第8話 飛んだ獣
「おい!ここにリラの実があるぞ」
(え~~どこどこ?)
タタッと地を蹴り、あっという間に王子のすぐ隣まできた私は王子の指差す先を探す。
「ほら。結構生ってるぞ」
よくよく目を凝らしてみれば、高い高ぁーーい木の枝の上に鎮座するのは、なかなかに採るのが難しいリンゴもどき。どうやらリンゴもどきは「リラの実」と呼ばれているようだ。
しかし、あんなに高いところにあるものは、ちょっとやそっとでは採れそうにない。
「枝が細いからな。私が登って採ることはできぬが、お前ならば飛んで行けば落とせるだろう?」
そう軽々と当たり前に言われて、私はガックリと肩を落とした。
(そっかぁ……。私の背中の翼を見て、飛べると思ったのね)
私の背中には翼が付いている。だが、この翼はハッキリ言ってお飾り以外の何物でもない。
なにせ生まれてこの方、一回も飛べたことなど無いのだから。
私が看病を始めてから1週間ほど。
王子は目覚ましい回復をみせ、こうして一緒に食料を取りに行けるまでに体調も良くなった。
私たちは相変わらず言葉を交わすことはできないものの(なにせ私は吼えるしかないからね)ボディランゲージのおかげである程度の意思疎通もできるようになり、お互いとても楽に過ごせるようになってきたと思う。
私が毎日果物を採ってくる様子を見ていて、「私も手伝う」と手伝いを申し出てくれたときは本当に嬉しかったものだ。
だが……。
「どうした?俺を乗せて飛べとは言わん、あそこまで飛んで……あの実を落としてくれるだけで良いのだが」
しかし私の事情を知らない王子は、期待に満ちた目で私を見つめてくる。
いちおう「無理無理、飛べない飛べない」と首を振ってみたものの…………王子のその目は、熱い。
どうも彼の様子を見ている限り、リラの実云々よりも私が飛んでいる姿を見てみたい、という気持ちほうが強いようだ。
その視線に私はググッと身を引くが。
(うぅー、分かったわよぉ………どうせ飛べないだろうけどやってみるわよぉ……)
結局折れました。折れましたとも。
いいもんいいもん、飛べない獣の醜態を晒してやるもんーー。
私は「ガフゥ」と一つため息をつくと、背中の翼を最大の大きさにしてから、慎重にその羽を広げていく。
隅々にまで力が入っていることを確認するように、ビシッと限界まで広げると、数メートルの大きさになった。
(久々にこんなに翼広げたなぁ。ちょっと気持ちいいかも)
ヨッシャ、と気張ってバッサバッサと音を立てて翼を動かすと、あたりに風が巻き起こった。
この巨体でなければ軽々と浮かびあがれそうなくらいの風圧なのだが、いかんせん私の体は巨大で、しかも重い。生まれつき背中に翼があるくらいなのだから私は恐らく飛べるはず。しかしどうやったらこの巨体が浮かび上がるというのか。
「グ、グォ(む、むむぅ)」
目を閉じ、背中にだけ気持ちを集中させて、私は必死で翼を動かした。
すぐ隣から「神の、御遣い……」とか独り言が聞こえてきた気がしたが、気にせずに翼を必死に動かし続けると。
(………ん?…おお?!!!)
―――――ついに、私は飛んでいた。そう、私は……とうとう飛べたのだ!
地面から50cmほど。
* * *
いじけて地面をひたすら穿り返す私に、王子は懸命に慰めの言葉を懸ける。
「誰にでも失敗はあるものだぞ?それに、一応は飛べたのだ。お前は頑張った」
(飛べたって言っても、どうせ50cmですよーだ。しかもすぐに墜落したし)
あぁ、あの光景は王子も忘れえぬ記憶になったに違いない。
私が神々しくも堂々と翼を広げて宙に浮かびあがったあの時。
王子の腰の高さにも満たない高さまで飛んだ後、―――――ボテッと音を立てて私は落っこちたのだ。
おまけにあんまりビックリしたものだから「ングァヒィィン!(んぎゃあ!)」なんて情けない悲鳴付き!あぁ恥ずかしい!
腹から着地したせいで私の腹毛も土で汚れてしまうし、もう気分は散々である。
なおもいじける私に王子は「やれやれ」と苦笑すると、空を仰いで一つため息をつき、残念そうに呟いた。
「しかしあのリラの実は諦めなければならぬようだな。飛べぬなら、さすがにあの位置では採れまい」
その言葉に私は顔を上げた。
確かにちょっと高いが、あれくらい諦めなくても私なら何とかなる。
私を普通の獣と一緒にしては困るな、フフフ。空は飛べないけど、曲芸なら任せとけ!
私はムックリと立ち上がると、おもむろに近くの小石を肉球の間に挟んだ。
「……おい?」
王子が訝しげに私を見ているが、それに流し目(分からないだろうが)をくれてやると、私は目にも止まらぬ速さで腕を振りかぶった。
―――――ヒュッ――――…ボトッ―――
(うむ!ちょっと遠かったからキツかったけど、コントロールは今日も抜群です!)
心なしか命中率がグングン上がっている気がする。
最近では、もはやほぼ百発百中である。
生活がかかってると人間なんでもできるもんだ。あ、獣だったっけ。
目の前に落下してきたリラの実に、王子は口をポカンと開けて固まっている。
よほど私の投球に驚いたらしい。
それに大袈裟だなーと思いつつ、次々と小石を投げてはヒットさせていく。
ボトボトと地面に落ちてくるリラの実に、王子は我に返ったのだろう。王子は「くっ…」と小さなくぐもった笑い声を洩らすと、次第に大きな声で笑い出した。
「ハハハハハ!!本当にお前は、規格外な獣だな!」
その言葉には皮肉っぽいものは混じっておらず、ただ純粋にそう思っているようだったので、私も気を良くして「グォ(まぁね)」と自慢げに仁王立ちしてみせた。
出会ってから1週間ちょっと。
獣と人間である私たちも、随分打ちとけたもんだ。