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――あまり考えこまないようにしよう。
散々悩んだ末、ナセが出した結論はそれだった。
戦いたくはない。しかし、現実に影人は出るのだし、ナセ達が対応しなければ町は壊されてしまう。自分でも説明できないような理由で、戦いをやめるわけにはいかないのだ。
気を紛らわせようと大音量でモモがグリルさんから借りてきたCDをかけていると、唸るギターの合間から、黒電話のリリリリリンという音が聞こえてきた。誰からだろう。モモの彼女のアンナかな? それともホドのチェス仲間かもしれない。
「はい、ナセです。……え、でも昨日……そうですか。わかりました。すぐ向かいます」
受話器を置いて、ソファでくつろいでいる二人に告げる。
「西の八百屋近くに影人が来たって。しかも三体」
「えー、早くない? 勘弁してよ」
めんどくさいなぁ、お風呂入ろうと思ってたのに、とぶつぶつ言いながらホドはさっさと上着を羽織り、ブーツに足を突っ込む。
「西の八百屋って、ヘミルさん家か。昨日倒したばっかなのになぁ」
モモとナセもあとに続き、すぐに支度を整えた。
影人の現れる場所に規則性はない。人里離れたところに出ることもあれば、町のど真ん中にやってくることもある。とりあえず予想できるのは、『外』から来て『外』に帰っていくらしいということぐらいだ。
三人は剣を腰に下げ、西の八百屋を目指して走った。体力がないナセはじきに息を切らして前かがみになり、手を膝につく。ただでさえ山のふもとにある小屋は中心街から離れているというのに、西区は中心街から更に向こう、つまり小屋から一番遠い場所にあるのだ。しかしこんなところでへばるわけにはいかないので、ぐっと歯を食いしばり、気合いを入れてまた走り出す。
「ナセ、頑張れ!」
少し先を行くモモが、振り返って爽やかな笑顔で励ましてくれる。
ナセはふらつきながら「へーき」と笑い返した。
八百屋に近づくにつれ、人の数がどんどん減っていく。普段はそれなりに出歩く者がいるのだが、今はみんな避難しているのだ。ナセ達と反対方向に駆けていく数人の中に、靴屋のケンがいた。たまに靴を修理してもらう程度の間柄だが、顔なじみだ。
「よ、三体だってよ。多いな。俺が買った大根ふっ飛ばされちまった」
「残念だったなー。また買ってやれよ」
「おぅ」
すれ違いざまモモと言葉を交わして、中心街の方に去っていく。
三人がやっと八百屋に辿りつい時には、影人はもう相当数の家屋を潰していた。屋根が崩れ落ち、壁が倒れ、割れた窓ガラスがあちこちに散乱している。当然八百屋の軒先に並べられていた野菜と果物は、瓦礫に埋まって全滅だ。
「さすが三体だとやることが早いね。どうする?」
「いつもの三体ん時と同じ、一人一体ずつ、でいーんじゃねぇの」
剣を抜き早速狙いをつけるモモに、ホドはにやりと笑う。
「了解!」
ホドも自分の担当と決めた影人の前に躍り出たので、ナセは残った一体に後ろから切りつけた。三人で一体を相手にする時と違い、足止め役とか攻撃役とか悠長なことは言っていられない。体力に不安があるナセは、とにかく相手にぴたりとくっついて突きまくり、速攻で決める方針だった。反対にホドはひらりひらりと飛び回って翻弄しながら自滅させる手を使い、モモは真っ向から力押しで乗り切る。
ナセは迫りくる影人の拳を間一髪で避けながら、安心していた。あんなに戦いが嫌だったのに、いざ戦いになってしまうと躊躇いなく動くことができる。早くこの場から立ち去りたい、影人が怖いという気持ちはなくならないが、それが戦いに影響することはなかった。まぁ当然と言えば当然だ。これはずっとナセがやってきたこと、これからもやり続けること、そう決まっているのだから。
できないはずなんてない。
ナセは力を込めて、影人の右膝から下にかけて剣を引く。ぐぐぐ、と手ごたえがあり、黒い皮の一部がぶつりと切れる。すぐさま横に飛んで、降ってくる棍棒を避けた。これならもう少しで倒せる。良かった、油断しなければあと一撃か二撃でなんとか――
「わっ」
後ろからホドの声が聞こえた。冷静なホドがこんな声を上げるなんて珍しい。影人の動向に注意しながら横目でホドの方を見ると、剣を持っていなかった。
――取り落とした? いや、はじかれたのか。
焦った顔で剣を拾おうと駆けだすホド、しかし影人の方が早かった。ひょいと剣をつまみ、腕を下ろしたままの位置から、すっと横に走らせる。
影人に、何の意図があったのか、いや意図などないのだろう、ただなんとなく手を動かしただけだ。
ざく、と音がして、モモの首がずれた。
そのままごろりと頭が土の上に転がる。血が吹き出し、目の覚めるような赤と生臭い匂いが辺り一面に広がった。それは酷く現実離れした光景で、ナセはただ吃驚したように、口を開けて固まっていた。
自分が相手をしていた影人のことなど頭から吹っ飛んでいた。手の力が抜け、剣が瓦礫の上にがらんと落ちる。
影人は何故かもう攻撃してこなかった。三体ともおとなしくなり、いつもどおり棍棒を持った手を高く掲げ、ゆっくりとどこかへ去っていく。
場を沈黙が支配していた。
ナセはぎこちなく鈍い体を動かし、おそるおそるホドを振り返る。ホドもまた、呆然と目を見開いていたが、やがて糸が切れたように崩れ落ち、「ひぅっ」と言葉にならない声を上げた。




