宗教賛歌に空は散る≪融解編≫
その言葉の真意を聞き出す前に、青年は肩に違和感と重さを覚えた。立ち上がろうにも立ち上がれず、動こうにも動けない。唯一動かせる頭を動かし状況を見る。そして己の隣左右を挟む形で立ち、青年を押さえつけていたのは晶と了だった。
「な、何するんですか」
「スマン。女王が気に召したならお前に選択権が無くなるんだ。悪いが、今のでお前は名前を捨てるか捨てないかなんて選択も出来なくなった」
答えたのは了だった。だが、その表情は起きてからずっと青年に向けられた微笑みではなく、無表情というものをそのまま表したようなものだ。
「仲間になれ。Pandoraならいくらでもお前を歓迎する」
「あら、了。何故貴方達の方のチームに入れるの?」
「アンタのとこに置いておくとどうされるかわからないからな」
そこだけは譲らないといったように、無表情でも殺気が伝わった。それに答えるように、クイーンは目を逸らし、大きな溜息を吐く。答えはノーか。イエスか。
「仕方が無いわねえ。でも、仕事は優先的にこちらから送るわよ」
「そのくらいやってやるよ」
青年にとって何が良いのかはわからないが、とりあえず青年にトラウマを埋め込みそうになったクイーンからは遠ざかるということではあるらしい。ホッとすれば良いのか、どうすればいいのかが解らない。状況判断できる材料が少なく、青年を置いて話が進みに進んだ。だが、彼自身の意見も反映されることは無いだろう。クイーンという女の権力は絶対の様で、遠目に見ることしか出来ない。
「さて、なら名前を決めましょう」
「……それは、僕が決められるんですか?」
青年が問うと、クイーンはまた微笑んで「もちろん」と言い、また口を開く。
「と、言いたいところだけど。ね」
彼女の隣を陣取るキングが青年に近寄った。二人は目と目で合図が打てるのだろう。青年の目の前に来るまで、彼は何一つ会話をすることが無かった。
「これを」
キングがポケットから取り出したのは一つの指輪。
「何ですか?」
「それに貴方のこれからの名前が書かれています。一種の通達、もしくは貴方がクイーンの下に生きる者だということを示す証です」
そう言われ、指輪をくまなく観察する。指輪の外側はほぼ何もなく、シンプルなデザインだ。輪の中を見ると、一つの単語が刻まれていた。
「あ、『Alice』……?」
「そう。アリスよ。貴方の名前はアリスなの」
喜びの表情を隠すことなく、青年の戸惑った顔を見ているクイーンは少なからず子供の様だった。それが彼女の性格なのだろうと、勝手に解釈するが、青年はまだ躊躇がある。渡された指輪はきっと今はめなければいけないのだろう。だが、それでも気分は付いて行かない。
「アリス。私のアリス。貴方はアリスよ。皇族だったとしても私の物よ」
「…………」
「今はめなくてもいいの。まだ貴方は何もわからないだろうから。ね」
次々と彼女は青年を置いて話を進めに進める。
「さて、お仕事のお話をしましょう」
全員に渡され手元にあるのは一つの書類。ページ数はそれほどない。即席で作ったのか誤字が多いのも解った。
「今から三時間くらい前に見つかった死体があるの。まあ、結構前から騒がれてたようなやつなんだけどね」
クイーンは仕事のできる女性を演じてるような、そんな感じだ。そうとしか思えないほどに青年はクイーンの第一印象を引きづっている。
「はーい。アリスちゃん。書類に集中ね」
「あ、はい」
「よろしい。つまり、アリスちゃん以外は解ってるはずだけど、融合死体ということよ」
融合死体。晶達の世界でそう呼ぶその死体は、表の社会ではそう言われていないらしい。
書類によると融合死体の原因は、おそらく能力者による殺害だという。二ページ目に入れられている写真には大柄な外国人と、高校生くらいの少年が有り得ない形で写っていた。明らかにくっ付いている体と体。打ち込んで接合したわけでもない。元から、接合ではない。完全な融合だ。
「regnumって知ってるかしら。ジャック」
「ラテン語で『王国』もしくは最近拡大化し始めた殺人鬼集団。後者のことでしたらここに資料が大分貯まってます」
「お願い」
「regnumはチェスを装ったチームで、リーダとしてレックス、レギーナという男女を構えています。戦闘員として代表的なのはポーン、白、黒、ナイト、ビジョップという者が上げられます。それぞれ全く違う経歴と能力を持っているようですが、まだ誰がどんなものを持っているかまでは解りません」
「それだけ解っていれば結構よ。ありがとうジャック」
ジャックは目を逸らして首を縦に振った。
「ま、簡単に言えば今回のその死体を作ったのはregnumであるということが、先ほどわかったの」
「俺以外の方法で?」
「ジャック。別に貴方だけが情報源以外じゃないのは知ってるでしょ。現場に居合わせた女性店員が裏の人間でした……なんてあり得ることよ。もしそれが私の下の者じゃなくても教えてくれるときは教えてくれるわ」
何かを裏切られたような、そんな感覚に襲われた。青年にとっては他人事ではあるが、ただ同調してしまう。だがジャック自身は全く動揺を見せずにいる。不安になるだけ無駄だったようだ。
「言いたいのはね、これから戦争するわよって話」
「戦争とはまたとんでもないことを仰りますね」
キングの反応に、クイーンはまた微笑む。
「……知ってる? チェスって戦争好きの王様の為に作られたのよ?」
背筋が凍るような冷たい声。キングも驚いたのか、一瞬顔をしかめる。
「で、何処にいるかとは聞けなかったから、どの辺でうろついてるかは聞いたわ。そこで、アリスが必要なの」
生餌というような意味なのか。だが、相手は人間であり霊ではない。霊媒体質の効力は例に対してのみのはず。どんなに考えても彼女の考えていることは読めない。
「相手がターゲットとしてるのは霊媒体質の人間らしいの。資料の四ページを見て」
資料を見て、そのページを開くと、複数人の顔写真と紅い写真が載っていた。一番上の写真はふくよかな男性の老人。その下に低学年程度の男子小学生。最後は冴えない中年男性といったような形だ。名前はそれぞれ『ユグル』『恵』『雅』というらしい。惨殺の写真は耐性のできていない青年には辛かったが、インパクトでほとんど覚えてしまう。
一つ目はベットの上に半裸で心臓を杭か何かで打ちつけられているように見える。だが文章では後頭部とベットの木枠が融合しているようだ。二つ目はランドセルが小さな体に突き刺さった状態が載っている。場所は学校の鶏小屋。三番目は鏡に打ち付けられたように手足を大の字に広げ、キリストの処刑絵を思い出された。
「この全員、虫に集られていたのは確かよ。特に雅なんかうちの系列で働いてたし……ただ、ターゲットじゃないだろうと思われるのも殺されてるの。一人目のユグルでは使用人が。二人目では警備員と鶏が。三人目では一緒に居合わせたと思われる男性と、雅の生徒と思われる高校生。あとはデカい外国人ね。まあ惨状は想像しなさい」
言われなくてもそうしたい。それで済ませたい。青年の思いは顔に出ているらしい。クイーンは楽しそうに口を開く。
「で、もう分ったろうけど、アリスにはガードを付けて街を歩いてもらうわ。殺し方を見たところ、目を付けてからおそらく三日はかけて情報を調べてくるだろうから」
「また、それは何故?」
晶がクエスチョンマークを頭に乗せて尋ねると、キングの補足が入った。
「被害者は皆、自分に関係がある死体の形にされてるんです。ユグルは汚職が多く女癖も悪かった。恵は生き物係であったが鶏を石で殺したことがある。雅は元神父だが自分の子供を虐待していた」
「なんだよそれ。まるで相手は罪人を処刑してるみてえじゃねえか」
「霊媒体質は何かしら不運に見舞われることが多くて、したくも無いことさせられることが多いんです。それが狙う原因であれば、正義感の空回りとかでしょう。ま、頑張ってください」
「は?」
「どうせアリスさんの警護は貴方方でしょうし。俺はクイーンの身の世話役ですから」
ピリピリとした空気が漂った。二人の仲は元々悪いようだ。
「あら、キングも勘違いしない方が良いわ」
「はい?」
「貴方、今回はアリスちゃんの警護に回ってもらうのよ?書類ちゃんと読みなさい」
書類の最後のページ。その内容は仕事の割り振り。生餌のアリスに、資料収集のジャック。戦闘員としての晶と了。それ以外は一つの欄だけ。
青年の警護は、キングに託された。