2回戦
バルトサール、アルーシェ vs. イル・ゾラ=ナダ
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トーナメント戦は二日目、二回戦を迎えた。
客席は試合開始予定時刻のかなり前から満席で、立ち見の数となると一回戦以上にもなっている。
選手達も早くに入っていた。敗退した選手の幾人か、そして三回戦に出場予定のペアも選手席にいて、おのおの打ち合わせに余念がない。
「うー、騎士長に続いて今度はゾラ=ナダさんにイル騎士長かぁ……」
「ヴォルフクローネとは以前戦いました。なかなか面白い相手だったと記憶しています。残念ながらその時は全力でヤり合えなかったんですが」
「ヤるって部分がなんか不穏な感じに聞こえたんですけど」
「どうぞ気になさらず」
アルーシェは現在の自分の相方を横目に窺った。あまり目は合わせないながら――そもそも視線の高さがだいぶ違うので仕方ない――バルトサールの態度は割合紳士的だ。同じ貴族出身でもあり、なんというかこう、意外な話しやすさにまだびっくりしている部分がある。
それはそうと対戦である。イルには昔から教わる立場だし、ゾラの実力も重々承知している。どうすれば勝てるかというイメージがなかなか湧いてこない。
考えあぐねて見上げると、心ここにあらずといったバルトサールの視線は、まっすぐゾラに向いていた。
「昨日の試合を見た限り、バルセイン騎士長にはかなりのむらっ気があるようで」
「そういうところがなくもないですけど、それでも相当強いですよ?」
「――まずは、援護を切る方向でいきましょう」
ようやっと見下ろしてきた琥珀は、よく見ると活き活きしていた。
昨日もそうだったが。たのしい、らしい。
「俺はヴォルフクローネを先にやります」
「……わかりました」
どうしたって主戦力は彼なのだから文句は言うまい。そう思ったところで、問題の対戦相手がこちらへ歩いてくるのが見えた。
「おはようございます。意外にうまくやってるみたいっすなぁお二方」
ゾラの笑顔はいつも通りきさくなものだ。が、今はどうしても緊張が勝り、アルーシェは振り切るように頭を下げる。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします!」
「久々の手合せだな、アル。どれほど上達したか楽しみにしている」
ゾラの後ろからイルも声をかけてきた。こちらも普段と変わりない調子だ。
「全力で来い。俺もそうする」
「はいっ!」
「それと……旦那」
ゾラの視線がバルトサールに向けられた。やけに楽しげに見えるのは、気のせいではなさそうだった。
「またヤれるとは嬉しい限りで」
「今度こそ万全だな?」
「もちろん」
「そうか。安心したよ」
アルーシェは肩をすくめる。ゾラもやっぱり「ヤる」が不穏であった。
『みんなーおっはよーっ! 今日も元気かなー?』
そこで思いきり朗らかな声が響き渡った。観客席が大きく沸き返る。満足げにうんうんとうなずいてから、ルーファスはビシッとポーズを決めた。
『トーナメント二回戦は、もうちょっとで開始よ! 実況はおなじみ、アグリアの性別不詳ルーファス・イエンが担当しちゃうからよろしくねっ。そして?』
『か、解説は、イグニア中級騎士のグレイ、ですっ』
『さて、今回の対戦カードはイグニア・アグリア凸凹コンビとイグニア公認のベスト・オブ・相棒! みんな目の穴かっぽじって注目よっ』
『ルーファスさん目はほじくれないです怖いです!!』
『いい感じにツッコミも入ったところで、そろそろ選手のみんなの用意はいいかしらー?』
審判のアルバートとヴィクトルが配置についた。それを見た選手四人もステージに上がる。
その途中、イルはゾラに声をかけた。気になることがあったのだ。
「あの、対戦相手の男。ゾラの知り合いか」
「ん? まあ知り合いっつーかなんつーか」
「邪魔をしない方がいいか?」
なんとなくそんな感じがした。前回にだいぶ好きにやらせてもらったこともある。今回は、できれば譲りたい。しかしゾラはといえば笑って手を振った。
「いや、大丈夫だよ。細かいことは気にすんな」
「……そうか?」
うなずいてすぐ、いやそんなことはないのじゃないかと思い直し、どうしたものか思案する。昨日のジークとの試合を見た限り、あの男は相当強そうだ。自分もまた戦ってみたくないかといえば嘘になる、が――
「両者、前へ」
アルバートの通る声が告げた。イルは大剣をだらりと提げ、向かい合う二人を等分に見た。男も気になる。同時にアルのことも気になる。どちらと戦えばいいだろう。
と、考えあぐねている間に、もうアルバートが手を上げてしまった。
「はじめ!」
『さあいよいよ二回戦の始まりよ! グレイちゃん、今回の見どころはどこかしら?』
『見どころ、ですか。四人中三人がイグニア出身ですので、お互い手の内が知れているのをどうするか、特に体格で劣るアルシオ選手の戦い方ですね、あとはその中に入ってるバルトサール選手がどんな戦法でいくかによって』
『各選手動きだしました! まずは探り合いになってるみたいねー誰から仕掛けるかに注目よっ』
じりりと足場をにじる音。ゾラはまず全体を見渡した。
イルとアルーシェには今のところ迷いが見える。まだ確たる戦略を定めていないようだ。
その中にあって、バルトサールはまっすぐにこちらを見据えていた。ジークに向けるのとはまた異なる、純粋な戦意をもって。
さて、と彼から一瞬目を離した、その時だった。
空気が揺れた。ザザッと身構える気配に金属音が続いた。
「やああああっ!」
アルーシェの気迫にイルが軽く目を開いた、ところまでを視界におさめて、ゾラも剣を上げた。
『凸凹コンビの先制攻撃! ま、イグニアペアはまず連携を切っておかないと厄介だから妥当なところかしらねえ』
『ねえルーファスさんあなた一人で解説もやれるんじゃないですかもしかして? 昨日から人の話最後まで聞きやしませんし?』
『やあん、だって一人でしゃべってるだけじゃつまらないもの、それにいじられ役がいた方が盛り上がるじゃない』
『そんな理由で!?』
解説席でのやりとりなど耳に入らない様子で、バルトサールが鋭い斬撃をあびせてきた。ゾラは飛びのいてかわし間合いを取る。噛み合った視線は敵を射抜くようで、おそらくそれは己の視線を映したものでもある。
それだけでも血が沸いた。
――さあ……どうすれば、殺せる――?
「っと、いかん」
今回はあくまで『試合』であると、イルにも再三言ったはずが。自分が熱くなってどうするというのだ。
内心で己を戒めるたところへ、鋭い声が鼓膜を打った。
「たああああああっ!!」
アルは精いっぱいの気合を込めて打ち込み、すぐに飛び離れた。イルの怪力につかまったら終わりだ。とにかく動く。できるだけ左右に振り回す。
「……あれ?」
その途中にふと気づいた。イルが合間に落ち着きなくどこか見ている。何かと思い耳を澄ますと、視線が向かう先では剣の打ち合う音がした。たぶん、ゾラに気を取られているのだ。
好機だ。この際卑怯のなんのと言っていられない。集中しきれていないうちに押しきれなければ、イルにはきっと勝てない。
「! くっ」
レイピアを突き入れて、飛び離れる、それを素早く繰り返す。削れ。とにかく削れ。
そのことだけに集中したためだろうか。普段よりも身体がよく動く。そんな気がした。
――ずいぶんと、腕を上げた。
アルの猛攻を受けつつイルは思った。思いつつも視線が流れる。つい、ゾラの動向が気になってそちらを窺ってしまう。何しろゾラとバルトサールの打ち合いといったら、互いの得物を合わせるだけで火花が散りそうなほどだ。気にするなという方が難しい。
――それでも。
アルがこれほど真剣に向かってくるからには、こちらも全力で受けて立たねばなるまい。そう思い直した。
視線を固定すると、一瞬アルの顔がひきつって見えた。そこへ遠慮なく斬りこんでいく。アルはとっさに横へ逃げ、それを追って模造剣を薙いだ。
「アル! 来い!」
自らを戒めるために吼えた。ゾラの方は、もう見ない。
『あっと、イル選手が急に攻勢に転じた模様! 彼はあれねえ実戦以外ではすぐに集中しきれなくて序盤に苦戦するタイプなのかしらね?』
『僕もう観客席行っていいですかね……あ、うわ、すご』
『一方のゾラ=ナダ選手とバルトサール選手はずいぶん白熱してるみたいだけど、二人ともルールを忘れたりしてないわよね~?』
別に忘れたわけではないが、とバルトサールは内心で独白した。
そもそも出場者は皆騎士であり、戦場での経験を積んだ者ばかりだ。棒切れひとつでもあれば命を奪うに足るはずで、ただし、今は『殺してはならない』という取り決めをもってこの場に立っている。自分もあえてそれを破るつもりはなかった。
なかなかどうして殺さずに済ますにも技術が要る。その技術を目の前の男と競うのだと割り切るならば、それはそれで愉快であった。命のやり取りはまた別の機会にしてもいい。
「バルトサール!! もうっ何をもたもたしてますの!?」
観客の騒々しい声援に紛れ、だいぶ興奮気味のアロンドラの声が聞こえた気がした。が、意識をそらすほどの余裕はない。
弾きあった刃の向こうにゾラの一挙手一投足を窺う。視線からさえ重圧感を受けつつ攻め口を探る。かなりの手数をかけながら、いまだどちらも決定的なダメージを与えていない。だからこそまずは一撃、先に入れた方が有利になるだろう――
めまぐるしく思考を巡らせながらも、自然と口角が上がっている自覚がバルトサールにはあった。
「愉しいねえ……相変わらず」
以前にやり合った時もそうだった。ゾラ=ナダ・ヴォルフクローネというこの男、己とどこかしら近しいにおいがする故か、ひとつとして出し惜しみなく戦うことができるのだ。
――ああ……俺も愉しいな――
ゾラもまた、笑っていた。アリエーヌムで見えたあの時と同様に。
速さはゾラが上回る。膂力ならばバルトサールが勝る。互いに承知の上で、最後にどちらが残るかは、まだわからない。
「さあ、どうやって――勝とうか?」
その瞬間、別の影がすれ違う。
すり足で移動し大剣を薙ぐイルと、その周囲でひらりひらりと飛び回るアル。わずかな時間だけ視界に収め、また目を戻した。
イルなら大丈夫だ。垣間見えたあの眼は、充分に集中している眼だ。
『バルトサール選手はかなり積極的に距離を詰めてくわね。ゾラ選手はうまく受け流しながら機会を狙ってる感じかしら?』
『たぶんそんな感じですねっていうかちょっと話しかけないでほしいんですが瞬きも惜しいくらいの攻防ですよこれ!』
『ほーら実況のオフィーリアちゃんも息継ぎ忘れちゃうくらいのすごさなのよー、みんなにもちゃんと見えてるかしら!』
アルーシェにも実況ははっきりと聞こえていた。
たぶんいま、バルトサールとゾラの方に注目が集まっている。自分も気になる。が、歯を食いしばってよそ見をするまいと努める。この対戦メンバーでは体格も技術も、一番足りないのは自分だけれど、せめて。
「向こうの邪魔はさせません!」
たんっとステージを踏んで突きの構えを取る。がその瞬間に耳が風切音を拾った。視界の狭い右側だ。
とっさに、迷ってしまった。このまま突っ込むべきか逃げるべきか。迷った分だけ反応が遅れる。このままではどちらも間に合わない――
「っ!」
それでも大ダメージは避けなければと身構えた。
――予想した衝撃は来なかった。代わりに小さなものをはじく硬質な音。とっさに見上げた中空には短刀が舞っていた。
バルトサールが投げたものをイルがとっさに防御したようだ、と、事態を把握するためにわずかな時間を要した。
「ああーっアルー!!」
家族の悲鳴のような声と共に、ふわりと体が浮いた感覚。
後から思えば、疲労で集中力が切れたのかもしれなかった。自覚はなかったけれど。なにしろどうにかしてイルに対抗しようとほとんど休みなく駆け回っていたのだ。
「やっと、捕まえた」
『あっイル選手が! アルシオ選手の胸ぐらつかんで? かーらーのーそのまま地面に押しつけたわー!』
『えっ……うわーイル騎士長、さすがの腕力というか握力というかばかぢかrげふんげふん』
「アルシオ・コルノーディス。フォールだ」
最後に至極冷静なアルバートのコールがあった。アルーシェは仰向けになったまま、むしろようやく解放されたという気分で大きく息を吐いた。
――遅かったか。
コールを受け、バルトサールは背後の気配を探る。ひとまずイルはこちらへ向かってはこないようだ。邪魔をしないでくれるというならありがたい。
この場限りの相方の危機がたまたま目に入ってしまったものだから、少しくらいは手助けしようかと、武器のひとつを手放した。それがなければどうなっていたか。思い描かないでもないが、そのような仮定は本質的に無意味だ。
『あーっゾラさんの方も! は、速っ』
『ゾラ=ナダ選手! 一瞬の隙を突いて距離を取っ、ああもう口が追いつかないじゃないのっ』
ゾラは一気に跳び下がってから真横へ駆けた。バルトサールがアルを援護するとは予想外だ。しかし驚いただけで動揺ではない。
ここまでの超接近戦ではバルトサールの重い攻撃を捌く方へ力を割かざるをえなかった。正面からの力の押し合いから解放されれば。攻撃でも対抗することができる。
「こっからだぜ、旦那」
袖口に仕込んだ黒刃――ごく小さな刃を投擲。はじかれることは想定内。一瞬距離を詰めて剣を振りおろし、その陰から短剣で追撃する。
二撃目がうまくバルトサールの懐に入った。ぐ、と小さく呻きつつ、その不敵な笑顔が消えることはない。逆に踏み込んできたところで、素早く身を沈めて足払いをかけた。そのまま襟を掴もうとしたのは振り払われた。しかしわずかに体勢が崩れたのを認め、しなやかに身を回転させて、背後を取った。
手刀がバルトサールの首筋に吸い込まれた。さほど強くない一撃ではあるが、つかの間神経の自由を奪う。
「……今回は、きみの力が勝ったようだね。今回は」
バルトサールは苦笑と共に頭を振った。その両膝はステージ上に触れていた。
勝負が決したことを告げるアルバートの声をかき消すほどに、歓声が降り注いできた。