第18話 戒田という男
「ふう……」
蕎麦屋から出て一息つく。世界中の名店が揃っているだけあってとても美味しかったのだが、先ほど出会ったミキという童女の事がどうにも気にかかり、食事に集中できなかった。そればかりか、彼女は本当に実在していたのか――なんて妄想すら脳裏を過る。
……馬鹿馬鹿しい。そう自身の考えを一蹴し、食後の慣らしも兼ねて散策していたのだが、入り組んだ建物に複雑な道が重なり、ここが塔の中だということを忘れそうになっていた。
「明日は筋肉痛だな」
そんな事を考えながら歩いていると、路地裏から男の声が聞こえてきた。
「俺は戒田っていうモンなんだけどさあ、悪いけどちょっと付き合ってくんないかなあ?」
「興味ないです」
「……付いて来てくれるだけでいいんだけどぉ?」
「しつこいです。いいからどいてください」
少し間を置いて、女性の声も聞こえる。
何やら不穏な気配を感じて、声のする方へ歩みを進めていき、気付かれないように壁の影に隠れながら覗くと、そこには僅かに長い金髪のインテリヤクザといった風貌で、鋭い眼鏡に白黒のストライプをしたドレスシャツを着た男――確か戒田と言ったか――が立っていた。
この位置からだとちょうど戒田の背中が邪魔になって、対面しているであろう女性の姿までは見えなかったが、おそらくナンパでもされているのだろう。
どこにでもああいった迷惑な輩はいる。たとえそれがテーマパークだとしても同じ。いくら高性能なAIを使っても、人の性格までは判らない、ただそれだけのことだ。
「ちょっと相手してくれるだけでいいからよお」
「何度も言わせないでくれない? 嫌です、さようなら」
そうして、隣をすり抜けようとする女性の行く手を遮るように戒田が前に出てくる。
「あんまり聞き分けが悪いと痛い目みることになるぞ? あ?」
「……はぁ、どうしてこんな面倒な事に」
女性はあまり気にしていないかの様子で溜息をついている。
……状況から鑑みて、ちょっと声を掛けてみた、というようなものでもないらしい。どうあっても物にしたいのだろう。女性はなんとかやり過ごそうとしているが、この数秒でも状況は悪くなっていると言わざるを得ない。
路地裏とはいえ、何人かはこの状況に気付いている様子だったが、触らぬ神に祟りなしという信念と共に生きているのか、遠巻きに眺めては足早に過ぎ去っていく。
このままでは怪我人がでると判断し、俺は気付かれないよう小声で助けを呼ぶ。
「リリィ、客がヤバそうな奴に絡まれてるぞ」
だが、いくら待っても返答は無い。
おかしい、PLOWの中のどこにいてもAIで監視していると言っていたのだ。こんな事が起きれば即座に対応できるはず。
「……リリィ……! 聞こえないのか⁉」
気付かれない限界まで声を張るも、リリィはどこにも現れない。ルメというAIに関しても同様だ。
……まさか故障? そんな考えが脳裏を過った瞬間、恐れていたことが起きようとしていた。
「ちっ、どいつもこいつも……! あー、もうめんどくせえ! いいからこっちに来い!」
「っ! ちょっとやめて!」
痺れを切らした戒田が、嫌がる女性の腕を掴み、強引に引っ張って行こうとする。
その時、今まで戒田の陰になって見えていなかった女性の姿をハッキリと目にした。
「――あの人は!」
腕を掴まれていたのは、船上や式典で見た黒髪の女性。そう認識した瞬間、無意識の内に身体が動き、飛び出していた。
「それぐらいにしといたらどうなんだ」
「……あ? なんだお前」
ギロリと鋭い眼光を向けられる。誰の目から見ても明らかな敵意――いや、殺意かもしれない。いつ殴りかかってきたとしても、なんらおかしくない状況だったが、どうしてか恐怖は一切感じない。どころか、胸中には目の前の男に対してふつふつと怒りの感情が湧き上がってきていた。
見るからに荒事に慣れていそうな筋者を相手に正面からやり合っても勝てる見込みは薄い。更に、いつからか分からないが、リリィが機能していないのなら入場ゲートの持ち物検査も同様に機能していない可能性がある。
とすれば、相手が凶器のようなものを所持していないと楽観視するのは止めておいた方がいいだろう。もし暴力に訴えかけてくるつもりなら、奇襲をかけて先手を取るのが得策か。
……いや、本当に事態を収束させたいのなら――。
「あっ!」
「――ぐッ⁉」
などと考えていると、女性の驚いた声が聞こえたのとほぼ同時に、頬に強い衝撃が伝わってきた。
なんとかその場に踏みとどまって、理解する。戒田が殴りかかってきたのだ。不意を突かれはしたが、鈍痛によって意識は先ほどよりクリアだった。
「ほー、この程度じゃ倒れないか。意外とタフなのか?」
戒田は余裕の表情で笑みを向けてくる。人を殴る事に対する焦りが見えないことから、やはりこういった荒事には慣れているのだろう。
しかし、不意打ちを耐えたことで僅かではあるが警戒したのか、戒田は俺の動きをじっと観察し始めていた。
「――ぐ、がああッッ⁉」
だが次の瞬間、突然戒田が叫び声を上げ、股間を押さえて蹲る。一瞬何が起きたのか分からなかったが、すぐに理解した。背後から女性が戒田の股間を蹴り上げたのだ。
「こっち! 早く!」
「え? あ、あぁ!」
そうして手を掴まれたまま走り出す。同時に、今の今まで湧き上がっていた闘争心のようなものが一瞬にして鎮火していくのを感じていた。
蹲る戒田に同じ男として同情しかけたが、この男がしようとしていたことを思い出し、そのまま捨て置いて走り去っていく。




