第23話 不思議な神官
「御遣い様」
神殿内をよちよち歩く私は良く目立つらしい。
こうして歩いているだけでもいろんな人間に声をかけられる。
王子と一緒にいる時は声を掛けにくいのだろうが、一人で歩いている今こそ「御遣い様」に話しかける絶好のチャンス。普通ならばとても会うことのできない天上の存在と是非とも言葉を交わしたい、そんな気持ちが周りからひしひしと伝わってくるので、私は声を掛けられることに若干うんざりとしながらも一応は振り返って挨拶をしていた。ああ、私ってなんていい獣なんだろう。
「御遣い様」
もう一度呼びかけられ、私は胡乱げに振り返った。
さすがにイイ笑顔はもう作れそうにない。
探検に出かけてからというもの、神官に拝まれたり女たちに抱き締められたりツンツンされたりでげんなりとしてきたところなのだ。
おまけに振り返った先に見えたのは―――乳白色色のローブ。
また伏して拝まれるのか……、と疲れた気分になりながらも「なんでしゅ……ですか」と顔を見上げた。
(…あれ?拝んでない)
意外にも、地面に頭を擦りつけると思われたその男は床に伏すことなく、私の目線と合わせるように膝を折るだけに留めて微笑んでいる。
私は目を丸くすると、改めて男の顔をマジマジと眺めた。
そこにいたのはいかにも人の良さそうな顔をした、優しそうな男だ。
年齢は、中年というほど年でもない。かといって青年と呼ぶにしては、男からは妙な落ちつきが感じられる。
髪も目も淡い榛色をしていて、この男の柔らかい表情にとても合っているが、どことなく不思議な雰囲気を持った男だった。
「御遣い様、初めまして。私はワーグ=スケッティという者でございます」
「ワーグ、しゅ…スケッティ」
男は一生懸命名前を辿る私を微笑ましげに見つめながら「ワーグで結構でございますよ」とニッコリとした。
どうやらこのワーグという神官は、他の神官とは少しばかり毛色が違うようだ。この人ならばまともな話ができそうである。
俄然この男に興味が出てきた私は、ワーグにしっかりと向きなおる。
「ワーグ、わたしに何か、ご、ぎょよぅ……ご、ご、よーう、ご、用、ですか」
(ラップのスクラッチ音か私は!)
思わず脳内で突っこむ。
良く使う言葉はだいぶ言い易くなってきたが、滅多に使わない言葉はさすがに難しいのだ。
先ほどアラヴィから言われた「どうぞこの機会に特訓なさると宜しいかと…」という言葉がふいに思い出されて、心にグサッと突き刺さってくる。ああ、まるで時間差攻撃。私だって自分の発音がマズイことくらい、分かっている。
しかしたどたどしい私の言葉使いを笑う事も無く、ワーグは穏やかな微笑みをキープしたままゆっくりと近づくと、私とごく近い場所で視線を合わせた。
ワーグの顔が近くにきたので分かったのだが、ワーグはやはりそんなに若いわけではなさそうだ。顔自体にはシワは少なく、若々しい肌をしているとは思うのだが、その目からは妙に熟成したものを感じられるのだ。
そう、例えて言うならば前世で出会った或る会社の社長に似ているかもしれない。社会全体が起業ブームに覆われていたあの頃、一代で会社を築きあげた彼の目は、ちょうどこんな目をしていた。
強く、熱く、それでいて知略も巡らすことのできる目だ。
一介の神官が持つにしては強すぎる目に私は少し疑問に思いながらも、次にワーグが発した言葉にさらに首をひねった。
「…実は聖地から流れてきた王子殿下のローブを発見したのは私なのですよ。こんなご縁をいただけたのです、せっかくですから是非とも御遣い様とお話をしてみたくなりましてお声掛けさせていただきました」
穏やかな頬笑みを絶やさないままに語ると、ワーグは「あの時は驚きましたが、こうして御遣い様にお会いできた今となっては幸運でした」と言葉を続ける。
(王子のローブ?)
心当たりがさっぱりない。
そもそも王子は山でもローブなんて羽織っていなかったはずだ。
しばらく生活をともにしてきた中で、ローブを着ている王子なんて一切見かけなかった。
私は記憶をたどるように「うーん」と唸る。
心当たりはないが、妙にひっかかるような気がするのだ。
(ローブ、ローブ、ロー………?)
―――――そして、思い出した。
「あ!わたちがながしゅたろーぶぅ!」
咄嗟に声を上げたので発音が戻ってしまう。
いかんいかん、と慌てて「わたし、たしゅ、確かに、ローブをなが、しました」と取り繕った。
そう言えば王子を拾ったあの時、私はついうっかり、王子の着ていたローブを川に流してしまっていたのだ。
きっとあのローブが流れに流れてこの山麓の町まで届いたのだろう。そしてそのローブが王子のものだと判明して大騒ぎとなり、グラウたちが王子を迎えに行ったら「白き御遣い」である私も一緒にいた、ということか。
ワーグ神官がローブを拾ってくれなければ王子の元にグラウやアラヴィがやってくることもなかったわけで、そう考えると私が人間化したことも王城へ行くことになったことも、全てワーグがローブを拾ったことから始まったとも言えるわけだ。
「あの時は聖地に足を踏み入れた人間がいることに動揺してしまいましたが……、こうして御遣い様にお会いできた今、逆に王子殿下のローブを私が発見できたことを嬉しく思っております」
ワーグが胸に手を当てて「光栄なことでした」と呟く。
私は流したローブのことなんぞスッカリ忘れていたので、突如現れたこの偶然にキラキラと目を輝かせた。
いやぁ、懐かしい!
初めて王子に会った時、ローブに包まれて転がっている王子のことを巨大な蓑虫かと思ったものだ。そのときのローブが残っているのなら、ぜひ見てみたいところだ。
「ワーグ、ワーグ!ローブは、どこにあるので、すか!」
喜んでワーグの腕にしがみついた私に、ワーグは「フフ」と小さな笑いを洩らす。
さっきまでの他人行儀な態度との差が可笑しかったらしい。
「ちゃあんと取っておいてありますよ。王子殿下が聖地にいらっしゃると判明した、証拠品でもありますからね。元は殿下の所有物とはいえ、聖地から流れてきた物は神殿で管理する決まりになっておりますからお返しはできませんが……見ることならできますよ」
ご覧になりますか?と付け加えて顔を覗き込んでくるワーグに、私はウンウンと思いっきり頭を上下に振った。
(見たい!懐かしいー王子と初めて会った時の、ローブ!)
ローブのことを知ったら、きっと王子も懐かしく思うだろう。あとで、王子にも是非このことを教えてあげたい。
興奮して「ワーグ」「ローブ」を繰り返して纏わりつく私に、ワーグは「はいはい、では参りましょうね」と苦笑して抱っこをしてくれる。
生まれたての小鹿のような私の足どりで歩いていたら、目的地までどれだけかかるか分からないからだ。
四本足で歩いてもいいなら早いんだけどね。二本足で歩くのって結構怖い。こういうときは「獣姿のほうが良かったかなぁ」とどうしても思ってしまう。
(ワーグって目力はあるけど、なんだか保父さんみたいだねぇ)
この世界にも保育園や幼稚園があるかは分からないが、彼みたいなタイプはピッタリだろうなと考えながらワーグを見上げる。
ニコニコした笑顔を崩さないところや、ゆったりとした分かりやすい口調はまさに保父さん!という雰囲気だ。
神官服よりもむしろエプロンのほうが似合うかもしれない。
(王子がエプロン着ても似合わないだろうなー)
思わずエプロンを着た王子を想像して―――――私はすぐさま思考を遮断した。
どうしてなの。
どうしてエプロンを着ている王子を想像すると、裸エプロンで脳内に現れるの…ッッ!
王子の日頃の行いのためか、はたまた水浴びの時に散々見た裸体の印象が余程強いためか。
(絶対、王子の日頃の行いのせいっ!)
一人で百面相をしている私をワーグは不思議そうに見ながらも「では参りましょうか」と抱っこした私をその腕に乗せて安定させると、神殿の奥へ奥へと歩いて行くのだった。




