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9話 歩道橋の上で



「……ダンジョンねぇ」


 永見さんのところを辞して、歩道橋の上で一人呟く。

 時刻はまだ夕刻には程遠い。

 今からメモに手渡された場所へ行っても十分に間に合うだろう。


 だがどうもその気になれなかった。

 現実感が今一つ乏しいのだ。

 五感もまともに働かないあの世界で、長い間生き延びてきた。

 何一つ碌な思い出が無かったかと云えば、そんな事はない。

 だがもう一度繰り返したいかといえば、答えは断じてノーだ。


 襲われれば逃げるし、殴られれば殴り返すかも知れない。

 だが、将来あるかも知れない漠然とした脅威から身を守るために、今ここで命懸けで戦えと云われても、はいそうですかと動く気にはなれなかった。

 それに――。


「……はぁ」


 喉が渇く。

 道行く人の首筋につい視線が行く。

 何だか本当に吸血鬼にでもなった気分だ。


「まあ本当に本物なのかも知れないけどさ」


 俺のドラゴンランドのプレイヤーのビルド方針は、かなり吸血鬼という種族に依存した形にしてある。

 それは一言で云ってしまえば偶然の産物なのだが、結果としてかなり強力なスキル構成となった自身がある。

 だが同時にその構成はかなりピーキーで、前準備が何も無しだとはっきり言って二流半といったところだ。


 永見さんから聞いた話だと、あのデスゲームによって俺たちはスキルの発動の仕方が脳に刻み込まれた状態らしい。

 だがそれにも関わらずレベルは低いままになっている。

 後はダンジョンで魔物を倒し経験を積むなどする事によって、そのレベルを上げる事ができ、それによって使えなかったスキルも使えるようになる筈という事だ。


 ちなみにこのレベルアップは、要は魔力素と呼ばれているものを体内に吸収させればよいので、別に自分で魔物を倒す必要はないし、極論すればダンジョンに潜って魔物を倒す必要もない。


 だがどちらにしろ、それは俺が吸血鬼として成長するという事だ。

 そうなった時に、俺はどうなるのか。


「いっその事、世界滅びねえかなぁ……」

「なに物騒な事を呟いてんのよ」


 一人呟いていると、唐突に声がした。

 どこか呆れたような声音だ。

 視線をそちらへ向ければ、予想通りの姿が視界に映る。


 ――笠井鹿子。


 美人で頭も良くスタイルまで抜群。

 更には面倒見まで良いという、なにこいつ、チート? チートなの? と言いたくなるような俺の同級生だ。

 他の同級生とはまだ殆ど顔を合わせていないが、こいつだけは代表として病院に見舞いに来てくれていたので顔と名前が一致している。


 嫌な奴ではない。

 寧ろ良い奴だ。

 誰とでも分け隔て無く接し、貧乏くじも厭わない。


 だが、俺はこいつが苦手だった。

 どうもこう、こいつを見ていると胸がざわめくのだ。

 何だか精神衛生的に非常によろしくない。


「今俺が直面している難題を解決する、たった一つの冴えたやり方ってやつだ」

「世界滅亡を願う前に自分の無精を省みなさい。労を惜しまずやれば大抵の事はどうにかなるのよ」

「ならば今すぐに、俺に進級できるだけの学力を授けてみろっ!」

「勉強しなさい。地道に」

「俺は結果がすぐに欲しいタイプなんだ」

「はいはい。……んで、克也はこんなところでなにやってんの? 確か退院が昨日だったわよね。こんなところにいないで、家で休んでいた方がいいんじゃないの?」


 鹿子が真摯な眼差しで此方をじっと見る。

 その見透かすような大きめの瞳がどうも苦手だった。

 どうもこいつは、隠す事など何もないっ、みたいな空気を自然と身に纏っているのだ。

 後ろ暗い感情や出来ないこと、嫌いなものや弱点。

 そういった隠しておきたいものを、こいつからは感じない。

 隠しておきたいものばかりの此方としては、どうも劣等感が拭えない。


「医者が大丈夫だって言ったんだから、大丈夫だろ」


 口から出た声は自然とぶっきらぼうなものになっていた。

 やや乱暴に響いたかと一瞬心配になったが、鹿子はまるで気にした様子も見せない。

 その事に内心ほっとする。


「あんな事があったんだから念を入れた方が良いと思うんだけど……」

「お前、習わなかったのか?」

「……何を?」


 鹿子が小首を傾げる。

 胸元辺りまで伸びているウェーブの掛かった髪が、重力に従ってさらりとこぼれ落ちた。


「戦後日本伝統のタクティクスだ」

「……はぁ」

「都合の良い専門家の意見を適宜つまんで行動方針に採択。責任の所在を曖昧にしつつ、権威で補強し理論武装するんだ」

「それは明らかにダメな見本だっ!」


 はぁ、と鹿子が額に指をやり溜め息を吐く。

 その仕草はやたらと堂に入っていた。


「そう言えば、昨日克也が入院していた病院でなんか異臭騒ぎかなんかがあったみたいだけど、大丈夫だった?」

「……ああ、間一髪でな。巻き込まれずに済んだ」

「そう、よかった」


 鹿子はほっとした表情を見せる。

 彼女は感情を隠さない。芯の所で素直なのだろう。

 よくここまで生きてこれたものだ。

 才色兼備という皮をはいだところにある、幼稚さと紙一重の純真さ。

 先輩から構われまくっていたのも判る気がする。


「んで、話が戻るけど……なんかあったの?」

「なぜ話を戻す」

「克也の脱線具合に付き合っていたら、いつまで経っても話が進まないと学びました」


 えっへん、という感じで鹿子が胸を張る。

 そこに俺がすかさず突っ込む。


「成る程、鹿子は俺色に染められた訳だな」

「…………」


 いかん、すべった。

 気まずい沈黙が辺りを満たす。

 先に折れたのは俺の方だった。


「……ご免なさい」

「いえ、こちらこそ」

「…………」

「…………」

「……取り敢えず、今のは無かった事にしないか?」

「え、ええ、そうね」

「では、テイクツー。……3、2、1、キュー!」

「克也の脱線具合に付き合っていたら、いつまで経っても話が進まないと学びました」

「成る程、鹿子は俺色に染められた訳だな」

「…………」

「…………」

「……繰り返してどうすんのよっ!?」

「済まん、思いつかなかった」


 別に天丼ネタを狙った訳じゃなくマジだ。

 それが伝わったのか、鹿子はがっくりと両肩を落とす。


「あー、もうっ!」


 だがすぐに復活した。


「ったく、いい加減にしておかないと彩花ちゃんに言いつけるわよ」

「……っ」


 ごく何気なく出たその言葉に、先程別れた彩花の姿を思い出し、思わず動きが止まる。

 ほんの一瞬だった筈が、鹿子は気付いたようだ。

 その瞳に怪訝そうな色が浮かぶ。


「……彩花ちゃんとなんかあったの?」


 余計なお世話だ。

 そう言ってはねのける事も出来ただろう。

 事実そうしようと、半ばまで口を開いた。

 だがそんな言葉は何故か出てこなかった。

 代わりに出たのは、自分でも判るくらいに力がなかった。


「……お節介だな」

「そう? 克也にはこれくらいで丁度良いと思うわ。ほっとくとリアルに死んじゃいそうだし」

「俺を一体どんな目で見てるんだよ。子供じゃないんだぞ」

「子供の方がまだマシよ。やれる行為の危険さがまるで違うもの」

「さいですか」

「で、話してくれる気にはなった? 出来る事なら力になるし、そうでなくても一人で抱えておくよりはマシになると思うわよ」

「……そうだな」


 鹿子の言葉に少し考える。

 全てを伝える事は出来ないが、ある程度だったら構わないだろう。


「まあちょっと人には言いにくい事情が出来たんだ。んで、その事で将来のためになるから今から頑張れみたいな事を言われてな、お前には才能があるとか言われても今の俺には関係ないって話で……」

「よく判らないわね」

「だろうな」

「それで彩花ちゃんと揉めたの?」

「ふっ、俺様を誰だと思ってる」

「如月克也」

「そんな揉めるなんて事をする男だと思ったか! 事情がばれそうになったから、その場からすぐに逃げ出したんだっ!」

「それは最低だっ!」


 断言された。


「最低かぁー……そうか、そうだよなぁ」


 言葉のナイフが思ったよりもこたえた。

 思わずその場にしゃがみ込む。


「いや、そこでそんなに傷つかれるとこっちも困るんだけど……」


 こいつ面倒くせぇ、みたいな眼差しが突き刺さる。


「……はぁ」


 だが鹿子は溜め息一つ吐くと、表情を柔らかいものに変えた。

 そしてそのまま俺の隣にしゃがみ込んだ。

 ふと、頭に柔らかな感触。

 気付けば、頭が撫でられていた。


「……?」


 不思議な感覚だ。

 不快と紙一重の心地よさ。

 少なくとも物心ついてから、そんな事をされた記憶はなかった。

 困惑混じりに、ふと顔を上げる。

 するとそこには、此方を真っ直ぐに見詰める鹿子の顔があった。


「あーよしよし」


 その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 何だか完全に子供扱いだ。

 どうもそれが悔しくて思わず――。


「パンツ見えるぞ」

「……っ!?」


 思ったよりもぶっきらぼうな口調になってしまったが、内容自体は不意をつけたようだ。

 鹿子の顔に驚愕と羞恥の色が浮かぶ。

 だが鹿子は一瞬で持ち直すと、そのままの体勢で婀娜っぽく笑んだ。


「……元気出たでしょ」


 そしてそんな言葉を口にする。

 俺は思わず鹿子の顔をじっと見詰める。

 その口には悪戯っぽい笑みが浮かんでいるが、頬は微かに紅潮していた。

 気が付けば、俺も少し頬が熱い気がする。


「……っ」


 頭の上に乗っている手を乱暴に振り払い、立ち上がる。

 一瞬触れた鹿子の手はひんやりとして柔らかかった。男のものでは有り得ない女性のものだ。

 鹿子も抵抗はせずにそのまま立ち上がり、歩道橋の柵に背中を預けた。


「あんまり立ち入るつもりはないけどさ、わたし克也が入院している時、彩花ちゃんがどれだけ心配していたかを直接見ちゃってるから……なんていうか、あんまり彼女を心配させるような事はして欲しくないな」

「俺だってそんな事はしたくない」

「うん、そうだね」

「問題は言っても言わなくても心配させるって事だな」

「そっか……難しいわね、色々と」

「本当にな」


 俺の返事を聞くと、鹿子はくるりと四半回転して再び此方へと向き直った。


「彩花ちゃんって一歳年下だっけ」

「ああ」

「だったら、まあ話してあげた方がいいと思うけど。少なくても私なら話して欲しい。出来るだけ早く、ね」

「でも俺は、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿を尊敬し、事なかれ主義を信奉している草食系男子なんだ。見なかった事にしておけば問題が自然と無くなったりしてくれると、そんな奇跡を信じるピュアな気持ちを失っていないんだよ」

「すぐに失っちゃいなさい、そんなもの」


 鹿子は呆れたように溜め息を吐く。


「まあいいわ……さっきも言ったけど、私に出来る事があったら何でも協力するから、何かあったら言ってね?」

「ほう、俺が青春の青く熱く仄暗いパッションを鎮める方法を探しているといったらどうする気だ」

「……? 青く、熱く、仄暗いパッション?」


 あ、この人、判ってない。

 不思議そうな顔をして鹿子は小首を傾げる。

 わざわざ説明するのも何なので、最初から気になっていた事を尋ねる事にした。


「そういや、俺は墓参りの帰りな訳だが、お前は何でこんなところに居るんだ? 学校も家も全く関係ないよな?」

「あー……まあいいか、克也に話すように言って私が何も言わないのもどうかと思うし。克也にまるで関係ないって訳でもないし」

「ん? なんかあったのか?」

「うん。親戚の子なんだけどさ、あのデスゲームに巻き込まれて命は助かったんだけど、少し様子がおかしくなっちゃったんだ。それに学校も行かずにどっかをふらついているみたいで……」


 そう言い淀む鹿子の顔は本当に心配そうだ。

 その親戚の子とは随分と親しかったのかも知れない。


「それでその子をつけてきて、その帰り」

「……意外にアグレッシブだな」

「そう?」

「それで結果はどうだったんだ?」

「取り敢えず変な場所に入りこんでた訳じゃないから、そこは安心かな」

「へえ、何処なんだ?」


 少し気になる事もあったので、問いを重ねる。

 特に隠すつもりもないのか、鹿子はあっさりと答えた。


「世紀の箱物として有名な中央公民館」

「……それって、加羅笛のか?」


 思わず確認する声が硬くなる。

 加羅笛中央公民館は、ここら辺りではある意味有名な建物だ。

 俺自身も前から知っていたし、中へ入った事もあった。

 だがそれ以外にも、俺はつい最近この建物の名前を聞いた事があった。


「え、ええ。そうだけど……それがどうかした?」


 俺の声音に驚いたのか、不安そうな表情を鹿子が浮かべる。

 だが俺はそんな事を気にしている余裕はなかった。


 ――加羅笛中央公民館。


 それは永見さんから手渡されたメモに書かれていた場所だった。



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