第21話 壊れた転送陣
リザンシェの神殿には少し寄るだけのはずが、結局私たちは20日間も滞在することになった。
それは、リザンシェから王都までの転送陣が一部壊れてしまっていたためだ。その転送陣を直すのにかかる期間が20日間ほど、ということらしい。
聞けば転送陣とは、特殊な液でかかれた魔方陣のようなもので、人間や物を一瞬にして遠く離れた場所まで送ることができるものなのだとか。
発動するには転送陣に神気を送り込むことが必要となるため、大抵の転送陣は各都市の神殿の一角に造られており、転送専門の神官がその場所に常駐しているはずなのだが……。
「全く、リザンシェの神官ともあろう者が転送陣を壊した挙句に逃走とは!」
王子に与えられた部屋では、グラウが苛立たしげに歩きまわっている。
そのすぐ傍のソファでは優雅にお茶を愉しむ王子。
王子はカップを口へ運ぶとお茶を味わうようにゆったりと喉を潤していたが、室内でウロウロと歩き回るグラウを目の端に映すとカップをソーサーへ戻し、小さく嘆息した。
「…お前まで苛々していても仕方あるまい。先触れは出したのだろう?」
王子がお茶を飲み干してテーブルに置くと、すかさずアラヴィがお代わりを注ぎ入れる。お茶の良い香りが広がり、グラウは匂いに釣られるようにカップに目を落とした。
アラヴィに「お代わりはいかがですか」と問われ、グラウは「いや…結構」と返事を返すと、やはり落ち着かないのか再び部屋中を歩き回り始めた。
「伝書鳥を…飛ばしましたゆえ、王子ご存命の一報はそろそろ届いているかと存じますが。しかし」
「ならば良いだろう。お前も少しは落ち着け。少しはカノーイを見習ってはどうだ」
その言葉に、私は「ん?」と顔を上げた。
ウツラウツラとしていたのだが、私の名前が聞こえた気がして、「ふぁぁぁ…」と大きな欠伸をすると手を丸めて顔をガシガシと擦る。
私、いつの間にかネコ科の習性がしっかり染みついてます。
そして徐に、今まで枕にしていた王子の膝に手を付いて起き上がると、私はよちよちと未だおぼつかない足取りでアラヴィの足元まで歩き、「お茶をくだしゃ……くだ、さ、い」と強請った。
アラヴィはすっかり慣れた動作で「はい、どうぞ。御遣い様」とお茶を入れてくれながらも、乱れた私の衣服を整えてくれる。
ちなみにこの洋服は神殿に着いたその日に調達してもらった物だ。いくら幼児の体とはいえ、裸のままではマズイからね。
「前世で娘がいたら着せてやりたいようなワンピ…」などと前世では結婚すらしていなかったのにウッカリそんなことを考えてしまうほどに可愛いワンピースだったが、私は恥ずかしながらもそのワンピースをありがたく着させてもらっていた。
正直な感想は「こんなこっ恥ずかしい服、着られないよ!」といったところだが、居候の身で贅沢は言えません。
それにフリルたっぷりの乙女ワンピースであろうとも、今は幼児の体だから視覚的にも許容範囲内!…のはず!たぶん…。
さっきまで気持ちよく寝転がっていたため割と乱れていたのだろう襟元も、アラヴィにちょいちょいと正されながらお茶を一口、口に含む。
紅茶に似た味わいのお茶はとても飲みやすく、寝起きに近い体にも優しい。
「あり、がとう。美味しー、です」とたどたどしい言葉でお礼を述べると、アラヴィは「どういたしまして」とニッコリとした。
アラヴィという男は本当によく出来た男で、こうしたお茶汲み仕事も率先してこなしてくれている。
本来こういったことは侍女の仕事ではなかろうかと思うのだが、神殿で働いているのはみな神官―――男性のみ。
ましてや王子が他人を側に寄せ付けることを嫌ったため、結果アラヴィが王子や私の世話のほとんどをしてくれているのだ。
(アラヴィのおかげでこんなにのんきにしていられるんだと思うよ、ホント)
感謝をこめて見つめていると、何を勘違いしたのかアラヴィが「あぁ、お菓子もどうぞ」と差し出してきたので、私はさっそく焼き菓子を口に頬張った。うん、うまい!
「いやはや、ここ数日で御遣い様もだいぶ言葉が達者におなりになりましたなぁ」
成長した孫を見るように微笑ましげな目でグラウに見つめられて、私は一生懸命咀嚼してお菓子を飲み込むと「あり、がとう」と照れ笑いを浮かべた。
人間に姿を変えた後、まさかの幼児語しか喋れなくなった私は、発音を何とかしなければと毎日アラヴィ相手に猛特訓を重ねていたのだが……どうやら成果はしっかりと表れているようだ。
いくつになっても誉められるのは嬉しい。
私はますます「言葉の特訓を頑張らなければ」と心の中で拳を握る。
「……王子殿下、御遣い様はとても賢いお方なのかもしれませんね」
そんな私を眺めていたアラヴィが言うと、王子は「なぜそう思う」と即座に問いかける。
「言葉というものを理解されているからです。花、空、椅子といった単語もさることながら、食べる、寝る、座る、ありがとう、…………御遣い様は言葉をよくご存知です。発音が巧くできないだけですから、それさえ巧くできるようになれば会話の内容はほぼ大人と変わりないかと」
そう言われて、私はドキッとした。
幼児だと思われているから許される行動ってあると思う。
しかし最近の私の行動といったら、全くの子供と等しい。
いくら今生の私は獣とはいえ、前世の38歳の意識を持ったままで王子の膝で厚かましくも寝たり、甘えたり、背中にぶら下がったりしているのだ。
これは………精神年齢がバレたら、いろいろとマズイ気が……。
「そういえば、聞いたことが無かったな。カノーイ、お前の歳は幾つなのだ?」
「え?」
部屋にいる3人の視線が突き刺さってくる。
私はしばらく視線を彷徨わせて考えてから、
「な…………なな、かげちゅ…でしゅ」
エヘッと子供じみた笑顔を意識しながら笑ってみせた。
「…………」
「…………」
「…………」
三人に微妙な顔をされる。
「…………な、ななかげ、つ。です!」
しばらくの沈黙の後、それぞれに嘆息された。
……どういう意味の嘆息ですかね、それ。
「話を戻すが、転送陣を壊した神官は未だに逃走を続けているのか」
王子は再び膝によじ登ってくる私に手を貸しながら、グラウへ問いかける。
その質問にグラウは苦笑いを浮かべて「らしい、ですな」と返した。
グラウが浮かべた苦笑いの意味が分からなくて私は首を傾げたが、その答えはすぐにもたらされた。
「この町に駐屯させている国軍の調査兵をお貸ししましょうか、と提案しましたが……さすがリザンシェの神殿ともなると、いともあっさりと断られましたよ。逃げた神官の情報すらいただけません」
「神殿はプライドが高いからな。我がフィヨルド国内で起きた事件であろうと国の施しは受けぬ、と。そういうことか」
「或いは国が関与しては不味い事態が起こっているか…ですかな」
グラウの言葉に王子は「国が関与しては不味い事態、か……」と呟く。
私は考え込む王子の袖をクイクイッと引っ張って「どー、して、国のへーしがかいにゅ…介入でき、ない、の?」とたどたどしく聞いた。
王子たちの話を聞いていると、この町は王子の国…フィヨルド国内の町だという。
国内の町ならば当然に国軍兵が介入してもおかしくないだろうに、と私は不思議に思ったのだ。
「神殿は特別なのだ。他国でも同様だろうが、王家は神殿を軽視することはできぬ」
「とくべ、つ?」
「そうだ。何しろ、神気を管理できるのは神官のみ。特にここリザンシェは聖地の麓の町だ……、余程の事態でも起こらぬ限りは国の介入を許さぬだろうな」
全く頑ななことだ、と王子は肩で溜息をついた。
確かにここ数日で得た情報によると、神官とは随分多くの役目を担っているようだった。
神気を調整して病人たちに治療を施す医療行為。
要所要所に設置された転送陣の管理。
強すぎる神気から町を守るための神気中和。
特に神気が強いとされるこのリザンシェの町では、きっと彼らの立場も強いものになっているのだろう。
ならば神官と同じようなローブを着ており、なおかつキュールもできるアラヴィはどういった存在なのだろう、とアラヴィを見ると、視線に気がついたアラヴィはニッコリと笑って教えてくれた。
「私のように神殿ではなく国に仕える神官もおりますよ。神官は自分で、国に仕えるか神殿に仕えるかを選ぶことができるのです。大抵はそのまま神殿に残るようですが、愛国心の強い者はやはり国属になることを選びますね」
「御遣い様。正直なところ、アラヴィのような神官を我が国としても歓迎しているのですよ。王城にも転送陣はございますが、神官の力なくしては発動もできませんからな。彼らの為す役目は大きい」
グラウがそう言ってアラヴィを評価すると、アラヴィは「恐縮です」と少し面映そうに頭を掻いた。
神殿に滞在して数日経つが、いつも私や王子の身の回りの世話をしてくれていたアラヴィが実はそんなにすごい人だったのか、と私は思わず尊敬のまなざしでアラヴィの顔を振り仰いだ。
アラヴィはアラヴィでいつも「御遣い様」を敬愛のまなざしで見つめているので、お互いに目をキラキラさせて見つめあう姿は……傍から見るとかなり奇妙な光景である。
「…まぁ、ともかく今しばらくは神殿に滞在することになるのだ。焦っても仕方あるまい」
王子はそう結論付けるとアラヴィに少し冷めてしまったお茶のお代わりを頼み、私の頭を自分の膝へと押しつける。……どうやら「寝ろ」ということらしい。
私としてはもう少しアラヴィの話を聞いていたかったが、「飼い主」がそう言うのでは仕方ない。
私は王子の膝に頭を一擦りすると、獣の時と同じように丸まって眠りの体勢に入った。
コッソリ薄眼を開けると、優しく見下ろす王子、そしてその向こうに「やれやれ」と苦笑するグラウが目に入る。
アラヴィの姿はこの体勢では見えないが、ポットに新しい茶葉を入れ、蒸れて葉が開くのを待っているのだろう。
こうして、この日も静かに過ぎ去っていった。
のんびりと過ごす私たちの陰で密かに動いている人物が或る計画の準備を着々と整えていることに、私たちは――――まだ気付かない。
王子は割と心が狭いので、アラヴィとカノーイが見つめあっていたことが気に食わなくてカノーイに寝ることを強要したのかと思われます。