第18話 幼児は口が回りません
「御遣い様、私のことはどうぞ『じーちゃま』とお呼び下さいませ」
「じーちゃまぁでしゅか?」
すっかり相好を崩しているその様は、まるで孫を抱く祖父のようだ。
おじいさんが「じーちゃま」呼びを熱烈に希望しているようなので、私は「じーちゃまですか?」と素直に聞き返した。
いまいち舌足らずなのが何とも情けない。
脳内は立派な大人のはずなのになぁ、あっでも見た目は幼女だからいっかぁ、なんて思いつつ私は「じーちゃま」の腕の中から隣を歩く王子を見上げた。
(まさか私も一緒に王城に行くことになるとは思わなかったなぁ)
いくら獣と言えども見るからに幼い女の子を山に一人置いていくのは忍びない、と心ある人間であれば皆そう思うだろう。
そのおかげで王子と離れずに済んだのなら人間になって良かったなぁ、と思いきや。
獣だろうが人間だろうが、どちらにしても私を王城に連れて行く予定だったらしいことが判明して、私の肩からは一気に力が抜けていた。
「白き御遣い」というのはそれだけ国にとって重要な存在なんだそうだ。……私の涙を返せぇっ!
「……私の顔に、何か付いているか?」
私は今、じーちゃまの使っていたマントに身を包まれながら王子をじぃぃーーーっと見つめている。
そんな私の視線を受け、王子は少し居心地が悪そうだ。
獣の姿の時もわりとこうやって見てたんだけどね。人間の姿で同じことをすると、それはそれは気になるものらしい。
「なぁんもないお!」と言ってニコニコしていると、王子はますます落ちつかない様子で「そうか」と呟いた。
いやー人間っておもしろいね!
私の姿が違うだけで、こんなにも反応が変わるものらしい。
少し私から距離を置いて歩く王子とは逆に、先ほどまで獣の私に怯えていた人間たちのほうが今や私に近づいてくるくらいだ。
「御遣い様、私はアラヴィと申します。どうぞお見知りおきを」
王子が歩いているのとは反対側、じーちゃまの左側から近寄ってきた青年が私に恭しく挨拶を送った。
甲冑姿の面々とは違い、長いローブを身に纏ったこの青年は随分と柔和な顔立ちをしている。
つい数分前まで地面に手をついて見るからに怪しくブツブツと呟いていた青年とはとても思えない。あの精神的にイっちゃってた言動はどこへ行ったのか。
大人の女性としてはスルースキル「見て見ぬふり」を発動しようかとも思ったが、どうしても気になったので私はあえて突っこませてもらう。
「さっき、じえんにてぇおついてたの、なぇなんでしゅか?」
「………はい?」
「じえんに、てぇ!ついてたの、なぇってきぃちゃのでしゅお!」
「じ、じえんにてぇ?……それは神語か何かでしょうか、不勉強で申し訳なく…」
「ちゃーうの!」
くっ…なんてことだ。
言葉が話せるのに通じないとは……!
私は極々シンプルに「地面に手をついてたの、なぜなんですか?」と言っているつもりなのに、どうしても理解してもらえない。
通じない言葉に、私はイライラとして手足をジタバタ動かすと、右側から「アラヴィ。お前が地面に手を付いていたのはなぜか、聞いているのではないか?」と思いがけない言葉が聞こえてきた。
咄嗟に振りかえると、そこには相変わらず居心地悪そうな顔をした王子。
(さすが王子っ!1ヶ月も一緒に暮らしてきただけのことはあるね!)
私は嬉しくなって手をパチパチと叩くと、王子は再びフイッと視線を逸らしてしまった。
しかし、その顔が耳まで赤くなっているのを私は見逃さない。
どうやら王子は、私が人間化したことでツンデレだかクーデレだかのデレ前の状態まで戻ってしまったらしいが、いやいや全く問題無いね!この様子を見る限り、急に姿の変わった私に照れと戸惑いを感じているだけだろう。
だったら今度は、この幼女姿にデレ発動させれば良いのだ!
尤も幼女にハァハァするような変態になり下がったら、今度は私が避けさせてもらうけど!
「私が地面に手を付いていたのはですね、この辺りの神気を抑えるためにキュールしていたのですよ」
アラヴィ君が身振り手振りを加えて分かりやすく教えてくれた情報によると、どうやらあの辺り一帯は特に「神気」が濃く、常にああやって「キュール」とやらで神気を抑えていないと倒れてしまうくらい酷いものだったらしい。
「神様の気」と書いて「神気」らしいが、神聖なもののわりに随分とやっかいなものなんだね。
今はキュールしなくていいのかと問えば、「御遣い様が抑えてくださっていますから」と微笑み付きで返ってきた。
「わたち、なぁんもしゅてないでしゅお」
「『私、何にもしてないですよ』と言っている」
王子、ナイス通訳!
「御遣い様がいらっしゃるだけでその周囲の神気は丁度良い濃さに調整されるのですよ」
アラヴィ君はニッコリと笑って「そのお力で、王子殿下も救われたのです」と教えてくれた。
ほほーなるほどね!
だから私はずっと山にいても大丈夫だったし、私のそばにいた王子もメキメキ元気になったというわけか。
となると、ますます「どうして王子が神気の濃い山の中に転がっていたのか」ということが気になりますが……、そこは聞かないでおきます。私は食うに困らずに王子に甘えられればオールオッケーなんです。陰謀とかには出来るだけ巻き込まれない方向でお願いします!
「このしゅがたでもちょーせーしゃれりゅのでしゅか?」
「『この姿でも調整されるのですか?』と聞いている」
気になっていたことを聞くと、すかさず王子の通訳が入った。
「えぇ。御遣い様が人間になったという話は聞いたことが無いのですが…、どうやら人間のお姿でも変わりないようですね」
そこで、アラヴィ君は一旦言葉を区切った。
言おうかどうしようか迷うようにしばらく視線を彷徨わせ、最後に王子にチラリと目を走らせてから決意したように口を開く。
「白き御遣い様は……どこの国でも尊ばれます。それだけのお力をお持ちですから。…しかし、御遣い様……あなた様の場合はこのような愛らしいお姿をされています。もしやの事態も考えて、あまり王子のそばを離れないようになさったほうが良いかもしれません」
「そうですな。私も、そのように存じます」
じーちゃまもそれに深く頷いた。
もしやの事態というと……。
「誘拐、か。しかも人型ならば……最悪、子を産ませようと企むものが出てくるやもしれぬな」
(なんだとーーーー?!!)
王子が憂い顔で「下種はどこにでもいるからな…」と呟くのを、私は若干顔を青くして聞いていた。
それってもしかして、アレですか。
神の力を手に入れようとか、産まれた子供を使って世界を支配しようとか、そういうことですか!
恐ろしいよ、人間!恐ろしい…………って私も前世は人間だったけどさ~。さすがに誘拐とか強姦沙汰とは縁遠いところにいたから、やっぱりそういう展開は怖いよ~。
アラヴィたちの忠告に、私は「絶対に王子から離れないようにしよう」と強い決心を固めた。
元より離れるつもりもなかったけど、自分が希少価値の高い存在なんだということを私もしっかりと自覚しておいたほうがいいのかもしれない。
そう考えると変身したのが幼女姿で丁度良かったなぁ、と私は隣を歩く王子を見ながら思っていた。
もし誘拐されても幼女なら子供なんて産めるわけがないし、それに…………。
(…………見るからに結婚適齢期の王子に私がへばりついていたら、結婚できるものもできないだろうし、ね)
私はすっかり王子に甘えるクセがついてしまったけれど、38歳の女の姿で王子に甘えていたら明らかに玉の輿狙いの嫁き遅れっぽく見えるし。王子と結婚することになるであろう女性だって……、おもしろくないと感じるに決まっている。
それはいろんな意味でマズイだろう。
私は王子とこれからも共に暮らしていく。
人間の世界に降りて行くのは……正直に、怖い。不安もある。
それでも、私は王子と一緒にいたいのだ。
私は少しばかり不安を滲ませた顔で王子を見上げた。
王子が「……なんだ?」と目を逸らさずに問うてくれたので、私は心の中にあった不安をそっと吐きだす。
「…おーじょーってとこおに行くんえしょ?わたち、なぁんもしなぁでいーの?」
「『王城ってところに行くんでしょ?私、何にもしないでいいの?』と聞いている」
…………。
いや、それ王子に向かって聞いたつもりだったんだけど。