Ep.1 霧を抜けると…
「今日も楽しかったよ。またね」
「はーい。また来てねー」
「待ってるわよー」
最後の客が手を振って帰っていく姿を見送る。くたびれたスーツ姿の中年の男だが、もう店には五年以上通ってくれている。トラブルもない、良い客だ。
「よし、店を閉めるわよー」
「はーい」
店のママの言葉を聞き、揃って返事をする。先に店に戻るママの背中は大きくて、いつもながら惚れ惚れしてしまう。
「ママって本当に格好良いわよね。ジムとか言ってる?」
「なによ。ゴツいって言いたいわけ? 殺すわよ?」
「うわ、殺意マシマシ」
素直な感想を口にしたのに、ママは眉間に皺を寄せて睨んでくる。恐ろしい形相だ。
「ちょっと、薄っすらヒゲが生えてるわよ」
「うるさいわね」
冗談を言うと、更に文句を言って店の中へ消えてしまった。その様子に同僚のシャリーンと笑い、後に続いた。
店内は赤みがかった色合いのマホガニーという木材をふんだんに使っており、比較的落ち着いていてお洒落な内装となっている。カウンターやテーブルを拭き掃除をしている内に、ママが食器類や酒を整理して掃除は終わりだ。
「エメラルダ? もう帰れる?」
「ええ、大丈夫よ」
最後に着替えて外に出ると、ママとシャリーンが待ってくれていた。皆スキニーパンツ姿だが、合わせたわけではなく、偶然である。ちなみに、ママは革のジャケットを着ていて、シャリーンはふわふわの白い毛皮のジャケットだ。ママはショートで革のジャケットが似合うし、シャリーンはツルツルのストレートにしているので、ふわふわの上着と合っている気がした。私は色々言われるのが面倒なので、普通のパーカーである。
「エメラルダはドレス姿は似合っていると思うけど、パーカーは地味じゃない?」
「コンビニとか行くのに良いのよ、パーカー」
「それなら革ジャケも最高よ。包み込まれている気持ちになるもの」
三人で笑いながらそんな話をして、駅に向かおうとした。真夜中でも通りは明るく、人通りも多い。これぞ日本の中心。大都会、新宿だ。
「あ、今日は車で乗せていってあげましょうか?」
「え? 本当?」
「私、ちょっと遠いわよ?」
珍しいママの言葉に、私とシャリーンが目を瞬かせて聞き返した。すると、ママは遠い目をして口の端を上げた。
「今日は、ちょっとナイーヴなのよ。誰かと一緒にいたいの」
ママのそんな言葉に、シャリーンと顔を見合わせて話し合う。
「彼氏に振られたんじゃない?」
「そうよね、多分」
「聞こえてるわよ、あんたたち」
ちょっと予想しただけだったのだが、しっかりとママの耳に入ってしまった。いけない。このままでは車に乗せてもらえなくなってしまう。
「じょ、冗談よ!」
「天下の二丁目の女王、デス婆ーンを振る男なんていないんだから」
「もう乗せてあげない!」
どうやら本当に振られたらしい。ママは恋多きニューハーフの為、毎年違う彼氏を連れている。なので、二、三週間もすれば元気になっているだろう。
「ほら、ママ! 笑った方が可愛いわよ!」
「ちょっとくらい髭があってもステキ!」
シャリーンと二人で褒めながらママについていき、何とか乗車拒否されずに済んだ。
「本当、あんたたちは調子が良いわよね」
苦笑交じりにそう言って、ママは愛車の911のエンジンをかける。真っ赤な911は汚れ一つなく、内装も綺麗な黒だ。
「ほら、二人とも後ろに乗りなさい」
「えー? 私、助手席が良い!」
「助手席はダーリンの為だからダメよ。乗ったら殺すわよ」
「いないじゃないの、ダーリン」
「は?」
シャリーンがママと言い合いをしつつ、素直に後部座席に乗り込む。それに続いて、私も後部座席に乗り込んだ。もちろん、サイズアウトだ。シャリーンは三人の中で一番小柄だが、それでも身長は百七十五センチ。体重は六十キロ以上ある。私にいたっては身長百八十超えで体重も七十キロだ。満員電車より窮屈な状態になりながら、運転席でサングラスをかけるママを見た。
「知ってる? この席ってエマージェンシーシートとか呼ばれてるみたいよ?」
「呼ばれてるんじゃなくて、正式名称よ。ディーラーでも言われたわ」
「エマージェンシーじゃないのにエマージェンシーシートに座るわけ?」
「うるさいわね。この密着感が良いって言ってくれたんだから」
「だから、そのダーリンはもういないわよ! それに、そのダーリンが言ってるのは助手席でしょ!?」
「後部座席って、奥行きだけじゃなくて幅も狭いみたいなのよね……ほら、勝手に胸を強調するみたいな格好になっちゃう」
「さぁ、出発するわよ!」
私とシャリーンが狭過ぎる後部座席で騒いでいると、ママは何も聞こえなかったように発進を宣言した。ちなみに、こちらも偶然だが、三人とも家の方角は同じである。
「狭いけど、やっぱり車は良いわねぇ」
シャリーンが笑顔でそんなことを言う。高速道路の景色は確かに好きだが、流石に狭過ぎて同意はできなかった。助手席なら快適だし、景色も良く見えるのだが、後部座席ではどれも厳しい。
「うわぁ、もうすぐ着いちゃうわね」
「やっぱり夜は早いわね」
シャリーンとそんな会話をしていると、ママが軽く息を吐き、一言呟いた。
「……やっぱり、もう少しドライブしようかしら」
「え?」
何を言っているのか。独り言にしても聞き捨てならない言葉である。
「ちょっと、ママ?」
シャリーンが声を掛けると、ママは笑顔で頷いた。
「さぁ、どこに行きたい?」
ルームミラー越しにそう言われて、シャリーンが目を剥く。
「いやぁ! 降ろして! 八王子で降ろしてよ!」
「あ、通り過ぎたわよ……」
無惨にも、シャリーンの愛する八王子インターは通り過ぎてしまった。本当に通過すると思っていなかったのか。シャリーンは絶句である。
「甲州街道とか興味ない?」
「ないわよ!」
「あっても今じゃないわね」
とんでもないことを言うママに、シャリーンが全力で突っ込む。夜中に何が悲しくてニューハーフ三人が甲州街道を目指すというのか。色々言いたいことはあったが、失恋したばかりのママのことを思うと、強くも言えなかった。
「……せめて、明日の朝には解放してもらいたいわ」
「明日の朝ね! 朝ってあれよね。十二時までは朝よね?」
「それは午前でしょ!?」
失恋により錯乱したママの暴走を止めることはできず、結局三人でどこまでも走ることになってしまった。
そして、気が付けば山の中である。
「……ママ。ここってどこなの?」
「昔走ったことあるから大丈夫よ」
「ちょっと……もうコンビニも見当たらないわよ?」
「コンビニはあったじゃない。十分前くらいに」
いくらなんでも暴走し過ぎである。叫び疲れたシャリーンが力無く突っ込むが、ママには響かなかった。それにしても、いくらなんでも山の中過ぎないだろうか。甲州街道は町中を突っ切る通りである。どうしてこんな景色が延々と続くのか。
「……街灯も標識も無いのはおかしくない?」
そう尋ねてみると、ママが一瞬ルームミラー越しに私を見て、速度を落とした。道の脇に車を停車させ、スマホを取り出す。
「仕方ないわね。ちょっとGPSで……あら? つかないわね」
「ママ。スマホの使い方知らないんじゃない? ガラケーにしなさいよ」
「うるさいわね。いつも使ってるわよ。むしろ、使いこなしてるくらいなんだから」
シャリーンと文句を言い合いながらスマホを見るママ。しかし、本当にGPSが使えないらしい。
「謎の格安メーカー使ってるんじゃない? 私なんて超大手だから……あら?」
シャリーンが勝ち誇った様子でスマホを取り出してタップしてみたが、そちらも様子がおかしいようだった。気になって、自分のスマホも取り出す。画面に貼ったガラスフィルムに一本線のヒビが入ったスマホだが、最新の機種である。電波も比較的繋がりやすいキャリアだ。
「……私も、使えないわね。でも、地図は甲府で止まってるみたい」
「え? もうずっと前に通り過ぎたじゃないの」
ママがそう口にすると、私もシャリーンも何も言えなくなった。三人揃ってスマホが使えない状況だと認識すると急に不安になる。そして、窓から外を見ると家一つ無い暗闇の世界だ。
「なんでこんなところまで来るのよ!?」
シャリーンが怒った。しかし、それにママは口を尖らせる。
「こんなところって、真っすぐ来ただけでしょ!? 迷うような道通ってないもの! ただ大通りを真っすぐ通ってただけなのに、文句を言われても困るわよ!」
そう言われて、私はシャリーンと狭い車内で顔を見合わせる。確かに、ママは暴走はすれど、道は極めて普通の道だけを通った。なんなら、ただ遠くに向かって走っただけだ。
「……大通りを走っていただけなのに、気が付けば標識も、街灯も無い山の中? おかしいわよ。途中まではコンビニだってあったし、普通に民家だってあったのに……」
一気に不安になったのだろう。シャリーンが小さな声でそう言った。それに、私も思わず背筋を震わせてしまう。
「ば、ばば、馬鹿ね! ただの山の中よ! 少し行ったら、また次の町に着くんだから!」
そう言って、ママが再び車を走らせようとする。それに、思わず静止の声を発した。
「ちょ、ちょっと待って! それなら、来た道を戻りましょ? それなら、二十分もしない内にコンビニがあるわよ!」
「そ、そそ、そうね! それじゃあ、ドライブは終わり! さぁ、帰るわよ!」
「最初から八王子で降ろしてよ!」
来た道を戻れば良い。そう決めてからは、車内は再び明るい雰囲気に戻った。なにせ、分かれ道も無い一直線の道を走ってきたのだ。迷うはずもない。
少し狭い山道で何とかUターンして、911は再び東京を目指して走り出した。狭い後部座席から必死に窓の外を見る。間違いなく、同じ道を戻っているはずだ。
しかし、二分、三分、四分と走って行く内に、三人とも口数が少なくなっていく。誰もスマホは確認しない。ただ、どこまでも続くような山道を見つめながら走った。
「……ま、まだかしら?」
ママが小さく呟いた。その声を聞き、シャリーンが真剣な顔でスマホを取り出す。
「で、電波はまだ繋がらないわね」
シャリーンのその言葉を聞き、なんとなく「やっぱり」と思ってしまった。口には出さないが、皆同じことを思っている筈だ。
山道は、多少曲がりくねっていて、坂道ばかりだった。だが、基本的には山を登る形で進んでいたはずだ。だから、Uターンをすれば下り道になるのが普通である。
しかし、来た道を戻っているはずなのに、坂道を登っているような気がするのだ。
「……もう、十分は経つわよね?」
「……電波が繋がってなくても時計は表示されてるでしょ?」
シャリーンの疑問に、ママが呆れたような声で突っ込む。いや、若干引き攣った声だったが、私とシャリーンは気が付かないようにして笑った。
「ママもスマホに詳しいのね!」
「でも、確かに!」
そう言って、シャリーンがスマホに表示された時刻を確認する。
「……時間、分かんないかも」
「え?」
シャリーンの返事を聞いて、私とママの声が重なった。
慌てて、自分のスマホを開いて確認する。すると、画面には見たこともない数字が表示されていた。
【1949年5月19日3:45】
有り得ない数字だ。自分が生まれるよりずっと前の日付であり、時間もおかしい。
「ちょっと……私の、1949年5月なんだけど」
乾いた笑い声を上げながらそう呟くと、シャリーンが「ひっ」と息を呑んだ。
「1949年、5月、19日?」
「え?」
シャリーンの言葉に驚き、手に持ったスマホの画面に目を向けた。映し出されていたのは全く同じ日付、同じ時刻だ。
「ちょっと! やめてよ!?」
たまらずママが叫び、車を道路の端に止めてスマホを取り出す。そして、画面をタップした格好で止まった。
「……私も、1949年5月……」
それだけ言って、押し黙るママ。後部座席からルームミラーでママの顔が見えたが、真っ暗な中に顔だけが浮かび上がって見えて不気味だと思ってしまった。
「は、早く帰りましょう! 絶対におかしいわ!」
シャリーンが叫ぶ。それを聞き、ママも慌てて車を発進させた。それからは、ただ無言で車を走らせていく。何度も細い山道特有のカーブを曲がり、鬱蒼とした森の道を突き進んでいった。
そして、ようやく建物が見え始める。
良かった!
声に出していないのに、皆がそう言った気がした。
しかし、顔を上げた先に見えたのは、灯り一つ無い家屋だった。左右に幾つも家はある。しかし、街灯どころか家にも灯りは無い。それに、雰囲気がどうも違った。
「……私の田舎みたい」
「え?」
ママの呟きに、二人で反応する。ママは呆然とした様子で町並みを眺めていたが、すぐに首を左右に振る。
「……やっぱり嘘。あんな、廃墟みたいな家ばかりじゃないもの」
ママの言葉を聞き、視線の先を見た。車窓から道の右側に並ぶ家を見る。一軒ずつ距離が離れているが、確かにどの家も廃屋といった見た目だ。いや、窓ガラスも割れているし、場所によっては戸も外れてしまっている。
「……いや、廃墟なんじゃない? ここ?」
シャリーンがそう言い、反対側に顔を向けた。
「絶対、誰も住んでないわよ! ここ! ほら! あっちもドアが壊れてる! 誰が住むのよ、あんな家!」
大騒ぎするシャリーン。もう顔は真っ青だ。ママも怖いのか、速度が落ちているせいで左右に並ぶ家が良く見えた。確かに、どの家も廃屋だと思うし、人の気配もない。
「ちょっと!? 早く突っ切っちゃってよ!?」
車の速度が落ちていることに気が付き、大声で抗議する。それに、ママは地面を踏みつけるような音を立てた。
「な、ななな……!?」
「あ、アクセルを踏んでも速度が出ないのよ! 私だって早く帰りたいわよ、もう!」
ママが大声で怒鳴りながら車の床を踏んでいる。どう見てもアクセルじゃない。ママがおかしいのか。それとも、私の見えている光景が間違っているのか。
「あ、足を前に出すだけで良いから! 踏みっぱなしにしてたら良いから!」
「そうよ、ママ!? 蹴るんじゃなくて踏んでくれない!?」
私とシャリーンの訴えに、ママは肩を震わせながら頷き、足を突き出した。しかし、それでも車は速度を落とし続け、ついには完全に停車してしまう。
「停まったーっ!?」
「馬鹿ーっ!」
いつもの癖で大騒ぎしてしまうが、ママは冷や汗を流しながら窓の方を見て固まった。それに釣られて、私とシャリーンもママの奥の窓に視線を向ける。
すると、そこには薄っすらと灯りのついた家があった。
誰かいる。
そう思ったが、安心はできなかった。もう十軒も二十軒も廃屋のようなボロボロの家を通り過ぎて、いきなり一軒だけ普通の家があるわけがない。その証拠に、目の前の家は塀が崩れ、窓も割れてカーテンが外に出てしまっている。戸だけは何とかあるが、それも開きっぱなしだ。
「だ、だだだ、誰!? 誰かいるの!?」
シャリーンが叫び、ママは無言で車の鍵をロックした。吸い込まれるように開けっ放しのドアの奥に視線が向き、真っ暗な玄関と廊下が目に入る。昔ながらといった感じの、広い玄関だ。正面には大きな置時計があり、何故かそれを見ているだけで寒気がする。
不意に、家の中、カーテンの向こう側に見えていた灯りが動いた。オレンジ色の裸電球のような色合いの柔らかい光が、玄関の方へ移動している。
「ママ!? ママの田舎なんでしょ!? 誰か知っている人じゃないの!?」
「知らないわよ!?」
大騒ぎするシャリーンとママの声を聞きながら、食い入るように窓の向こう側を見つめる。数秒もすると、灯りは玄関の方へ行き、置き時計の傍まできた。そこまでくれば、もう何がいるのか認識できる。
薄くて長い髪を前に垂らした、背筋の曲がった老婆だ。灯りは、手に持った蝋燭のようである。持ち運べる蝋燭台のようなものを手にした老婆は、こちらに向き直り、歩いてきた。
「うわぁあ! おばあちゃん! おばあちゃんが来たわ!?」
「た、高橋さんじゃない!? もしかしたら、ママの知り合いかも!? あ、でも高橋さん亡くなってたわ!?」
「ちょっと、早く車を出してくれない!?」
徐々に近づいてくる老婆を見て、三人で車内で騒ぐ。シャリーンなど、車から飛び出してしまいそうな勢いだ。もちろん、私もママの肩を後部座席から掴んで揺さぶっている。
老婆は、もう目の前まで来た。ガラスの向こう側に老婆の顔が浮かぶと、流石のシャリーンとママも口を開けず、息を殺すようにして気配を消す。
真っ白な目だ。歯の抜けた口が開いたままで、生気の感じられない表情の老婆が、車の外で窓の中を見ようと顔を寄せてきている。目の前にはママの顔があるはずだ。しかし、見えていないのかもしれない。
ずっとそのままでいた。いや、体感は何分も経過したような気がしたが、実際には十数秒ほどだったのだろうか。
老婆が口をもごもごと動かしたと思ったら、こちらに背を向けたのだ。そして、ゆっくりと家に戻っていく。
それを見た瞬間、車が生き返ったように走り出した。タイヤが滑るような感覚を受け、一気に加速する911。
「進んだ!」
「行って! 早く行って!」
「カーブがあるかもしれないでしょ!?」
車はまるで意思を持ったように走り、私たちは三人で大騒ぎするばかりだ。
「うわぁあ!」
「家! いえぇええええっ!」
「うるっさいわよ!?」
必死に運転するママに対して、左右の景色の変化に驚く私とシャリーン。外では、今まで以上に崩れた廃屋や大きな墓石などがあった。道の先には寺らしきものも見える。
「ちょっと!? いつの間にか人がいっぱいいない!?」
「ぎゃあああっ!?」
「今運転してんだから静かにしてなぁっ!」
廃屋にも墓石の前にも人が立っている。何故か老人ばかりだ。別に近づいてくるようなことはないが、老人たちは揃ってこちらを見ていた。
「が、街灯! 街灯がある!」
「おっしゃあ!」
「行け、行け、行け!」
三人で競馬に行った時以来の野太い声で騒ぎながら、進行方向を見る。確かに、遥か向こうには見慣れた街灯のある道があるようだった。
車の中で走りたくなるような気持ちになりながら、一直線に進む景色を見ていた。
そして、ようやく脱出する。あの危険な空間は脱した。それは間違いない。なにせ、信号がある。そして、何よりも奥に青い看板のコンビニがあった。
「こ、ここ、コンビニ! コンビニィイイイッ!」
「おら、来たぁあっ!」
「よ、良かったぁああ……!」
心からの歓声だ。皆で一直線にコンビニに向かい、駐車場に飛び込むように入っていく。危険運転だが、それを咎める者もいなかった。
コンビニの駐車場に車を停めて、皆で脱力した。
「……い、生き残ったわ」
「もうスマホ見るのが怖いんですけど……」
「ちょっと、シャリーンが見なさいよ。私はスマホとかわかんないから」
「なんで急にスマホが分からなくなるのよ!? 得意だとか言ってなかった!?」
シャリーンが怒る様子を見て、ようやく笑いが起きた。背もたれに体重を預けて、顔を上げる。
「あれ? シャリーンったら、いつの間に助手席に……」
助手席のヘッドセット横から、ぺたんとした髪の頭が見えて思わずシャリーンかと思った。しかし、隣からスマホで顔がライトアップされたシャリーンが振り向いて口を開く。
「え?」
その声を聞いて、運転席で項垂れていたママが振り向いた。
「なに? 何か……」
こちらに振り返ろうとして、ママも助手席に気が付く。
「ぎゃああああっ!?」
絶叫。そして、何故か掴みかかるように両手を伸ばすママ。
「降りろ、この野郎!」
酒焼けしただみ声で怒鳴り、扉を開けると同時に何者かを蹴り飛ばす。何か、湿ったような音とともに重い何かが地面に転がり、すぐにママがドアを閉める。
「コンビニは!?」
慌てて車を走らせるママに、シャリーンがズレたことを言う。
「私は緑派なのよ!」
そして、ママが更にズレたことを言って車を走らせた。
「嘘! だって、いつも青か黄色でカフェオレ買ってるじゃない!?」
「通り道にないのよ、緑が!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、車は再び道路に戻った。
今のはなんだったのか。気にはなった。でも、それを確かめるのは怖いし、何よりも早く帰りたかった。
「……ママ。今度は八王子で降りてよね?」
そう告げると、もう流石に文句は言われなかった。
「……みたいなことがあったのよーっ!」
「信じられないでしょ!? でも、私も見たんだからね!?」
我ながら逞しいもので、夜は通常通り営業をしている。ママとシャリーンが笑いながらホラー体験をネタにしていると、話を聞いていたくたびれたスーツの中年の男が頷いて目を細めた。
いつも朗らかで何でも笑ってくれるお客なのに、今日は全く笑っておらず、真剣な顔で聞いていた。最初は怖い話が苦手だから怯えているのかと思ったが、どうも妙だ。
話も終わり、ママとシャリーンも男の様子が変なことに気が付く。
「どうしたのよ、タケさん」
ママが笑いながら尋ねる。すると、中年の男、タケさんはお酒の入ったグラスを口に運び、一口飲んでから答える。
「……いや、懐かしいなぁって思ってね。僕も若い頃、似たような経験をしてさ。その時は携帯電話も持っていない人が多くて、僕も持ってなかったんだけどね」
「……その時は、どうなったの?」
タケさんの話が気になり、思わず聞き返す。すると、タケさんは目だけでこちらを見て、乾いた笑い声をあげた。
「それが、そのまんまなんだよ」
「ん? どういうこと?」
タケさんの言葉の意味が分からず、三人で首を傾げる。
「よく通っていた道を走っていたはずなのに、まったく知らない道になっていて、誰も住んでいないような廃村に迷い込んで……必死に走っていたら、ようやく自分の住んでいた町に戻れたんだよ。でも、どこか違うんだなぁ……気のせいかもしれないけど、皆別人みたいでさ。だから、怖くてもうずっと実家に帰れてないんだよ。ほら、家族だと、絶対に気が付いちゃうからさ……」
寂しそうに、タケさんはそう言った。
その言葉を聞いて、私はママとシャリーンの顔を見る。二人は、何かに気が付いたように顔面蒼白になっていた。そして、恐らくだが、自分も同じような顔をしていたのだろうと思う。
もしかしたら、私たちはまだ本当の自分たちの居場所に戻れていないのかもしれない。それは、本当に怖い想像だった。
不安になり、椅子に座ったまま壁に手を触れて溜め息を吐く。このレッドオークの木も、本当は……。




