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黒デレのススメ

作者: 楠原 日野

エリュシオンの世界とはまるで関係ありません。

■黒デレの心得その一・己を理解し、与えられた情況を利用せよ


 バスが一日三本しかないようなところが俺の家だ。そこから自転車通学しているわけだよ。

 ちんたらこいでも三十分で着く距離さ。ここの登校時間って八時二十分までだから、いつも余裕をもって、七時半には家を出てさ。

 そんな俺が今朝に限って遅刻ギリギリだったのには訳がある。いつもの道を走ってると、脇の茂みに子猫がいたんだ。周りに民家はない。間違いなく迷子だろう。

 そのままだと確実に死ぬのは目に見えていた。

 で、悩んだ結果、子猫を拾いあげ、もがいているそいつを体操着用バックに押し込み、かごに乗せた。

 そっから子猫をあやしながら、振動させないためにも学校まで手押ししてきたのさ――。





「というのが事の顛末」

 コー平が両手で開いたバッグから、子猫がちょこんと頭を出し、ミャアと鳴く。

「顛末はいいとして。それだけの話で呼び出したの?」

 思わず、肩を落としてしまった。一時限目のあとの十分休みの時、話があるから二十分休みに音楽室前室に来てくれと、コー平に言われた。

 その言葉に、私はかなり動揺を覚えたね。

 音楽室前室――廊下への防音のために造られたその小さい部屋は、私たち二年のいる三階では、時間割にさえ気をつければ一番、人気(ひとけ)がないところであり、うちら女子の間では告白の名所なんだもん。

 コー平のほうからいよいよ告白か! とウキウキしてたんだけどな……

「まあ、それを踏まえて相談したくて」

 相談というなら、せめて私のほうを見てくれ。猫をあやしてないで――いや、その笑顔はとってもいいですけど。

 私にも向けてほしいんですけどと言えたら、どんなにいいことか。

「はぁあ……」

 私のため息が聞こえたのか、コー平は顔を向けてくる。

「ダメか?」

「いや、ダメじゃないけど……」

 私の好意をわかってて利用してんじゃないかと、思ってしまう。

 コー平に限って、それはないとわかってはいるが。このド天然。

「で、相談って何さ。猫を飼ってくれとか、そういうのは、なしね」

 うちの家族が動物嫌いだと話したはず。私自身、嫌いってほどでもないけど、好きでもないし。

 うちで飼うのは、どう考えても無理。

 コー平がパタパタ手を振る。

「いや、飼ってほしいって話じゃなく、猫を飼うための同好会を作ろうかと」

「ホワイッ?」

 ちょっと、首をかしげる事くらいしかできないんですが。

「学校で正式に猫を飼うための手段として、同好会を作ろうかと考えてんだ」

「クラブ活動にするってこと?」

「そう――なんだその顔」

 きっと今、私の顔はポカーンとしている――あ、いや、待てよ待てよ待てよ待て待て! 閃いた!

 少し大げさに、パンッと手を叩いてみせる。

「うん、すごいアイディアだよ! 理解するまでちょっと時間かかったケドさ」

「そうか?」

 理解というより、フル回転で現在も計算中なわけだけどね。

 二人で同好会。ていよく二人きりの時間を作れるなんて願ってもないチャンス。

 ここはひとつ乗っかって、利用させてもらおうかしら。ついでに恩も売っておくのが、よりベターね。

「同好会条件は確か同好会部長の氏名、活動内容、活動予定希望地、顧問の先生一名の氏名を所定の用紙に記入の上、生徒会に出して受理されればオッケーよね」

「そうなのか」

「そうよ」

 いつなんどき、何かに利用するかもと生徒手帳を網羅したのはダテじゃないのよ。

「そこらへんは全部、昼休みにでもやっとくから、とりあえずその子猫、先生にでも事情話して預かってもらいなさい」

「あ、預かってもらうトコは当てがあるんだ。この後すぐ行ってくるさ」

「じゃ、もうあんま時間ないからさくっと行ってきな。私は教室に戻って具体的に考えとくか

ら」

「おう、頼ンます。あんがとな、黒松」

 駆け出すコー平にヒラヒラと手を振り笑顔で見送っている間にも、私の頭の中は必死に回転させている。

 モチロン、いかに私に有利かつ効果的に二人きりになる方法ばかりをだ――


 結局、昼までの二時間分の授業はそれにかかりきりだった。

 だがしかし!

 おもわずムッフーっと、鼻息をついてしまうぜ。

 同好会部長は、提出の問題もあったからだが、解散権と脱会権がヒジョーに魅力的だったので私で決定。

 活動予定希望地は、運動場に近い所になぜかある文系部用部室棟の一角。

 静寂を求めがちな文系にとって立地条件が悪く、しかも六畳一間と部室棟としてはかなり狭いため、たいへん不人気。

 四軒長屋が二棟あるが、文系が少ないせいもあいまって、そのすべてが空いている。

 この希望地はすんなり通るだろう。

 顧問については、半分ダメ元で保健医に頼んでみたら、引き受けてくれた。

 動物嫌いで与えられた部屋からあまり出てこない先生といえば、保険医の田部さんくらいだったので、これは少しラッキーといえよう。

 まあ、あの手この手で引き受けてもらうつもりではあったケド。

 とりあえず、この完璧な布陣で提出。はい、あっさり受理。

 トントン拍子で放課後、私とコー平は部室となる部屋にいた。

「まず軽く掃除だね」

「そうだな。それから猫、連れてくるか」

 コー平がバケツを持って外に行き、私はハンドモップを構え、高いところをかけつつ、考えにふける。

 基本、部室は学内治外法権。

 壁に棚をつけるのに釘を打ってもいいし、絨毯を持ち込んで敷いたり、カーテンをつけたり、電気の規定使用量以内であればテレビやパソコンを置いても、問題はない。

 教師陣はいい顔しないだろうケド。

 それでも生徒の自主性がなんとかこんとかで、不許可にはならない。まあ、どちらかといえば、生徒手帳の表記の穴という気もしないでもないが。まあやったモン勝ちだ。

 何よりも外聞だけはとにかく気を付けて、成績も悪くはない教師受けのいい私のやる事には結構おおらかなのだ。

 とりあえずはまず、体裁として猫用トイレとかそこらへんをそろえておいて、あとはもう私とコー平の愛の巣にしちゃたりなんかして、ああもう!

「ワックワクしちゃうっての!」

 自分の妄想にテンションがあがりすぎて、ぶんぶんと手のモップを振り回す。

「楽しそうだな、おい」

「おかえりコ――」

 振り返り、思わず言葉がとまってしまった。正しくは、コー平の後ろの連中を見て、だ。

「ここが部室になんの? ニイちゃん」

「四人だと本当に狭そうですね」

 コー平の後ろの二人。額ランの詰襟についている緑の校章と、緑のリボンからして、どっちも一年なのはわかる。

 初めて顔を合わせるが、コー平の弟の修平君とやらと推測できる。

 だが、それ以上はわからない。

「あ、これ弟の修平」

「初めまして」

 弟君がペコリと頭を下げる。

 て、そんなのはどうでもいい。

 その女子と、ここにつれてきた説明がほしい。さっき、四人とか気になることを言っていただけに。

「こっちがシュウの同級生の、若林さん」

「若林雅です。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げられても、何をよろしくなんだ――いや、わかってるけど認めたくない。

「シュウに同好会作ったってメールしたら入りたいってんで、つれてきたんだけど。いいよ

な?」

 ……敵は内にあり、か。

 部員など増やす気は微塵もなかったから、こういう時に断る術がない。

 溜まり場目的のヤツラなら即刻、活動に対する姿勢の問題とかで退部させる方法はいくらでもあるんだけど……まさか、弟君を難癖つけて退部させるわけにはいかないだろ。

 だがやはり、何よりも気になるのがこの若林。時折見せるコー平への視線は私の気のせいだろうか。

 なにやらこいつの動機には、きな臭いものがある。何よりも私の第六感が、こいつは敵だと訴えている。

 とにもかくにも、この場は笑顔の仮面で乗り切るしか。

「二人とも、初めまして。私が流れでここの部長になった、二年の黒松です。よろしく」

 首をかしげた若林が、私に視線を向ける。

「もしかして、黒松理恵さんですか?」

「知ってるのか? 若林」

 む、フルネームで知っているって事はもしかして……。

「明高のクリオネって呼ばれてません?」

 ――やっぱり。その呼称を知っていたか。

「クリオネって、あのヒラヒラ泳いでる? 黒松って、有名なのか」

 コー平のまっさらな視線が、痛い。

「うん、まあ――ね」

「かわいい感じの呼び方ですね」

 弟君が、はにかみながら褒めてくれる。確かに弟君の言ったように感じる人は、多いかもしれない。

 だが、その呼び方は女子の間で知る人ぞ知る、私に対するあてつけなのだ。

 自分で自覚しているが、正直私はかわいい方に分類される。

 徹底した美白に、手入れを欠かさないこのサラサラロング予定ヘア(まだセミロング程度だが)流行に乗りすぎず、遅れない程度に研究した素材を生かすメイクなど、隙はない。

 そして、これも自覚していることだが、私は腹黒い。

 別に相手によって態度を変えるとかはしていないのだが、常に自分の行動は計算している。損はできないからね。

 ここらへんがカンの鋭い女子か、あるタイプの女子には気づかれている。

 こんな外面よくてその実黒いことから、見た目かわいいが捕食時には悪魔の表情を見せるクリオネに例えられたのである。

 モチロン、褒め言葉ではない。

 そして本来これは陰口であって、正面きって言うものではない……だがこいつ、あえて正面から言ってきた。

 てことは、だ。

 ――どれ、少し探りいれてみるか。

「私が卒業したら、今度はきっと若林さんが言われるんじゃないかな。見た目もかわいいし」

「いや、そんな。それはないですよ。目立っちゃったら、色々やりにくくなりますもん」

 かわいらしく、チロリと舌を見せる若林。だがその目は、私と同じ目だ。

 そう、探りを入れてきている。

 間違いない、こいつはカンで気づいたほうではない。あるタイプの――私と同じ、計算高く同じ臭いをかぎ分ける能力に長けた腹黒キャラだ。

 しかも。

 このジャブの差しあいでわかったが、こいつ、かなりの使い手だ。

 正面きって言ってきたって事は、私の敵だと宣言している。それと同時に、コー平が知らなかった私のマイナス情報を伝え、私の評価を下げる布石まで打ってきたのである。

 おまけに、皮肉まじりだと?

 小癪な。だが、まだ甘い。

「クリオネなんて言われても、わかる人にしかわからないから大丈夫だって」

(訳・コー平が意味をわかった時、それを知っていたあんたも腹黒だって知られるのよ)

「一部でも注目あびるのは好きじゃないんで、尋ねられてもうなずいたりとか、しませんよ」

(訳・そんなヘタうたねーよ。自供さえしなければ、いくらでもとぼけられるからな)

「褒められてるなら、素直に受け入れたほうがいいけどね」

(訳・本来の意味を知らずに褒め言葉のつもりだったことにしておけば、よっぽど自然でウケるのに。バカだなぁ)

「褒められたいわけでもないですから」

(訳・そんな些細なことにウケなんぞ狙っとらんわ。ヴォケ)

「んっふっふっふ」

「うふふふふふ」

 て、気がつけば若林と二人で空間作ってしまった。コー平と弟君は掃除を始めているというのに。

 いかんいかん、点数稼ごう。

「掃除はうちらでやっとくから、コー平はとりあえず猫に必要な物買ってきなよ」

 コー平が手を止め、アゴに手を当てる。

「そうだな、来てからじゃ手遅れってこともあるから、先に買ってくるか」

「じゃあ私も付き合います。二人で分担したほうが早いですもんね」

 むぐ、功をあせって失敗した。二人で歩かせる口実をわざわざ与えるなんて。私は弟君に目をむけ、大げさに肩をすくめてみせる。

「二人だけで掃除するの?」

「買い物は、早く終われば掃除手伝えますけど、掃除早く終わっても、買い物手伝いに行くのは難しいですからね。

 それなら、二人ずつにしたほうが時間的にも、ちょうどよくなりそうで効率的なんじゃないんでか?」

 ぬぬぬぬぬぬ、実に正論。やはり後手だと不利か。攻め方を変えてみよう。

「分担って言っても、どんなもの買えばいいかわかってる?」

「大丈夫ですよ、うちの猫も子猫のころから育ててますから」

 子猫という単語に、コー平の顔がずいっと若林に向く。

「なんだ、若林も猫飼ってたのか」

 いかーん、コー平が猫に釣られたとはいえ興味を持ってしまった!

 っく、これ以上の引止めは墓穴になりそうな予感。ここは素直に負けを認めて、傷口が浅いうちに引き下がろう。

「うん、それなら二人に任せた。じゃこれ創部記念の五千円ね」

「おう、行ってくらぁ」

 五千円を受け取ったコー平が、出て行こうとする。それに続いて、若林も外に出て――すぐ振り返る。

「あ、中本君」

『何?』

 若林の呼びかけに、二人の中本が反応してしまい、若林が口元を押さえて戸惑っている。どう呼べばいいか、困っている風だ。

 ――はたしてこれには、どんな策がしこまれているのやら。

「いえ、中本先輩のほうじゃなくて……」

「修平の方か。区別つけるのにこいつの方は名前でいいよ。名前で」

 ははあ、読めたぞ。

 コー平を名前で呼ぶ気だったな。本人によってその計画はつぶされたけど。グッジョブ、コー平。

「ニイちゃん、勝手に決めんなよ」

 弟君、よけいな事言わなくてよろし。

「修平君でいいんじゃない? ね、若林さん」

 内心、ざまみろな感じで若林に振る。

「ですね。先輩を名前で呼んだりなんか、できませんからね」

 おや、あっさりと引き下がったな。引き際はかなりいいみたいね、覚えとこ。

「じゃ、修平君、自転車借りていい?」

「いいよ」

 弟君はポケットから鍵らしきものを取り出し、若林に近づいて手渡す。その時、若林が弟君

の肩に手をのせ、何かささやく。

 そしてちらりと、若林が私に視線を向け、弟君も向いたかと思うと、私と視線が合うとうつむいてしまう。

 はて?

 もしかしてだが――弟君は私に気があったりするのだろうか。おそらく、間違いないだろう。

 いるのは知っていたけど、会ったのは今日が初めてのはず。

 でも察するにコー平絡みで知って、以前から好意を抱いていた気配だ。

 めんどくさいなぁ。

 私はコー平にだけ、向けてもらえればいいっていうのに。

「じゃ行ってくるんで、あとはよろしくな」

「了解」

 ため息は心の中で済ませ、敬礼ポーズで応え、コー平とおまけを笑顔で送る。

 さっさと戸を閉められてしまったが。

 おのれ、若林め。

 中指を立てそうになるが、弟君の視線にハッとして、不自然な動きだが手を叩いた。

「さ、掃除しよっか。修平君は拭き掃除お願いね」

「わかりました、黒松先輩」

 素直に雑巾を絞り始める弟君。さすがコー平の弟だけあって、天然臭いわ。

 さてさて、弟君には悪いが、私に好意があるならそれを利用して、私の知らなそうなコー平の情報を引き出していくとするか。

 不本意ながら、二人きりの時間は十分あるし。

 ああ、一緒に買い物したかったなぁ……。


 癪だが、若林の予測通り、買い物班が帰ってきた頃、ちょうど掃除も終わった。

 若林は二人きりだったおかげでテンションがあがっているようだが、弟君は逆に下がっている気がする。

 何故かな。コー平の質問ばかりしたから、私の好意が誰に向いているか、気づいたか?

 まあ些細な事。気にしない気にしない。

「ちょうどいい時間だったみたいだな」

「モノもないから、今日のところはこんなもんね」

 質問を減らせば、もっと早く終わっていただろうケド。

「トイレとかどこにおきます?」

「トイレは奥の角で固定しよう。他の物はとりあえず部屋の模様が決まるまで適当においといていいよ」

 部屋の模様か……今となってはどうしようかな。相談して決めるか。

「部屋の模様、どうする?」

「それは会長殿にまかせる。持ち込んでほしい物があれば、協力するようにするからさ」

 任せられても、今となってはめんどくさいだけなんだけどなぁ……まあ仕方ない。これも点数稼ぎだ。

「で、ニイちゃん。肝心の猫は?」

「準備できたってメールしといたから、そろそろつれてきてもらえると思う」

 誰がつれてきてくれるのかしら。休み時間に言ってたアテにしてた人だとすれば、一般生徒が簡単に出入りできず、部屋に閉じ込めておくことができるとしたら先生の誰かかな。

 コンコン。

 タイムリーなノック音。コー平がスッと立ち上がり、戸を開ける。

「どうぞ」

「お邪魔します」

 猫を抱いてやってきたのは胸のリボンが赤い、三年の女子生徒だった。というか、よりによってこの人か。

「コー平のアテって、生徒会長のことだったんだ」

「生徒会室においてもらったんだ」

 コー平と生徒会長が顔見知りというのは、意外だったわ。見たところ、この二人に好意は見られないか。

 判別つきにくいけど。

 正直、この生徒会長は苦手なジャンルだ。おそらく若林もそうだろう。

 私らみたいな計算したわけでもなく、自然体で常時笑顔、おっとりとしてトロそうな天然ぽい系。

 人に嫌われてる話を聞かないから、純天然ほど付き合いにくいわけでもなく、人もいいのだろう。

 無茶振りに近いのに、猫を預かってくれたし。

「では、今日からよろしくお願いしますね。生徒会長の雪鳴桃華です」

 生徒会長がぺこりと頭を下げる。腕の中の子猫が返事をするように、ミャアと短く鳴いた。

 ――ん?

「私が入部したから五人なので、部に昇格ですね。生徒会予備費から、一人五千円として、二万五千円の部費が追加支給できると思います」

「それはありがたい。猫の検査費用にあてよっかな」

 コー平と会長が和気あいあいとしてしてる――いや、待て待て天然ども。

 おもわず、目を軽く見開いて口をあんぐり開けてる若林と顔を見合わせちゃったよ。

 きっと私の顔も、あんなだ。

「えっと、雪鳴会長も入部するんですか?」

「名前で呼んでくださって、いいですよ」

 質問の回答になってねぇ。これだから天然は。

 では、咳払いして、あらためて。

「じゃ、桃華先輩も入部するんですか?」

「ええ。生徒会とかけもちですから、時期によってはあまり、顔が出せないかもしれませんけど」

 ぬん、まあそれならまだいいか。それにどうせ、四人になってしまったんなら、五人にして部にした方が都合よくなるし、これならプラスのほうが大きくなるな。

「ところで、なんて名称の部になったんだ?」

「あーそれは……」

 みなの視線が集まる。ちょっと照れウゼー。

「しいクラブ、よ。

 しいがひらがな、クラブがカタカナ。飼育とクラブをかけあわせたの。飼育部とか飼育クラブよか少し軽いイメージでしょ」

 表向きは、ね。私的表記は、飼育+ラブで、しいくラブだったんだけど……もう恥ずかしくて痛いだけだな。

「では黒松部長、設立のご挨拶をどうぞ」

 桃華先輩から子猫を差し出され、嫌な顔は(出さ)せずに抱きとめ、コホンと咳払い。

「えー、私たちの相手は生き物なので、みんなで協力してがんばりましょう」





■黒デレの心得その二・初心を忘れては、遅れを取る


「おいで、アル」

 チンチンと餌の容器を鳴らすと、トテトテと、アルモンドがやってくる。いまだにアルモンドって呼び方は慣れないので、私だけアルと呼んでいる。

 この名前を考えたのはコー平。多数決で、中本兄弟と桃華先輩の天然三人衆の力で、それに決まったのだ。

 天然の思考はよくわからん。

 私がアルを呼んで、猫用缶詰を与えているさまを他の四人は、遠巻きにチロチロと見ては何かを囁きあっている。

 聞こえてるけどな。

「なんでかアルモンドは、黒松に一番懐いてるんだよなぁ」

 コー平より、よく餌を与えたり、放課後毎日一緒だからだと思ふ。

「黒松先輩のほうが、ニイちゃんよりアルモンドに貢献してるってことじゃない?」

 まさしくそのとおりだ、弟君。

「理恵さんは毎日来てますからね」

 思ってた以上に、桃華先輩も来てるけどね。

「猫嫌いの人ほど、猫になつかれるって言いますけどね」

 それが正解の気もするが、黙っとけ、若林。

 眉をぴくぴくさせながら、自分を和ませるために、一生懸命食べているアルの頭をひとなでする。

 発足してからもう一ヶ月が過ぎようとしているのだが、進展は――お察し。

 だが何も、指をくわえ日々をすごしていたわけではない。若林を牽制しながら弟君から情報を引き出し、疑われない程度に猫とスキンシップをとって日々を過ごしただけさ。

 ただ、それらに手一杯なのが大誤算。

 いや、誤算はもうひとつある。まさか、コー平が部活に毎日顔を出さないとは。

 正しくは毎日顔は出すには出すが、ほとんど一瞬である。

 部活のためというか、アルのためというか。まさか土日のみのバイトを、平日も入れるようになってしまったというのは、予測しきれなかった。

「一番設備投資しているのは、光平君なのは確かですけどね」

「まだ、四万くらいしか使ってませんよ」

 十分だろ。キャットタワー(二万円)と窓ガラス飛散防止フィルム(一万円)あとは猫の食用草とか爪とぎとか遊び道具とか、猫に投資しすぎ。

 苦労をねぎらって私にもなんか買ってくれてもいい気がする。

 ――あきらかに、今の私の優先順位はアルより下だ。ため息も出るわ。

「ところで、そろそろテスト前の部活休止期間ですよ」

 そういえば、そうだなぁ。

「うちらは基本的に、活動していないようなものだが、休めない部活だからねぇ」

 生き物扱ってるから当然だが。

「一時的にうちで預かるか、ニイちゃん」

 飼えないからここで飼っているのに、預かったりはできないだろう。

「無理というか、危ないだろ。うちの四匹はテリトリー意識かなり強いから、アルモンドがいじめられると思う」

「よ――」

「四匹も飼ってるんですね」

 ぬ、先にセリフとられたか。

 日頃の会話拾って予測がついてた分、改めて聞くという意識が薄かったせいで出遅れた。

「うちは一匹だけですよ」

「私のうちは二匹ですね」

 若林も桃華先輩も飼ってるのか。

 ――あれあれ、飼ってないのはうちだけ?

 若林が一瞬、ニヤっと笑ってから、さわやかな笑顔を作る。

「部長さんの家は、何匹ですか?」

 こういう答えにくい気配を察っして質問するのは、さすがだな、若林。

「……ぜろ」

 基本的に動物嫌いの家系だし。

 若林は、やはりなという表情だ。中本兄弟や桃華先輩は、驚いてるようだけど。

「部長さんは飼ってなかったんですね」

「ないです」

 桃華先輩、聞かないで。

「飼ってたこともないんですか」

「なし」

 弟君もやめてくれ。

「よく部を作る気になったな」

「まあ、ね」

 下心のためです、はい。

 というかコー平は知っていると思ってたが、まさか覚えてなかったのか。

 ちょっと雲行きが怪しいので、逆ギレ風開き直りを装って、腕を組み口をへの字に結ぶ。

「先に言っておくけど、うちは飼ってないけど預かるのは無理。動物嫌いの親だから、きっとうちの中で飼わないで外に置けって言う」

 毛と臭いがいやだと、言うに違いない。私はもう慣れたけど。

「ああ、いるよなぁ。そういう人」

「外猫ならともかく、この子はもう、室内猫ですから危ないですね」

 桃華先輩がアルの鼻をくすぐると、目を細めて喉を鳴らす。

「そうなると結局、休止期間はどうする? うちは特例ってことにできませんか、雪鳴先輩」

 話を振られた桃華先輩が腕組みをして、少し考えるそぶりを見せる――腕に胸が乗っかるなんて現象、ほんとにあるんだなぁ。

「なんとかなる、と思います。ここで勉強するって形になるだけ、ということにすれば」

 こういう時、生徒会長は役に立つが問題はそれだけでもないんだよね。

「テスト前はそれでいけそうだけど、テスト期間のうちは先生もいい顔しないんじゃない?」

「そうですねぇ……」

 桃華先輩が眉根を寄せ、渋い顔をする。

 就職率よりはるかに進学率の高い学校だけあって、うちらのような部活は、お遊びクラブという認識が強い。

 試験への姿勢も評価のひとつとしている学校側からすれば、遊びながら勉強とは何事だと言い始めるかもしれない。

「テストの日だけでも、先生とかに、預かってもらえませんかね」

 弟君、考えが甘いな。

「その場合、顧問の先生にお鉢が回ってきちゃうんじゃない?」

 若林、正解。

「うちの顧問って田部さんですよね。動物嫌いの」

「そうなんだよな。よく引き受けてくれたなって気もする人だ」

 そこらへんは調べたけどちょうど校長とかから何か顧問をやりなさいと、無言の圧力がかけられて困っていたところだったみたい。

 名前だけを借りに行った私は渡りに船だったらしい。しかも部活に顔を出す必要性もないという点で、快く引き受けてくれた人だ。

「そんな人が預かってくれるわけないって」

「ですよねー」

 こういった話は思考が近いだけあって、若林とのほうがやりやすい。

 ぽんと、桃華先輩が明るい顔で手を叩く。

「ではテストが四日間なので、テスト前日の三日間を三組に分け、交代制でここにいるという

のは、どうでしょうか。生き物相手なので休むわけにもいかないので、せめて当番制ということにすれば、通りそうな気もします」

 お、なかなかナイスな?

「ちょうど一年二年三年といるわけですから、そのまま学年別にすれば、勉強会という名目も成り立ちますし、私ならば一人でも、先生方は文句を言わないと思いますよ」

 おおおおおお、かなりナイスだ桃華先輩! 私が手を加えるまでもなく、コー平と二人きりにさせてくれるとは!

 これは乗っかるしかない。

「異議なし! みんなはどう?」

 手を上げていきり立ち、みんなを見渡す。

「いいんじゃないか」

「私もいいと思います」

「……いいんじゃないんですかね」

 あら、なにやら弟君に元気がなくなってる。私が、コー平と二人きりになれるのを喜んでいたのを、察したのかな。ご愁傷様。

 コー平があっさりなのはいつものこととして、若林もずいぶんあっさりとしているのが、不思議な感じだ。

 そもそも、近頃はあまり敵視されていない気がする。あきらめたのか、作戦なのかわからないが。

 私もまだ、修行不足なのかね。

 ま、そんなことより。

 パンパンと手を叩く。

「じゃ、初日前日は一年ペア、二日目は二年ペア、三日目は桃華先輩でお願いします」

 コー平が手を上げて「時間は?」と、いいところにつっこんでくれた。

「とりあえず、夕方六時くらいに餌をやれればいいわけだけど、勉強会という名目があるんでちょっとくらい遅くまで、大丈夫なようにしてもらいたいんですけど、できますか?」

「いけると思います」

 ニコリと桃華先輩が応えてくれる。

 イエッス、頼みますよ先輩! 私は当日までに内鍵をしこんでおかなきゃな!

「ではそんなかんじで、よろしいかな」

「異議なし」

「了解です」

「はいよ」

「よろしいです」

 了解を得ている間も、私の頭の中はちょっといけない妄想がぐるぐる回っていて、口元がにやけずにはいられない。はやくテスト期間こないかなぁ!



 それからそれから。



 ――まあ、そうよねぇ。浮かれていた分、何もなかった時の切なさは半端ないなぁ。

 私は何を期待していたんだか……虚しい。

「最近、桃華先輩こないですね」

 弟君がアルを抱き上げる。最近、明るいような気がする。

 テスト前くらいまでは、少し沈んでいたのに。まあいいことだ。

「そりゃ、学祭近いから生徒会は大忙しでしょ」

 雑誌から目を離さず、ペラっとページをめくる。

「中本先輩のほうは、どうしたんです?」

「コー平は、練習という名の遊びに夢中。そのうち来たりするかもね」

「練習?」

「クラスの出し物は卓球三本勝負なんだってさ」

 さすがに兄弟、聞いてたか。うちのクラスは客にクジを引いてもらって、五ポイント先取で選ばれた三人と対戦して、戦績で景品が当たるようになっている。

 コー平と私は、その対戦選手にはなっていない(この細工はかなりしんどかった)から、練習する必要がないので、私はここにいるというのに、コー平はする意味の無い練習に参加している。

 というか、滅多にやることじゃないから楽しいんだろう。

 結局、やはり遊びなのだ。

 なんか、コー平の方が好き勝手やってるなぁ……う、思わずため息が。頭を振って少し落ち着かせて、と。

「修平君たちのほうは、準備に参加しなくていいの?」

「いや、今はちょっと夜に備えてみんな休憩中なんですよ」

「休憩というか、仮眠ですかね」

 夜なべするつもりなのか、若いなぁ。

 ちらっと腕時計を見る。七時。

「さて、アルに猫缶あたえて帰るかな」

 こんな時間じゃ、コー平はもうこない可能性高いし。卓球のあと、すぐバイトに向かうだろうなぁ。

「お疲れ様です」

「おつかれでした」

 雑誌を鞄にしまって立ち上がり、猫缶と餌入れを手にするとアルが駆け寄ってくる。

 この瞬間はヒジョーに緊張する。

 猫缶を開けるとアルは喜びのあまり部屋中かけまわるのだ。

 そんな時に部室の戸が開いたりしたら――あ、開いた。

「こんば――」

 桃華先輩の横を、興奮したアルがすり抜けて飛び出していった……って、やばいじゃん!

「逃げた!」

「え!?」

 桃華先輩が驚いて見回すが、もう後の祭りだ。

 こういう事態に慣れてるのか、弟君と若林が立ちあがってすぐ外へと出る。逃がしてしまった桃華先輩は、おろおろと突っ立っているだけである。

 イラッ。

「探しに行かないなら、ちょっとどいてください!」

 邪魔な桃華先輩を押しのけ、餌を手にしたまま外に出る。

 七月といえど夜七時は明るいとは言えない。

 しかもアルは黒系の色合いをしているし、まだ子猫と呼べるサイズだ。

 苦々しく眉根を寄せ、私は名前を呼んで走り回っている。隠れそうなところを見て回っている。

 他の生徒にも聞いてみる。見知った顔にも聞いてみた。みな一様に、見るからに慌てている私に驚いていたが、そんな事に構っていられない。

 私も必死なのだ。

 ……ん?

 私は、何でこんな必死になってるんだ。コー平と二人きりになるために利用した存在に。

 そんな考えに、何度も足が止まりそうになる。だが、どうしても足が止まらない。息を切らせ、苦しくなってきたのに、止まれない。

 ――どれくらい探し回っていたのか、わからない。足がもつれ、倒れはしなかったがそのまま地べたに座ってしまった。

 立ち上がろうとしても、心臓もバクバクいってるし、息も切れ切れで、足だってろくにいう事を聞いてくれない。

 目頭が熱い。

 ギリっと歯軋りをして耐え、顔を上げ、ゆっくり、何とか立ち上がる。

 誰かがこっちに来ている。アルを知らないか、聞いてみよう。

 ――暗くなってきたせいで気づかなかったけど、トボトボ歩いていたのは弟君と若林か。

「どうだった?」

 わかりきったことを聞いてしまったな。予想通り、二人は首を横に振る。

「暗すぎて、見つけられないです」

「やっぱ、そうだよね……」

 私の声を聞いた二人も、驚いた顔をする。自分でも驚くほど、声が沈んでいたからだろう。

 正直、私らしくない。

 それは私が一番自覚している。アルをきっかけの切り口としていたなんて若林も気がついていただろうし、私もそのつもりだった。

 だけど今、アルを大切に思っている自分がいる。

 情が移るとはまさしくこのことか。

「と、とりあえず、明日、明るくなってからまた探しましょうよ」

「明日には道路で横たわっていたりするかもね」

 うっと弟君が言葉につまる。

「では部室に帰ってみましょう。もしかすると、外の世界にビビって戻ってきてるかもしれませんし」

 若林に気遣われるとは、ね。しっかりしないと。

「ん、そうだね。とりあえず戻ろうか」

 なんとか虚勢でも笑顔を作ったが、すぐにうつむき、重い足で歩き始め――ん?

 顔を上げ、辺りを見回した。

「どうしました?」

「今、聞こえた気がする」

「何が――」

「シッ!」

 手で静止させ、黙らせる。そして耳に集中……

 ――ミャア。

 聞こえた!

「アルの鳴き声がする」

 弟君が若林に目で問いかけるが、若林は首を横に振る。二人には聞こえなかったようだ。

 だが、間違いなく私には聞こえた。

「アル、おいで!」

 声の限り叫ぶ。

 てちてちと、近づいている気配がする。

「アル!」

 てててててと、先ほどよりも足早に聞こえる。

「おいで! 帰ろ!」

 私の言葉に応えるように、今度ははっきりと、ミャアと鳴き声がした。

 その鳴き声は二人とも聞こえたようで、しきりに辺りを見回している。

 ――いた。

 茂みの暗がりから、アルが顔を現した。

「おいで」

 しゃがみこんで手招きすると、アルは膝の上に飛び乗り、のどを鳴らして甘えてくる。

 ほっとして、思わずギュッと抱きしめてしまった。キャラじゃないということは十分に理解はしているものの、こうせずにはいられなかった。

 ――結構な間、そうしていたと思う。

 アルがもがき始めたところで、やっと力を緩め、立ち上がる。そして振り返ると、若林と弟君はそろってニッコリ笑っていた。

 暖かいまなざしってヤツか。

 ぬう、私らしくないトコ見せてしまった……

 この我ながららしくない行動を、二人のまなざしで実感し、今更ながら恥ずかしくなって顔が熱くなってきた。

「さ、見つかったことだし部室に帰ろうか」

 平静を取り戻したつもりだったが、声が若干うわずってしまう。

「そうですね、帰りましょうか」

 顔がほころんだままだが、若林も心情を酌んでくれたのか普段通りの口調で乗ってくれた。

「見つかって、よかったですね」

 弟君は――いまいちわかってくれていないような気がする。

「必死になって探してましたもんね。普段冷静な分、意外でしたよ」

 やっぱり察していなかった……

「よっぽど、アルモンドが大事だったんですね」

 恥ずかしいからそれ以上はやめてくれっ。

「早く、桃華先輩に見せて安心させましょうよ」

「そうだね、桃華先輩も、だいぶ心配してるだろうね」

 ナイスフォローだ、若林。まさか敵だと思っていた若林が、一番私のことを理解して、味方してくれるとはね。

 ただまあ、これだけ味方されるのも不気味なものがある。

 私に近いだけあって、なおさらそれが不気味だ。絶対に裏があるはず。

 ちろりと若林を見ると、弟君と楽しそうにしゃべっている。

 考えすぎなのかなぁ。

「黒松先輩、行き過ぎですよ」

「おっと」

 思考をめぐらしている間に、部室の前まできていたようだ。

「アルモンド抱いてるからには、先に入ってください」

 気を利かせた若林が戸を開けてくれる。

「あんがと」

 素直に礼をいい、部室の中へと入る。

「ただい――」

 ……あれ?

 中の状況に、しばし思考が停止してしまっていた。というか、飲み込めません。

 わかる部分を少しずつ考えていこう。

 まず、桃華先輩が泣いている。

 これはアルを逃がしてしまった自責の念か、私の言葉に傷ついたかのどちらかであろう。

 そしてコー平がいる。

 今日はバイトでこれないはずであったが、何かの理由でバイトに行かなかったのだろう。そして部室に顔を出した、そんなところだ。

 ではこの二人が抱き合っているのは?

 いや、正しくはコー平が泣いている桃華先輩を抱きしめているというか、胸を貸しているというか、そんな感じ。

 泣いている女の子に胸を貸すなんて、コー平のキャラじゃないだろ。

 でもだからといって、それ以上の理由などはあってほしいわけではない。

 そんなわけで泣いていた桃華先輩に胸を貸していた、ということで結論付けよう。うん。

「桃華先輩、アルモンド見つかったようですよ」

 コー平の言葉に、ふいと顔を上げてこちらを見る桃華先輩。私の腕の中のアルを見つけ、泣きはらした目に再び大粒の涙が溢れ出す。

 そしてコー平から離れると、両手を広げて私に抱きついてくる。

「ごめんなさい~理恵さん! 私のせいでご迷惑おかけして~」

「いや、見つかったからいいですよ、もう」

 ていうか、ウゼーからくっつくな!

「アルモンド、見つかってよかったです~見つからなかったらどうしようかと」

「わかりましたから、離れてくださいって。アルが苦しがってますよ」

 離れてほしいための口実だけど。

 その口実に桃華先輩が離れ、やっと室内に上がりこめた。私が室内に入れたことで、後ろの二人も室内に上がりこみ、戸をしっかりと閉めたのを確認してからアルを開放する。

 野良時代と違った久しぶりの外に興奮したアルは、興奮が収まらないのか、尻尾を膨らませて部屋中をかけまわっている。

「無事だったみたいですね」

 アルのハッスルぶりに桃華先輩がまた目を潤ませ、安堵したのかその場にへたり込む。

 私が言えた義理じゃないけど、そんな大げさなモンじゃなかったとは思うんだけどなぁ――って何してんだ、コー平!

 コー平が泣いている桃華先輩に近寄り、頭をなでている。

 猫にするのと同じような感覚にも見えるが、猫好きのコー平でいくならそれは一大事と捉えることもできる。

 というか、コー平の桃華先輩に対するまなざしがいつもと絶対違うから。

 まだ育ちきってはいないかもしれないけど、確実に芽をはぐくんでいやがるようにしか見えません。

 つかコー平だけは桃華先輩を名字呼びしてたはずなのに、名前で呼んでなかったか?

 ぬがー! 私はなにをやっていたのだ!

 アルにうつつを抜かしすぎていたのか、初志を忘れた挙句、とんびに油揚げをやるような真似をしてしまうなんて。

 なんという、大馬鹿ヤロウなんだ!

 まさか真の敵が若林ではなく、安パイと思い込んでいた桃華先輩だったなんて、あまりにもうかつ。

 そういうことにいち早く気づいてこそ私だというのに、アルに目を向けすぎて眼力が衰えたとでも言うのか。

 この光景を見て、完全に目を覚ましたぜ。

 こうなってしまうと、コー平の気を引かせて告白させようなどと、悠長な事を言ってられない。

 少なくとも、今のところ私と桃華先輩はイーブンくらいの位置だと思う。

 たぶん。というか思いたい。

 そしておそらくコー平は、そのくらいの感情の時でも告白すれば付き合ってくれると私的には踏んでいる。

 好感度ってのは、付き合ってからドンドン上げるものだ。

 そうなると、近々決戦の時。夏休み前に決着をつけてみせる!

 ぐっとコッソリ拳を作って決心を固めた私を、若林が意味深な顔でくすりと笑いやがる。

 ぐぐぐぐぐ、てけしょー、今に見てろ! 私の本気を見せてやる!






■黒デレの心得その三・計画は綿密かつ大胆に、されど、うまくやれ


 朝の通学用バスに揺られながら、空をぼんやりと見ていた。

 決心してからはや十日。明日からもう夏休みだというのに――ああ、ため息が。

 するぞ! と決めたからといって、さすがにそう簡単に言えるものじゃないな。なかなかタイミングというか、きっかけがないのだけど。

 いや、言い訳か。

 だが、もうそんな事も言っていられない。ここまできたら「偶然」のきっかけを待つのではなく、持てる力すべてを出し切って、きっかけを作るしかない。

 まあ持てる力とか言っても、情報と部長としての権限くらいしかないわけで、時間を操るとか出来るわけではないが。

 今日の予定は、八時半から九時二十分まで終了式、九時半から十時まで清掃、十時から半までホームルームとなっていたはず。

 そして十一時に、部室で夏休みの活動予定の話し合いと称した打ち上げをする。

 チャンスはその時。

 コー平と私が、誰よりも早く部室に行けば、二人きりだ。

 終業式はどうしようもないとして、清掃やホームルームをどうにかしないとな。清掃もホームルームも、私だけが早く動いてもたいした意味は無い。

 だが終了時刻がそのまま帰宅時間となるわけだから、ホームルームの終了時刻はひとつの鍵である。

 そしてその鍵の鍵になるのが、清掃の時間だ。

 救いなのは清掃もホームルームも各クラスで独立しているわけで、すべてのクラスが帰宅時間の足並みそろえる必要が無く、うちのクラスだけが早く帰ることもできたりするわけだ。

 他のクラスの時間を遅らせる手は、さすがに汚すぎるので置いといて。

 つまりはクラス全体を操って、帰宅時間をなるべく早くする。

 これがまあ難関だ。

 だがそれさえできれば、あとは容易。

 打ち上げは暑いけど、タコパの予定。これも作戦のひとつ。

 各自に飲食物を色々持参と言っておきながら、私はすでに、部室の冷蔵庫に担当していた具材をすべて突っ込んでおいた。

 コー平には会場設営という役を与えてある。

 そして部室ならともかく学校内は飲食物持ち込み禁止の上、終業式の日に教室での打ち上げ防止のために、教師は今日持ち物検査をする(そう仕向けたのは私)と事前連絡されいるからには、若林や弟君は持ち込んで来ないはず。

 私のように部室に持ち込もうにも、部室の鍵は私しか持っていないし。

 それに今日までに、ホームルームのあと買出しに行くしかないね、みたいな流れを作ってきた。

 つまりは、一人だけコッソリ仕込んだ私と、買出しに行かなくて済むコー平以外はホームルームのあと買出しに行くことがほぼ決定済み。

 私と同じように隠せる場所のある難敵、桃華先輩はホームルームのあと生徒会役員会があるので、何もせずとも遅れるという情報は入手済み。

 これでうまくいけば、ホームルーム終了までの早まった時間分、自動的に二人きりになれる計算だ。

 とはいえ、おそらく最大でも二十分くらいしか稼げないか。

 その間に覚悟決めて言えなければ、まるで意味がなくなってしまう。

 だが覚悟は決めた! 確実に言ってみせる!

 ……だけじゃだめなんだよね。告白がうまくいかないと。

 それが真の難関。

 まあ落とす自信はある。

 ちょっと不安があるが、自分の魅力には自信をもってるし、コー平だって私を嫌ってはいないし、好意的であるのは間違いない。

 あとはいかに、桃華先輩への好意を思い出させないようにするくらいだ。

「あら理恵さん」

「へ?」

 呼ばれて振り返ると、桃華先輩が立っていた。

「同じバスだったんですね」

 いままでまったく気がつかなかった。

「あ、隣どうぞ」

「すみません、ありがとうございます」

 窓際によって席をつめ、座れる空間を作り出す。

「いつもは出入り口付近で立ち乗りなんですが、今日は空いてるのと理恵さんのおかげで座れました」

 出入り口付近で立ち乗りって事は、ほとんど死角の位置か。なるほどね。

「だから今までわかんなかったのか。今日はなんか、いつもより空いてますよね」

 ぼんやりしてて気づかなかったけど、空いてるなぁ。いつもなら一人で悠々座ってるとか無かったし、今日は立ち乗りしてる人誰もいないし。

「毎年、終業式は単位に影響が無いと言って、休む人が結構いたりするんですよ」

 言われてみれば、去年とかも少なかったかも。そんな理由があったのか。

「全校生徒のうち、そんなに多い人が休むわけでもないんですが、このバスの利用者は、たまたまそういう人が多いみたいなんですね」

 一年長いだけあって、私よか詳しいな。さすが会長というのも、あるかもしれないけど。

「あ、光平君」

「え?」

 コー平の名前に目を向けると、ちょうど自転車をこいでいるコー平を、追い越したところだった。

 コー平の顔はこちらを向いていて、ぎりぎり視線はあわさる。

 ちぇ、うっかりコー平に手を振り損ねた。毎朝の日課だったのに。

 まあとりあえず、今日の行動をはっきり確認しておくか。

「今日の打ち上げ、いつ頃これますか」

「そうですねぇ、ホームルームのあと役員会議がありますし、ホームルーム終わる時間がまちまちですから、十一時より遅れると思います」

 だよね。予想通り桃華先輩はそんな時間だろう。買出しの時間もいれれば、ほぼ確定。

「なるべく間にあうように来てくださいね」

 建前ですが。

「がんばって早く終わらせます――着きましたね」

 桃華先輩が立ち上がると、バスが停車し、プシューとドアの開く音がする。

「生徒会室に行かなければいけないので、これで失礼します。放課後にまた会いましょう」

「はい」

 桃華先輩の背に手を振って見送ったあと、私はゆっくりと立ち上がる。

 いよいよ、勝負の時!

 プシューと音がしてドアが閉まり、バスが再び走り出す――って、ちょっと待った!

「すいません、ここで降ります!」


「朝からいきなり先行き不安なことしてしまった……」

 綿密な計画の下、慎重に行動せねばいけないというのに、いきなりうっかりだもんなぁ。

 気合入れねば。

 ペチペチと顔を叩く。

「はよーっす。何やってんの」

「おはよ。寝ぼけてる頭を起こしてたところ」

 てかやばい、今日告白すると決めてるせいで、顔あわせただけでドキドキすらぁ。

 こういう時こそ、冷静にならなければ。

「ホームルーム終わったら、すぐ部室に集合してね」

「おうさ」

 手を上げて応えると、コー平は自分の席へ戻って男友達と談笑を始める。

 よし、あとは弟君と若林の行動のチェックだな。

「本日の十一時の打ち上げ、間にあいますか――送信っと」

 お、若林から返信が。

「うちのHRは長い方なので二人で買出し行ってからだとけっこうギリギリと思います、か」

 そう、あの二人の担任はよくホームルームを超過するのは調査済み。

 そしてこのメールで十一時ぎりぎりになるのをほぼ確信できた。

 十時半あたりに一度顔出しに来るかもしれないが、すくなくとも買い出しに行くわけだからその時間はコー平と二人きりになるはず。

 とりあえず予定的ではあるが、部室で二人きりはほぼ確定と。あとはどれだけの猶予を作れ

るか、だ。おっと、先生が来た。

 さあ勝負はこれからだ!


 ふう、終業式は無事終了。むしろ予定より少し早めに終わってくれた。

 校長先生のお話がずいぶん短かったのが功をなしたな。

 校長室に忍びこんだ甲斐があるというものだ――いや、冗談デスケドネ。

 さて、こっからが一番大事。

 早く終わらなくとも、最悪、遅く終わる事だけは防がなければならない。

 そのためにも、クラス一丸となって早く終わらせようという意思の統一が必要。

 そこで利用させてもらうのが、男子の中で一番影響力のある矢島と、女子の中で一番影響力のある三宅。

 そして取り出したるはカラオケ屋「オケ屋」の団体割引に、焼肉バイキング「まんぷくや」の割引チケット。

 まずは三宅に話を持ちかけてみるとするか。

 すすすと、三宅の談笑している輪に近づく。

「みやさん、みやさん」

「どしたの、まっちゃん」

 彼女はというか、彼女たちのグループは私の腹黒さを知る者がいない。

 ゆえに警戒心が薄くて助かる。

「実は、こんなものがあるんだけど」

 ピッとチケットを取り出す。

「お、オケ屋割引じゃん。今日、行く?」

「これ、十名以上の団体チケットなんだ。こっちの焼肉は一割値引きチケットだから、人数が多ければ多いほど、お得なチケット」

「十人くらいなら、やっけが声かければ集まるんじゃない? 矢島君たちとか」

 ナイスな補足ありがとう、取り巻きAこと明石さん。

「だよね。だからさ、せっかくなんでクラスの打ち上げみたいなことしない? 今日」

「今日って急だね」

 チケットの有効期限を指差す。今日までだ。

 もちろん、有効期限も狙ってみました。

「わ、今日までか」

「この人数は予約しなきゃ入んないだろうケド、もう夜はとるの難しいんじゃない?」

 またまたナイス明石。言いたい事を先に言ってくれるから、話を進めやすい。

「昼前、学校終わってからってのはどうかな。帰る時間なくて着替えれない人もいるだろうけど、すぐカラオケ行って、そのまま焼肉って感じで」

「制服でカラオケってやばいんじゃないの?」

 甘いな。

「うちの規則にカラオケ禁止は書いてないのさ。加えて外出時は制服着用とかいうのがあるんだから、指定された服装で禁止されていないカラオケに行くのは問題ない」

 ま、屁理屈に近いけど穴は攻めるためにあるもんだしね。

「じゃ、予約入れる?」

「あ、言いだしっぺだし私やっておくよ」

 少し離れ、携帯を取り出して、電話をかけるフリ。

 だって四五分でオケ屋取ってるし、一時にまんぷくやも取っているし。

「学校からわりと近いから十時四五分にオケ屋とって、一時からまんぷくやとった」

「四五分て、ガッコ終わるの一応半だけど、ずれこんだらそれくらいになっちゃうよ?」

「ア、ソレモソウカ!」

 と、驚いたフリ。

 わかってるさ。わざとよ。三宅は予想しやすくて好きだ。

「どうしよ、予約時間ずらす? それ以外の時間は難しいって言われたんだけどさ」

 嘘ですけどね。

 いやまあ、私の工作で空予約はたっくさんはいってるかもしれないけどネ。

 オケ屋さん、まんぷくやさん、ゴメンナサイ。

「ずらすより、早くガッコ終わらせて行けばいいんじゃない?」

 最後の最後まで、ナイスなフォローだ!

「だよね。長く学校にいても意味ないし、さっさと終わらせて、どこのクラスよりも早く帰ればいいだけだよね」

「できるかなぁ?」

「大丈夫だって、みんなに言って協力してもらえばいいだけだし、何よりみんなだって学校よか、オケや肉のがいいって」

 これが私の考えぬいた提案だが、どうだ!

「それもそっか、じゃあ矢島たちと相談してくる」

 チケットを三宅に差し出すと、すんなり受け取って矢島たちのところに寄って行って話している。

 さあ、肝心なところだぞ。

 矢島はしきりに首を縦に振っている。

 ま、矢島が三宅に好意を寄せているのも、利用させてもらったわけですけど。

 これはうまくいく予感。

 矢島と三宅が壇上にあがってバン! と黒板を叩いた。その行動に教室内は静かになる。

「みんなちゅうもーく。

 三宅さんからの提案で、割引券があるから、ガッコ終わったあとにみんなでオケ屋とまんぷくやに行かないか、という話になりました。

 多分みんな行けば、一人三千円くらいですむとは思うんだけど、みんなはどうですか」

 ――ふむ、クラスの声としては賛成派しかいないな。

「で、すでに四十名分を予約入れてるんだけど、時間が四五分からなんだよねー」

「着替える時間も厳しいんじゃねーの? あと遅れそうだぞ」

 男子A、いいこと言った。

「制服のままでも校則上問題ないんだけど、遅れそうなんで、掃除とホームルームなるべく早く終わらせるよう協力してくれないかな」

「うちらががんばれば、そのぶん早く帰れると思うんだよねー。みんなどうかな」

 緊張の一瞬。

「いいよー、早く終われるなら越したことはない」

「おっけ、いいんじゃない?」

「やってやろじゃない」

 口々に賛同してみな立ち上がり、自発的に自分の机を壁に寄せていく。ここまできたら賛成はしなかった者も、流れ的に協力せざるを得ない

 おーし、第一の難関がこれでほぼクリアできたも同然、おっしゃあ!

 みんながあたふたと、まだ休み時間だというのに自分の担当区域へと向かっていく。

 いやー、全員が早く終わらせるという意志の元で動くと、これほどスムーズに掃除が進むのか。

 私が担当区域が終わらせて教室に戻ってみると、同じように戻ってきた生徒が教室の大掃除も手伝っており、もう間もなく終わってしまいそうだ。

 餌が目の前にあると、人間、露骨にがんばるものだなぁ。

 おし、先を見越してもう先生呼びに行っとこう――と思ったら、田島先生もう来てたでやんの。

「みんな、早いなぁ」

 どれ、先生にもちょこっとご協力してもらうか。

「四五分にお店の予約入れちゃってるから、みんな急いでるんですよ」

「そりゃ急がないとなんないわけだ。そういうことなら、ホームルームも急ぐか」

 これで下ごしらえも完了。あとは実際どんな時間に終わるかだ。


「それではみんな、よい夏休みを」

 ホームルームを締めくくって、田島先生が教室から出て行った。

 現在十時十五分。

 いよっし! 時間調整成功!

 とりあえずまずは三宅さんにちょっと話しとこ。

「みやさん、言いだしっぺなのに悪いけど、カラオケ行けないや」

「え、なんで?」

「いや、今日部活納めがあったの忘れててさ。焼肉の方は行けるとは思うんだけど」

 もちろん、忘れてたなんて嘘だけど。

「そっか。わかったわ」

 あっさりと引き下がってくれるのが、三宅のいいところ。

 これで無駄に時間を潰さず済んだという訳だ。

 さ、あとはコー平だなっと。

「コー平、部室に行こ」

「ああ。俺ちょっと寄るトコあるから、それから行くな」

「ん、早く来てね」

 コー平が鞄を持って、廊下の奥へと消えていった。

 奥にある階段を利用するつもりなんだろうけど、向こうのルートから一体、どこに行くんだろうか。

 ま、いいや。

 私はとりあえず全速力で部室に向かって、真の難関を突破するためのトラップを仕掛けねばな。

 ほとんど行き当たりばったりになるだろうけど、単純な手で行くのが一番なのかも。

 考えている間に部室にたどり着いてしまった。

 まだコー平は来ていないな。

 鍵を開け部室に入ると、アルが柵のすぐ向こう側でこちらを見上げていた。

 以前の脱走の反省から、直接走って逃げられないように、猫にとっては低くはあるが、土間部分を囲むようにジャンプが必要な柵を設置したのである。

「アル、おはよ」

 柵の扉を開け、アルをなでてから閉める。

 部屋の隅に鞄を置いて、窓際のテーブルを中央に移動させると、冷蔵庫からあらかじめ仕込んでおいた具材やタコヤキのタネを取り出して並べておく。

 はい、これで私の準備は完了。

 おっと、レースカーテンをあらかじめ引いておくか。

「ちーっす」

 シャッとレースを引いたところでコー平がやってきた。

 現在二十分か。だいぶ時間に余裕があるな。

 時間の余裕はそのまま心の余裕につながってるのか、告白すると決めたワリに平常心でいられるのが救いだ。

 これでとりあえず、いきなり脱いで告白してニャンニャンな馬鹿ゲームにありがちな馬鹿展開に走らずに済みそうだ。

 それも選択肢に考えてた自分も、十分馬鹿だったが。

 少し妄想している間に、コー平がアルに緑色の首輪をはめていた。

 その十分の一くらい、私にも投資してもらいたいなぁ……

「おし、じゃ用意すっから、アルモンドの相手頼むな」

「了解」

 すちゃっと釣竿式猫のおもちゃを構える。もとより承知の上さ。

 コー平が並べている間、ひたすらおもちゃを使ってアルにジャンプを繰り返させ、アルの体力を奪っていく。

 アルを疲れさせて、いざというときには大人しく眠っていてもらうためだ。

 走り回らせる方が楽だけど、テーブルの上に乗られたら大惨事になりかねないからね。

 そんな私とアルの戦いに、コー平もおもちゃを持って参戦。

 これですぐアルの体力はすっからかんに――と思ったが、さすがに若いだけあって無尽蔵の体力。

 しぶとくいつまでも元気に遊んできやがる……。

「お、もうみんなオケ屋に行ったかな」

 コー平が壁掛け時計を見て、そんなことをつぶやいた――何?

 ちらりと私も目を走らせるとすでに四五分過ぎている。いかん、遊びすぎてほとんど時間を潰してしまった!

 こうなったら半強攻策!

 私はコー平の意識が時計に向いている今の瞬間、コー平の方に歩き出すそぶりを見せつつもアルを私の足元を通過するようにおもちゃで誘導して仕向ける。

 おし、ぴったりのタイミングで走りこんできた!

 アルをかわすという名目で、踏み込もうとした足を意識的に後ろに引き戻し、上半身だけは前に進ませようとする――するともちろん、前の方に倒れる。

 コー平に向かって。

「危な~い」

 当たる直前に叫んでみせて、コー平の意識をこちらに向けさせた。

 このタイミングなら、もはや抱きとめるしかないだろ。

 予想通りコー平は私を体で受け止めてくれた――ってあら? 支えきれずにコー平も後ろに倒れてってるような。

 ドスンッ

 むう、尻餅をついてしまったか。まあ私が腕の中にいるって事実は変わらないから、たいした支障はない。

 コー平の胸に顔をうずめたまま、ひっそりほくそ笑んでしまう。

「大丈夫か、黒松?」

 さあ、言うぞ。

「黒松?」

 顔を上げて、至近距離で言うぞ。

「どっか痛めたのか?」

 言ったら目をつぶって待ってやるんだから、今言うぞ。

「おい?」

 ――やっべー!

 言うと決めた瞬間、すっげー心臓バクバクいって、言葉がなかなか出てこないでやんの。

 時間もないし、このチャンスももうなかなか作れないだろうし、言わなければいけないというのに!

 がんばれ私!

 全国のカップルは最初こんなにも勇気出してるのか、偉すぎるぞ。

 さあ、言え。何でもいいから言葉を!

「わ、私……」

 つ、続け、止まるな!

「私……」

 もう少しだ、がんばれよ!

 なんとか顔を上げて、コー平の目を見て!

 おし、顔上がった!

「私、コー平が好き」

 いよっし、言った! 言えた!

 って、何を私は再びうつむいてしまってるんだ!

 顔を上げて、目をつむるんだよ!

 言葉で返さなくても、はっきりとした回答を受け取る準備をしろよ!

 ――だめだ、無理。

 とてもじゃないけどコー平に顔すら向けれない。ここまできたら、すでに小細工など仕掛ける余裕もなくなってしまった。

 黙って成り行きに身を任せるしか……

「黒松……」

 コー平の手が私の両肩にかかる。

 ガチャ

 ドシャ

 ……戸が開いた?

 誰か来たことで冷静さが戻り、目を開けて戸に顔を向けた。

 つーか、この状況を見られたら普通に恥ずかしいし。

 戸口には目を見開いている桃華先輩が。

 朝と髪形違うな。髪留めつけたのか。

 買い物袋、落としたんだな。炭酸系はえらい事になってそうだなぁ。

 天然でいつもほわわんとしている先輩でも、あんな凍りついた表情するんだなぁ。

 ぼんやり、コー平の腕の中で考えていた――と。

 ポロリ

 桃華先輩の目から涙がこぼれたかと思うと、とめどなくあふれて出てくる。

「ごめんなさい……!」

 それだけを言うと、戸を閉めず、走り去っていってしまった。

 よし、邪魔者退場……?

 コー平の様子が何か変な気がする――ぐいっと両肩の手に力が込められ、引き剥がされてしまった。

「黒松、ゴメン」

 ――え?

 コー平はすばやく立ち上がり、靴を履き、外に行ってしまった。

 戸はちゃんと閉めるあたりさすがだ……あれ、追いかけてったって事? え? 何?

 私は――この逆転劇が信じられず、座り込んだまま呆けてしまった。

 そんな私の手をアルが必死になめてくれていた――

 って、そんなのありかぁぁぁぁぁぁあ!






■黒デレの心得その四・己を黒デレと勘違いするべからず


 開けっ放しの窓からミンミンゼミの声が聞こえて、うるさい。

 夏休みももう一週間が過ぎた。そんな中、私だけが毎日、それも長い時間部室にいて、何をするでもなくテーブルに突っ伏している。

 というか、何もやる気が出ないし、私だけが予定のない独り者だしね……。

 結局私の告白は成就せず、二人で手をつないで帰ってきた時、私は負けたのだとありありと

実感した。

 あの時、半馬身ほども差が無かった私と桃華先輩だったが、あの涙で一気に三万馬身は差をつけられてしまったわけだ。

「あそこで涙出るってのは、反則だよなぁ……」

 顔の目の前でぐったりと寝ているアルののどを、くすぐる。

 あのタイミングで自然と涙出るってんだから、天然は恐ろしい。

 悔しいが私じゃ、あそこまでナチュラルなタイミングで涙は出てこないな。

 ガチャ

「こんちはー」

 なんかやたら元気いいのが来た。

「おんや、若林センセ、デートなんじゃないんすか」

 テーブルに突っ伏したまま冷やかすと「ちょっと寄っただけですよ」と、さわやかな笑顔で

答えられる。

「ちょっとお礼を言いたくて」

「お礼?」

「黒松先輩がシュウ君の想いバッサリ斬ったあげく、私の中本先輩に気がある演技に乗ってくれたおかげで、シュウ君の気がうまく引けたんですよ」

 何?

「もしかして、弟君と付き合うために私とコー平と部を利用してたの?」

「ええ、そうです。あ、時間なのでもう行きますね」

 時計を見ながらずいぶんあっさり言ってくれる。

 ていうか、全然気がつかなかった。弟君と付き合いだしたのは、コー平とのつながりを残すためかと思ってたが、まさか本命はそっちだったのか……う、今初めて気づいた事に、気づかれた。

 ニッコリ、強者の笑みかよ。

「じゃ、ありがとうございました、黒松センパイ」

 パタンと戸が閉められる。

 一人残った私はまた、机に突っ伏す。

 まんまと私は利用されたというわけだ。

 若林をまだまだ甘いと思っていたが、私以上に計算高く腹黒であった。

 私のほうが弱者だったというオチ。

「私もまだまだねぇ」

 カチャ

 また誰か来た。顔を上げると、コー平と桃華先輩が入ってきた。

 仲良くお二人でですか。

「おはよーございます」

「あ、ああ、おはよ」

「おはようございます、理恵さん」

 コー平のぎこちない挨拶と、いつもどおりの桃華先輩の挨拶。

 私とコー平の間の気まずさにも平然としている。さすがだ。

 桃華先輩だけが、いつもと変わらない様子で入ってくるが、コー平だけはなかなか室内に踏み出してこない――しゃあないなぁ、関係の修復だけはしておくかぁ。

「何してんの、コー平」

「いやぁ……」

 私はニヤリと笑って肩をすくめる。

「まさかこの前のドッキリを本気にしてんの?」

「はぁ……えぇ?」

「んなわけないのに動揺しちゃってさ、あのあと大爆笑しちゃったよ」

 うそだ。

 若林たちが来るまでの間、乾いた笑いしか出なかった。

「あのあと、私悲しそうだった? むしろ楽しんでたでしょ」

 打ち上げの最中、私は無駄にテンションを上げ、クラスの連中との焼肉もテンションをあげて挑んでいた。

 部屋で一人になったら、涙でたけど。

「――なんだ、からかってたのか。そっかぁ」

 単純に納得してくれたコー平。

 ちょっと、ムカ。

 ポケットから五百円玉を取り出し、コー平にピーンと放り投げる。

「コー平、まだ外にいるならついでにアイス買ってきて。三人分」

「ん、ああ、なんでもいいか?」

「いいよ。急いでね」

 手をヒラヒラさせると、コー平は鞄だけを室内に置いて行ってしまった。

 アルが桃華先輩の足元にすりよって、場を和ませてくれる。

 桃華先輩はしゃがんで、アルの頭をなではじめた。

 そういえば、髪留めは標準になりつつあるな。

「髪留め、どうしたんですか」

 私の何気ない質問に、桃華先輩は照れ笑いを浮かべる、

「アルの首輪を渡すつもりで終業式の放課後、生徒会室に呼んだら、光平君がくれたんです」

 な、なんですと! うらやましい! しかもアルの首輪はあんたかい!

「アルモンドのおかげで、光平君と付き合えたんだよ。ありがとね」

 なでながら、桃華先輩はそんな事をつぶやいた……おかげ?

 何か少しひっかかる。

「おかげってのは、どこらへんがですか?」

「アルモンドが来てくれたおかげで、光平君と知り合いになれたことかな」

 はて、アルがきっかけで知り合いになれたという事は、最初のコー平と実は知り合いでしたという前後が、おかしくなってくるような?

「桃華先輩とコー平って、最初知り合うきっかけはなんだったんですか。前から知っていたんじゃないんですか?」

 桃華先輩が目をパチクリとさせる。

「いえ? まあ、バスの中から見てたことはありましたが、話した事はないですよ」

 アルを両手で抱きあげる。

 アルの後ろ足がダラーンと伸びていて、ちょっとプリティ。

「光平君がアルモンドをつれて学校に来たとき、ちょうど生徒会による荷物検査で、私が担当だったんですよね」

 そういえばあの日、そんなことがあったような……てことはアルを見られていたのか?

「私に発見されて途方にくれた光平君は、ちょっとおかしかったです」

 クスリと笑う。

 やはり見つかってたんだな。

「話してみたかった自転車の人が『どうしたらいいですか』なんて頼ってきたので、思わず部活にできたらいいかもしれませんねって、言っちゃったんですよ」

 え?

「できるんですかと聞かれ、会長である私が可能性はありますって答えたら、光平君がすっかりその気になっちゃって」

 待て待て?

「それで活動できるまでの間、私がアルモンドを生徒会室に置いてあげるからということでお互い、連絡用としてその場でメール交換したんですよ。

 さすがに朝一では置ける準備が整っていなかったので、二十分休みまで待ってもらいましたが」

「部活にしたらっていう案は、桃華先輩の発案だったんですか?」

「そうですね」

 思わず愕然としてしまった。

 ――なんて事だ。

 もしかすると私は最初から桃華先輩の掌の上で踊らされていたのか?

 まさか、そんなことは……だがあの提出の日、お昼の時間に生徒会メンバーが全員そろっていたあげく、みんな目を通しただけですぐ受理された。

 かなりあっさりで、しかもいいタイミングだったなとは思ったが、それがもし先に根回しされていた事だったとするなら、合点がいく。

「光平君のメールでお昼には提出できると思うというお話を聞いて、役員を集め、そんな部活の提出があるというお話をしたら、ちょうど理恵さんがやってきたんですよね」

 おもいっきり正解のようだ。

「それからというもの、ほぼ毎日光平君と顔をあわせて話せるようになったから、アルモンドのおかげなんですよ」

「毎日? 先輩もコー平も部活には顔出すのはけっこうまちまちでしたよね」

「知りませんでしたか? 私も光平君も毎日、休み時間に部室にいたんですよ」

「――はえ?」

 何だってぇ!

「え、だって鍵は私だけが……」

「生徒会長ですから、マスターキーを先生方から預かってますよ」

 ぬあ、そんな隠し技がっ!

「放課後それほど顔を出せないと思い、休み時間に鍵を開けてアルモンドと遊んでいたら、鍵を理恵さんに借り忘れていたけど開いてたからと、光平君が入ってきたのですよ。

 それからというもの、毎日私が開けるのを待ってくれるようになったんですよね」

 そんなおいしいイベントが!

 コー平が鍵を借りに戻ってきていれば、休み時間にコー平が部室に行っているという事を知る事ができたというのに。

 いや、毎日休み時間にいないってのを、他の教室に行ってるんだな程度に考えた、私の甘さが招いたことか……

 私の大馬鹿やろぅぅぅぅ! 人生最大のミス!

 あの日で半馬身差と思っていたが、その実周回遅れだったのに気がつかなかった私は、ピエロか!

 自分は腹黒いと思っていた。

 だが、そうではなかった。

 この程度では黒いなどと言えない。

 真に黒いのは、黒い事に気づけなかったというか、今でさえ黒いのかすらわからない桃華先輩や、もしかすると私をうまく利用したコー平も、黒いのかもしれない。

 私程度では気がつかないほど黒いのか、もしかしたら計算してはいないが、偶然複雑な計算になっているのかもしれない天然なのか、判別できない。

 他人に悟らせないのが、黒い人間の極意なのかもしれない。

 最上級の腹黒い人というのは結局、本人のみぞ知るということだ。

 墓場まで自分が黒いとは気づかせない、これが真の黒デレというやつなのか。

「ただいま」

「おかえりなさい、光平君」

「――お、おかえり」

 驚愕から立ち直れず、言葉が詰まってしまった。

「バー系、カップ系、モナカ系のどれにする?」

 コー平がガサガサと袋からアイスを取り出す。

 いったん、深呼吸。

「バー系、もらうかな」

 平静を取り戻し、アイスとおつりを受け取る。桃華先輩はカップ系を選んだようだ。

「私もバータイプの方が好きなんですけど、こういう暑いときは危険ですからね」

 は?

 中身を取り出そうと棒を持った瞬間、スポっと棒だけが取れた。

「まいがーっ!」

「氷系の棒アイスはそうなる場合が多いんですよね」

 桃華先輩が苦笑いを浮かべた一瞬、ぞくりとした。

 ほんの一瞬だが、桃華先輩の目が本性をあらわすような冷たいものだった――ような気がしたからだ。

 やはり黒いのか?

 私程度じゃわからない。

 もし黒いのだとするなら、今の視線はもっとうまく黒さを隠しつつ計算しろというメッセージなのかもしれない。

 そんな事を考えているうちに、二人はすでにアイスを食べ終わって、立ち上がっていた。

「じゃ、悪いけど俺ら行くな」

「あ、ああうん、おつかれ」

 柵を光平が開け、桃華先輩が通って靴を履き、コー平が先に外へ出る。

 そして桃華先輩が出て行くとき、くるりとこちらを振り向いた。

「それでは、がんばってくださいね」

 何を?

 そう聞き返したかったが、怖くて聞き返せない。

 バタンと戸が閉められ、二人の足音が遠ざかる――部室内のセミの鳴き声が、さっきよりもうるさい。

 ほとんど液体になったアイスの口を縛って、ゴミ箱へ投げつける。外れた。

 あーあ……考えるのが面倒になって呆然としていた私に、アルが体をこすりつけて甘えてきた。

 頭をなでる。

 なでると、心が癒されていく気がした。

「私にはアルがいるから、いいってか」

 自然と笑みがこぼれ、静かではないが静かな部室に私の言葉だけがしんみりと響く――。


 これが私の計画した、しいくラブの結末であった。

 最後の様子を偶然、レースの隙間から見ていた男子がいたというのはまた今度。



===============終===============

よければ、なろうコンテストで連載中の『清濁金剛!』にご期待ください。

こちらよりも面白くなっていきます!

http://ncode.syosetu.com/n0424bo/

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