢合わせた。

 霖雨は何処から見ていたのか、まるで不審者を見付けたみたいに言った。




「何だか面白い顔をしてるね」

「そうかな?」




 一瞬で取り繕うが、霖雨は眉一つ動かさなかった。

 兎も角、出掛けよう。和輝は何事も無かった振りをして歩き出した。




 入れ違うように帰宅した霖雨は、キッチンで行儀悪く座る葵を見下ろした。

 おかえりの一言すら無い。ただの同居人に一々挨拶をしろと言うのも気持ち悪いので、霖雨は黙って洗面所へ向かった。

 手洗いと嗽を済ませてリビングへ戻ると、葵はソファで胡座を掻いて分厚い専門書を読んでいた。


 姿を晦ましていた頃が嘘みたいだ。

 部屋の中の物を全て撤去してしまっていたが、何時の間にか家具が運び込まれ、全ては元通りになってしまった。


 こいつは本当に何者なんだろうな。

 霖雨は他人事ーー事実、他人だがーーみたいなことを思う。


 霖雨の帰宅なんて、毛程も興味が無いように無視する葵の太々しさには呆れるばかりだ。

 特にやる事も無いので、霖雨もソファに腰を下ろした。其処で漸く葵は顔を上げた。




「隣に座るんじゃねーよ、気持ち悪いな」




 一つしか無い横長のソファで、どのくらい離れたら隣では無いのだろう。

 酷い言い草に、霖雨は舌打ちをした。

 こんな姿を見たら、和輝は驚くだろう。というか、和輝にこんな態度はしない。




「和輝、すっかりトラウマになってるぞ。可哀想に」




 同居人が突然行方を晦ましたのだ。しかも、その遣り方は極めて悪質だ。睡眠薬を盛られて、目覚めたら家財一式と共に消失していたのだ。

 しかも、その後に、葵が原因とは言わないが、事件に巻き込まれて意識不明の重体になった和輝には同情しかない。


 和輝に比べ、霖雨は心を乱す程のことは無かった。葵のことだからと安楽に構えていたくらいだ。

 だが、消えたのが和輝だったなら、それこそ不眠不休で探し回るだろう。彼の場合は、巻き込まれる事件の規模が一般市民の枠組みから逸脱しているということもあるが、やはり、信頼の差なのだろう。


 霖雨が言うと、葵は忙しなく頁を捲っていた手を止めて苦々しく顔を歪めた。流石に罪悪感はあるらしい。

 消えた時と同様に、いきなり帰って来るのが悪い。だから、和輝だって、また何時か消えるのではないかと心配してしまうのだ。




「アフターケアはしてるつもりだよ」

「効果は見られませんが」




 嫌味のつもりで言うと、今度は葵が舌打ちをした。


 事件後、検査の為に入院したが、霖雨と葵はすぐに退院した。和輝だけが二週間近く病院に押し込められていた。

 重症だったのだから仕方無いのだけど、取り残された和輝は解り易く悄げていて、見ていて可哀想だった。自分が置いて行かれたとか、怪我の具合が心配とかそういうことではなくて、自分がいない時に葵が消えてしまうのでは無いかと怯える様が可哀想だった。

 負い目のある葵は毎日のように足を運んでいた。和輝は口にこそしないものの、葵のことを心から気遣っていたらしい。その姿に、自分が彼に与えた影響の大きさを知って反省したようだ。


 だが、葵は嬉しかっただろう。

 いてもいなくても同じだと言うのではなくて、お前が大切で必要なのだと言葉や態度で訴えてくれるのだ。存在意義を全身で伝える和輝を蔑ろには出来なかったようだ。


 サイコパスと言われた透明人間も、所詮は人の子だ。


 葵は口をへの字にして、面白くなさそうにしていた。彼は意外と表情豊かだ。顔に出易いとも言う。寧ろ、不満があっても口にせず笑っている和輝の方が解り難い。


 本を閉じた葵が、ぼんやりと窓の外を見ながら言った。




「平行世界で、あいつ、飛行機の爆破を防ごうとしただろう」




 それは遠い昔のことだったような気がした。時の流れは早い。年を取るのも、あっという間だろう。


 霖雨は適当に相槌を打って、テレビの電源を点けた。女優ーーアイリーンがまたスキャンダルでマスコミを賑わせているらしい。彼女の人生も中々に楽しそうだ。




「乗客が避難しても、機体の爆破を防ごうとしていたんだ。友人が人質にされていて、刻一刻を争う状況だったのに」




 言われてみて、霖雨も不思議に思う。

 和輝なら、機体くらい放って置いて人質の救出に向かうだろう。要所での判断は間違わない男だ。

 葵は手元で本を弄びながら、言った。




「理由を知っているか?」

「何?」

「俺が」




 其処で一度区切り、気を落ち着けるみたいにしてから葵が続けた。




「俺が昔、飛行機の爆破テロで友人を失くしたからなんだよ」




 如何いう意味だろうと考えて、霖雨は理解した。

 つまり、和輝は、葵が飛行機の爆破テロによって過去をフラッシュバックし、傷付くのでは無いかと懸念したのだ。だから、危険も顧みず、友人の危機も後回しにして、爆破を防いだ。


 馬鹿じゃないのか。


 霖雨は思わず口に出してしまった。

 そんな気の使い方はおかしいだろう。葵も同意見であるらしく、頷いていた。




「まあ、馬鹿だからねえ」




 理由を聞くと、彼らしいと思う。




「精々アフターケアは入念にな」




 霖雨が言うと、葵が苦い顔をした。

 いい気味だ。あれだけ自分達を振り回したのだ。ツケはしっかり払ってもらおう。


 霖雨は先程の葵と同じように窓の外へ目を向けた。寒空の下に鳥籠がぶら下げられている。あの雛鳥はもういなかった。


 事件後、和輝が退院するともういなかったらしい。

 巣立ったのだ。少し寂しそうではあったが、喜ばしいことだと和輝は笑っていた。


 だが、その時。空になった筈の鳥籠が揺れた。

 青灰色の翼を広げ、黒色の嘴は鋭く尖っている。あの時の雛鳥だ。成長して巣立った筈だが、今も鳥籠を巣だと思って帰って来るのだ。

 和輝のことを親だと刷り込んでしまっているらしい。

 自由に飛び立てるように鳥籠に細工まで施して、巣立つことが出来るようにと和輝がせっかく配慮したのに台無しだ。


 コチョウゲンボウというハヤブサ科の鳥らしいが、猛禽類とは思えない程に人懐こい。ーー親と思っている和輝に対しては。

 霖雨や葵は何故か敵視されていて、攻撃されたこともある。

 拾って来たのは霖雨なので、自分は命の恩人なのだと言ってやりたかった。とは言え、世話をして来たのは和輝なので口にしたことは無い。


 渡り鳥だというので、その内に何処か遠くへ行くのかも知れない。だが、鳥籠で寛ぐ今の状態を考えると、巣離れせずにずっと此処にいるような気もする。

 現実なんてこんなもんだ。


 霖雨が視線を戻すと、葵はぼんやりとテレビを見ていた。




「今日はとんかつだってよ」

「何かあるのかな」

「多分ね」




 面倒臭そうに葵が溜息を吐いた。


 和輝は験を担ぐところがあるので、解り易い。近々、勝負事でもあるのだろう。

 そんなことを話していると、玄関から何かの割れるような音が響いた。

 霖雨は肩を跳ねさせ、葵が弾かれたように走り出す。玄関に続く扉が音を立てて開け放たれた。


 霖雨は少し遅れながらも、慌てて後を追った。

 追い付いた先、葵がしゃがみ込んでいた。

 玄関の三和土には硝子片と、粘性のある白い液体が溢れていた。ポストから投入されたらしい。

 何かの悪戯だろうと霖雨は歩調を緩めて近付いた。その時、何処かで嗅いだ覚えのある嫌な鼻を突く臭いが漂って、霖雨は眉を寄せた。




「お前か?」




 葵が、嫌悪を全面に押し出して問い掛ける。

 白い液体ーー所謂、白ジャムだ。

 霖雨は緩く首を振った。少なくとも、身に覚えは無い。




「じゃあ、あの馬鹿かな」




 何処かの変態が投入して来た白ジャムを見下ろして、葵が舌打ちをする。


 また、何かの事件に巻き込まれるのだろう。


 日常は滞りなく進んでいく。けれど、ひょんなことから日常は簡単に非日常へと転がり込んでしまう。


 葵は携帯電話を取り出した。




「訊いてみよう」

「いや、いいよ」




 それを押し留め、霖雨は言った。




「迎えに行く」

「ふざけんなよ。誰がこれを片付けるんだ」




 そう言いながら、葵は如何にか片付けてくれるのだろう。和輝の手を煩わせない為に。


 頼んだ、と肩を叩く。葵がすぐさま振り払ったので、霖雨は苦笑した。


 ポケットには愛車の鍵が入っている。同乗者分のヘルメットは外だ。




「とんかつ、楽しみだからね」




 霖雨が言うと、葵が笑った。


 そうだね。ついでに買い物も済ませて来てくれよ。

 何だったら、偶には外食したっていい。


 どうせ、その先でまた何かの事件に巻き込まれるのだろう。それでも良いかと思う。絆されているのだろうか。感覚も麻痺している。それもまた、面白いかも知れない。


 雨の日もあるし、風の日もある。雪も降れば、雷も鳴るだろう。何もかも上手く行かなくて、もう駄目だと膝を着く日も来るだろう。


 だが、此処には透明人間がいて、ヒーローがいる。

 それだけで、日常はこんなにも面白い。


 騒動を予感しながら、霖雨は愛車の鍵を手に、歩き出した。







 雨にも負けず







 The world is a fine place and worth the fighting for.

(この世は素晴らしい。戦う価値がある)


 Ernest Hemingway

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