パスワード一九九八
彼女は僕の袖をつかんで、離さない。
ひっぱるから、全身で、ひっぱるから。
そんな彼女だった。いつかは、ひっぱりすぎて転ぶとは思っていたけどね。袖が破れそうになってきて。きっと転ぶよ。ほら、たぶん背中から。
袖が破けるね。うん、やっぱり転んだ。全身で引いていたから、勢い良く。僕からちょっと離れたところへ、
ごろん。
とね、そうしたら彼女、僕のほうを見て痛そうな顔をすると、地面に寝たまま。手を右と左でバラバラに動かすんだ。こう、何かを振り払うようにね。それから、足を蛙みたいに動かす。
とても、ゆららかに。
彼女がしばらく、そんなことを続けていたので、だから僕は傍にあったマイクで高らかに唄うんだ。
「あなたのことが、以前に出会ったときから好きでした」
「初めてあったときから好きです」
「でも、そんなあなただから。僕のことはちっとも見てくれません」
「でも、今なら少しは見てもらえるかもしれませんね」
「僕は、あなたのことを、まだ愛しているから。ずっと愛し続けるから」
僕が唄っていると。
彼女はまた僕に向かって、お祈りをしながら、近づくのさ。祈りの両手は、天に向かって。大地に向かって。笑ってるんだ、僕に向かって。足どりはカルイね。きっとこれがスキップってやつさ。
しょうがないから、僕はマイクを脇にどけること、どけること。
そして、彼女は僕の袖をつかんで、離さない。
ひっぱるから、全身で、ひっぱるから。




