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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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夕凪はグリコの冒険

 わたしはいつだって慎重なほうだ、と思う。そりゃまあ、人から言わせればおっちょこちょいなところだってあるかもしれないし、もしかしたらちょっとした間違いを自分で気が付かないうちにしちゃってるかも、しれない、なあって後悔することもなきにしもあらずんば虎児を得ず、なわけだけど。

 それでもそれでも、朝起きてベッドの上から落ちて床で寝てるなんてことが無いように、いつもベッドの壁際のほうに身を寄せて寝るようにしてるし(朝になるとベッドから床に落ちそうな場所で寝てることもあるけど)、歯を磨くときは歯磨き粉が洋服につかないように洗面台の上で少し前かがみになって磨いてるし、朝のテレビでやってる占いだってチェックは欠かしたことないし、もし運勢が悪ければ一日中辺りに気を配って失敗しないように失敗しないようにって警戒してる、わけ。

 まあ、そうは言っても、「あー、駄目だなー、今日はきっと何をやっても失敗するし行動してもいいことないぞー」ってときには何もしないの。じっとして、そんな気分がどっかに行っちゃうまで待ってる。だから、わたしは絶対に普通のひととは違う体験だとか、思いがけない冒険だとか、そういったわたしがわたしとして生きている分にはレールの外にあって、普通に普通にしていれば経験しようがないことなんて縁の無いことだと思ってた。

 ……さっきまでは。

 これはね、ちょっとした不可抗力であってね。

 それでいてただ事では無いと思うの。

 いつも、大学へ行くときにわたしは電車に乗って通学してる。大学生ともなるとバイクとか、もっとお金を持ってたり親のを貸してもらえる人は車で通学してる人もいるんだけど、わたしは普通の大学生で、ちょっと欲を言えば普通の女子大生なわけだから、そこは家から自転車で駅まで行って、駐輪場に停めて、少し仲良くなった駐輪場のおじさんと世間話をしてから駅に行って、ふたつあるホームのどっちかに停まってる電車に駆け込んで、空いてる席を探して、それで大学までも最寄り駅に着くあいだ音楽を聴いたり本を読んだりしている。

 今日はちょうど、レンタルしてきたばかりの最新ヒットチャートで上位の曲を聴きながら、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでた。途中までは曲に耳が行ってたのだけど、読み始めて本に集中し始めると音楽は耳に入ってこなくなって、そのうちに邪魔になってきたから音楽は止めちゃった。やっぱりヒットチャートの上位の曲だって良いものばかりとは限らないわけで、それでいて音楽好きの人が言うようなバンドとかアーティストとかって皆目検討がつかないし、いまさら人に聞くっていうのもね、ほら、恥ずかしいお年頃っていうのもあってどうしても訊き辛いわけなのよ。「グリコはどんな音楽聴いてるの?」とか聞かれちゃうと、ちょっと物知り顔に「やっぱりビートルズよね」とか言っちゃってそのあと「えへへ、あはははは」とか笑っちゃって逃げてしまうわけ。恰好わるいわよね。

 そうそう、グリコってのはわたしのあだ名で、なんでグリコかっていうと小学生のころにグリコの例の有名なお菓子ばっかり食べてたからっていうのが由来なのだけど、そんなことであだ名をつけるんだったらみんな「ご飯」とか「お味噌汁」とか「食パン」とか「コロッケ」になってしまえばいいじゃないの、って友達に文句をいったあら「ほらほら、そこがグリコなのよ」って馬鹿にされた。むかつく、はっきり言って超むかつくわよね。

 えーっと、なんだっけ、そうそう、本を読んでたのね。『ダンス・ダンス・ダンス』ね。あれって、わたしがこれから読み始めようって友達に話したら「あんた、それ読む前にこっちを読みなさい』っていくつか本を渡されて、そっちを先に読んだのだけど、これが正解。先に読んでなかったら「いるかホテル」とか言われてもなんのこっちゃわかんなかったに違いないから友達にはちょっとだけ感謝してたりする。ちょっとだけね、ちょっとだけ。で、この日はようやく『ダンス・ダンス・ダンス』を読み始めて、冒頭から結構惹きこまれちゃったわけだけど、この人の本に出てくる男の人ってクールっていうか、なんかいつも疲れる会話してるし仕事も出来るし女の人にももてちゃってるイメージがあるんだけど、例えばそうそう、リュウ・アーチャーだとかフィリップ・マーロウだとかサム・スペードみたいにね。どうかな、そこのところ。実際こんな人いないいない、だってわたしの大学のクラスメートとかゼミ仲間とかの男の子見たってこんな気障で大人びてる男の子なんていないわけよ。しいていえば、一人くらい近い男の子がいるけど、彼もねえ、ちょっと、間の抜けてるっていうか何考えてるかいまいちよく解らないところあるし。

 ああ、また話が逸れました。反省してます。だからいつもみたいに本を読みながら電車で大学まで向かっていたの。毎日通ってるわけだから、大体の時間でとか、駅の雰囲気でとか、ぼそぼそってよく聞こえないアナウンスをあてにしなくたって降りる駅はわかるのですよね、これが。わたしが通学に使ってる路線のアナウンスって、きっと正確に伝える意思が無いのか、それともマイクに「聞こえないようにするフィルター」でもかかってるんじゃないかっていうくらい、聞き取りづらい。だから元々あてにはしてないわけであって、その日もちょっと本から視線を上げてみたら降りるひとつ前の駅だったから、じゃあもう少しと思って本を読み進めて、それから次の駅に着いてさあ降りようかしらー、なんて勢い込んで立ち上がったら、実はその駅がわたしが降りる駅からひとつ先の駅だったわけ。びっくりよ。それでも、わたしだって本を読んでいたわけだし、それも結構熱中していたわけだから乗り過ごしちゃったのかもしれないし、もしかしたら一瞬だけ本当に降りる駅に着いたときだけ都合よく居眠りをしていたのかもしれないし。というわけで、とりあえずその駅で降りて、階段を降りてから向かいのホームへ行って、それから五分後に着た逆方向の電車に乗ったの。今度は扉際に立って、外を眺めながら今日の授業のこととか考えてたわけだけど、それで二、三分後にまたひとつ前の駅のホームに到着したときには、もう、なんていうのかしら、地球が象に支えられた亀だって言い張ってた人がアポロ十三号に乗って宇宙に放り出されちゃったくらい驚いたわ。驚いたなんてものじゃなくて、ああ、これは夢ね夢なんだわー、って気絶しそうになった。だってどう考えたって、わたしが降りるべき駅を見落とすはずなんて、今度こそなかったもの。

 そうは言っても、このまま電車に乗ってるわけにはいかないのだから、わたしはとりあえずこの駅で降りてみることにした。それにしても信じられないから、ホームに突っ立ったまま電車がいくつか停まってまた発車していくのをぼおって眺めてた。これで遅刻決定ね、今日はテストの日じゃなくて良かったわ、なんてどーでもいいこと考えながらね。それで、これは、つまり、わたしがいつも降りていた駅が無くなっちゃったってこと? っていう結論に辿り着いたわけであって、じゃあ、ちょっと待って、そんなの駅が急に廃止になるものかしらっていう疑問も当然出てくるわけで、そしてわたしは駅のホームにあった路線図を確認してみたの。そうしたら、ね、わたしが降りてた駅の名前なんかはじめっからそこに無いように、影も形も無いの。えっと、だから駅の名前が消えていて、ひとつ手前の駅とひとつ先の駅が繋がっちゃってるわけ。えー? どういうことって思うでしょー。だって突然にもほどがあるけど、もし、万が一よ、昨日今日で駅が無くなっちゃったとしても、せめて名前が書いてあった跡だとかテープで消した跡だとかが残ってるはずじゃない。なのにこの路線図ときたら、プレート自体はもう駅の長老様みたいにもったいぶって古臭くて汚れてるくせに、一つ前の駅と一つ先の駅が定規で引いたようで途切れのない赤い線で結ばれちゃってるわけよ。これは、尋常じゃないわ、きっとここは魔界になってしまったのよ、なんて常識はずれのことを普通の人のわたしが思いつくはずもなく、とりあえず駅員さんに聞いてみなくちゃ、って極めて常識的な行動に出てみました。ええ、至って普通だし、ほら、人間って意外と、自分がありえない状況に陥ったときってとりあえず常識的な行動なり考え方をして自分を落ち着かせるものじゃないのかしら、なんてね。

 それでわたしも、とりあえず改札まで言って駅員さんに聞いてみたの。あの駅無くなっちゃんたんですか、なんて聞くのは恥ずかしいものだから、だってそんなこと聞いて頭のおかしい娘だなんて思われたら、わたし、お嫁にいけない、ていうか生きていけない。だから、わたしがいつも降りていた駅、その名前を出してそこへ行くにはどーしたらいいんですかー、って軽い感じであくまで自然な風に訊いてみた。そしたら駅員さん、はじめは親切そうな人だったのに、急に眉の根っこを寄せてね、「そんな駅聞いたことないなあ、ちょっと待ってて調べてみるから」なんて言い出して奥に引っ込んじゃった。それでパソコンみたいなわたしには見たことも無い機械をいじり始めて、それから他の駅員さんも集まってきて、それで何事か相談をし始めたの。ちょっと不気味じゃない? でね、その駅員さんたちは五人いたわけだけど、駅員さんたちが一斉にわたしを見たのね、急によ、急に。それもみんなの目の色がなんていうのかなー、とんでもなく恐ろしいものをみたときのような、ホラー映画で後ろに立っていたゾンビに気が付いて振り向いたときの主人公のような、そんな表情だったわけ。わたし、ゾンビ? 失礼よねっ、てわたしが自分で考えたんだけど、まあ、そんな感じの雰囲気がその場に漂ってたわけ。

 わたし、怖くなって、そのまま改札に定期も通さないで通り過ぎちゃった。きっと、駅がまるごとひとつ無くなっちゃったのか、それともはじめから無かったことにされちゃったのかまだわからないけど、とにかくとにかく、わたしがいつも降りてた駅は無くなっちゃたんだって頭から信じ込んじゃった。なんか、背中の背骨の脊髄とかそこらやんがぎしぎし軋んでるような音を立ててるような気がしてそれも怖くて、わたしとにかく駅の改札から逃げるようにして逃げたの。駅が無くなっちゃったていうことはどういうことかしら、だってその周りに住んでた人だっているけだし、あの駅の周りって新興住宅地っていうかニュータウンていうのかしらないけど、それなりにおおきなマンションだとか住宅地とかあったし、そこに住んでる人は困るんじゃないかしら、だって、駅から何分っていう不動産屋さんが書いてるようなことをあてにして住んでるわけだから急に駅まで歩いて三十分ですとか、バスに乗ってくださいとか言われたって、はいそうですかって納得できるものじゃないような気がするわ。それに駅前にあった商店街のお店のひととかどうしてるのかしら。駅がなくなっちゃったら人だって来ないわけだし、そうしたらパンだってお饅頭だって、焼き鳥だって食べ物屋さんだって飲み屋さんだってみんな赤字になっちゃうと生活していけないじゃないのかしら。そもそも、だって、あそこは大学の最寄駅だったわけだし、わたしの友達とか今日はどうしたのかしら、って気になって携帯を見てみたけどメールも電話も着信無いし、えっと、そうするとみんなは大学へ行ったってこと? ってわけがわからなくなって頭の中が綿菓子みたいにふわふわした感覚で、わたしは駅から階段を降りて、とりあえず、いま起こった不思議から脱出しようとしてみた。そうだ、きっと何かの勘違いで、駅から離れてしまえばそんなの授業中にお昼ねをして見たときの夢みたいに、ぱあーって消えてなくなってしまうに違いないんだ。って呪文みたいに「消えちゃえ消えちゃえ」って唱えながら走って、それから息が切れてきたから小走りになって、終いにはガードレールに寄りかかりながら膝に手をついて休んでた。

 そこに、彼が現れたのです。

 そう、さっき言った、わたしの大学の中でちょっとだけみんなと違う彼。佐奈田くんというのが彼の名前で、彼はガードレールによりかかって肩で息をしてるわたしの目の前に立ってた。わたしは下を向いていたから、目の前に人が立ったのは影でわかったけど、それが誰なのかそのときは知ることなんて出来なかったけど、それでもその影の先の足のもっと先にある口から「やっとここへ来てくれたね、グリコ」という声が聞こえたときに佐奈田くんだってわかって、そのときは(あっちゃー、みっともないところ見られたわ!)って咄嗟に恥ずかしくなったけど、佐奈田くんの言ってることが理解できなかったから「ここってなに? いったい何が起こってるの!? 来るってどういうことよ!? 駅はどこに行っちゃったの!?」って佐奈田くんに聞いても彼が答えられそうも無いことをとりあえず、言ってみた。だって、このときのわたしの頭の中にはこのことしか考えられなかったのだから。そうしたら佐奈田くんは「グリコがグリコではない世界から、グリコであるべき世界へ、という意味」と言いましたよ、これ。もう、わけがわかりません。

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