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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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76/90

欲求皆既

「わたしをどうするつもり」

 櫻庭へ問いかけた少女は、彼を見てはいなかった。両手を後ろ手に縛られ、足首で左右の足をまとめられ、後部座席に横になっていた少女は窓の外へ視線を固定していた。それは眼前に迫った恐怖から逃れようとするためではなく、少女は車の外を流れ行き移ろっていく景色というものを確かめているように観ぜられた。

「君は何が好物、食べ物の中で」

「変なこと訊くのね」

「そんなことは無いさ、君の質問へ答えるために必要なんだ」

 わかってくれるよね、と櫻庭は少女を運転席から顧みた。既に山中の林道に差し掛かっており、曲がりくねった道の中を運転している最中に安全な行為ではなかった。しかし櫻庭にとってみれば安全であろうと危険であろうと関係が無かった。彼にはそういった、危険というものの認識が無かった。全てを諦めてしまっているが故に、危険から自己を守る行為をしない、わけではない。本質的に危険なことがどのようなことであるのか認識し得なかったのである。彼はいままで、自分が思い描いていた範囲内でしか生きておらず、そうして自分が予見出来る範囲内で自分が確実に出来ることのみを繰り返してきた結果、いままで危険と呼称されるような状況に陥ったことがなかった。そうして櫻庭は逆説的に確信してしまった。つまり自分には危険なことなど起きようがないのだと。

「好きなもの、そうね、コロッケとか好き」

「はは、随分と子供じみたものが、いや、いい。それが何であったとしてもいいんだ。しかし、例えばその君の好きなコロッケが朝も昼も夜も全ての食事に出てきたら、さすがに飽きるだろう。いくら好物でも続けて食べられるものじゃない。もしかしたら結果として嫌いになってしまう可能性がある。逆に、日頃は食べていないのに、突然食べたくなる好物、っていうのもある。その味や触感を舌が憶えていて、舌とか胃袋とかそういった身体の器官が僕の脳に食べさせろ食べさせろって命令を出すような、感じかな。大丈夫、理解出来てる」

「それくらい、子供だって理解出来るわ」

「賢い子だ。いや、子供だって理解出来るということは格別に賢いわけではないのかな。まあ、いいや、どっちでも。それで僕は人間の肉が好きだから、こう、我慢するわけだ。そもそも、頻繁に食べられるものじゃない。食材だって調達方法だって限られてる。だから、自分に対して戒律的な態度で臨んで、そうして自我を抑えて過ごした時間の分だけ余計に美味しく感じられて、だからどんどん好物になっていくんだ」

「ねえ、あなた自分で気が付いてる、言ってることが支離滅裂」

「気が付いている。それくらい、子供だって理解出来る」

 ほら、やっぱり無茶苦茶じゃない、と少女は嘲笑ったようだった。しかし声音から櫻庭がそう判断しただけであり、このとき既に櫻庭は視線を車の進行方向へ固定させていた。そうであったがために、櫻庭は危うく少女が「人間の肉ってどんな味なの、わたしも食べてみたいな」と言った言葉を聞き逃しそうになった。

「え、味、それは、そうだなあ、実際食べてみないとわからないよ。それに味付けによっても変わってくるし。君はこれから僕に食べられるわけだから、もう知りたいと思っても無理なんだけどね。まさか自分で自分の肉を食べるわけにもいかないだろう」

 出来の悪い受け持ちの生徒を諭すような口調で言った櫻庭へ、少女は「いいわ、自分の肉で我慢するから、食べてみたい」と言った。それから、と少女は続けた。

「わたしの中で一番美味しいところを、わたしに譲って。わたしの肉って美味しいに違いないわ、そうに決まってる。他の誰の肉よりも、どの人種のどの性別の肉よりも美味しいに決まってるわ。だから、本人にその一番美味しい部分を食べる権利はあるはずよ。他のところは貴方に譲ってあげる。もしかしたら、わたしは痛い苦しい死ぬのは厭とか叫ぶかもしれないけど泣くかもしれないけど、駄目よ、それに騙されては。そういった状態に置かれたら人ってそうなるものよね。違うの、わたしはいまが正気だから、いまのわたしの命令に貴方は従うべきなのよ。そう、それから貴方は、警察へ行って、わたしの肉がどれだけ美味しかったか自慢するのよ、いい、わたしの肉の素晴しさを世界に向けて宣伝するの、わかった。そこまで約束しなくては、貴方にわたしを食べる権利なんて、無いわ」


 櫻庭真治がそれを始めたのは、中学生の頃であったと記録にある。しかし本来、記録であるとか証拠といったものが極めて客観的事実にしか基づかないものである限り、櫻庭が果たしてそれ以前に行動を起こしていなかった保障というのは皆無であろう。実際のところ確認をすることが出来たのが、彼が中学二年生であり月が六月であって日付が十日であっただけのことであり以前のことなど今となっては確認の方法がないのであるから。

 そうしたことをしていたからといって、櫻庭が反社会的人間であるとか、あるいは極めて正常残忍な男であったとか、はたまた変態的欲求の持ち主であったということではない。むしろ櫻庭は積極的に普通の人間、平均的中学生であったと言える。学業は可もなく不可もなく、テストで百点を取ったことはそれまで五回ほどあったが、赤点を取ったことが無く、平均点を狙っていたのではないかと疑いを持つことが出来るほどに目立たぬ存在であった。友人も少なからずおり、休み時間になれば世間話をし、中学生特有の瑣末な遊びに興じていた。まだ恋人と呼べる女性はいなかった。初恋は既に櫻庭の失恋という形で終焉を迎えた後であった。しかし、櫻庭が女性から嫌悪感を持って見られる男ではなかったことは各種証言から読み取れる。実際のところ、彼は中学三年へ進級した後に同じクラスの岩松まみという女性と交際を始めている。

 櫻庭の家庭は両親ともに健在であり、二つ年の離れた姉と、七つ年下の弟がいた。住まいは公団の団地住まいであり、やや狭い敷地面積に五人家族が暮らしていた。どう贔屓目に見ても裕福で幸せな家庭とは言えなかったが、それでも不幸の底で泥水に塗れるような生活をしていたわけではなかったらしい。つまり衣食住に困ることはなかったというレベルであろう。そうしたことが思春期の彼に影響を与える要因たりえる可能性が少なかったのではないか、というだけのことである。

 つまるところ、彼がそうしたことをする原因なるものが全く見当たらない。行為にたいして原因を求めるというのは些か滑稽なことかもしれないが、他人を説得するために、あるいは大衆が納得するためには表出した行為行動事件に対して、どのような形でもよい、とってつけたようなものでも構わない、理由であるとか原因が必要なのである。「今回の事件の原因はこれこれこういうことでした。みなさま気をつけましょう」というわけだ。しかし本来的に、人間の行動全てに対して原因を求めることなど可能なのだろうか。答えは簡単であり、その答えは否である。

 こうして普通の家庭で普通の思春期を送り、普通の学生生活を経て中学、高校、大学と進学していった櫻庭は、同時に完全に秘匿されたそれを繰り返しつつ大人になっていった。なぜ秘匿することが可能だったのか。端的に言えば、関係性が全く無かった。どこにも、被害者の身体の隅々、過去の経歴、全ての事象を遍く調べても、櫻庭のことなど細胞のひとつたりとて関係性が無かった。場所も離れていた。むしろ離れすぎていた。目撃情報ですら全く無かった。そして被害者の場所同士でさえも一貫性が無く、日本中に散在してしまっている。強いて言えば十二番目の被害者と二十三番目の被害者の間に東京都八王子市の山間部、という地理的同一性が見受けられるが、その二人にしても時間的に懸け離れている所為で連続性を捉えることが出来なかった。警察の無能と謗られたとしても、彼らは言い返しては来ないだろう。しかし、警察関係者に多くを求めることも無粋なほど、櫻庭の犯行は隠されたものであった。

 それでは何故、初犯から十年以上も経た現在になり、櫻庭の犯罪が露見したのか。それは極めて単純な物語である。否、物語ですらなく、事実として捉えるならば呆気ないほどのものであった。例えば十数年に及ぶ警察の捜査活動が結実したか、と言えばそうではない。そもそも警察には十数年に及ぶ櫻庭の犯行、というものを知りえてなかった。さらに言えば被害者の関連性も連続性も把握しておらず、ただそこには迷宮入りした事件が二十数件あっただけのことであり、櫻庭が供述して初めてそれらを知りえたのである。であれば、何らかの齟齬、あるいは過失によって櫻庭の犯行が露見したのか。否、そうでもない。櫻庭の口から語られるまで、彼がそういった犯行を重ねていたことは彼以外、否、彼と既に屍骸となっている被害者以外に知りえる由も無かったのである。結局のところ、櫻庭は自分が住んでいる家から一番近い交番へ出向き、自首を願い出た。彼はそのとき大きめの旅行鞄を肩から提げていた。その中には殺害されたばかりの被害者の頭部が胴体から切断された状態で収まっていた。まだ十三歳の女性、彼女もまた櫻庭とは何ら関係性を見出すことの出来ぬ被害者であった。櫻庭の身柄は所轄では取り扱いきれず、連続殺人事件として警視庁にて取り扱うべき事件とみなされた。尋問にあたった刑事に対して櫻庭は「彼女に自首を勧められたのです」と供述したという。刑事がそれはいつの時点でと訊いたところ、櫻庭は「攫って殺して右手と左手と右足と左足を切ってそこから肉を削ぎ落として醤油をつけて食べて性器を切り取ってソースで味付けをして食べて内臓を全て取り出して塩もみして焼いて食べて、余った切り落としをミンチにしてハンバーグにしてデミグラスソースをかけて食べて、それから頭を切り離して冷蔵庫へ入れて数日間取り出して美しさを眺めてオナニーをしてそれから腐ってしまう前の、まだ彼女が動いていたとき」と答えた。


 トイレから出てきた山木を廊下で出迎えた敦賀不由は、「軟弱」とだけ口にして先に歩き出した。

 それを、山木はハンカチで口元を押さえ、空いている方の手でお腹をさすりながら、まるで千鳥足といったような足取りで追っていく。

「いやあ……自分も人様の亡骸は職業柄見慣れてしまったものですけど、まさか話を聞いただけでこうなるとは思いませんでした」

「しばらくは肉が食べられなくなったってやつ、情けない。馬鹿みたい。だらしない。不甲斐ない」

「そこまでじゃないですけど……櫻庭とあの被害者の女の子、ふたりとも狂ってますよ。なんかこう、人間として大事な一線っていうのを軽く越えちゃってる。いや、その越えちゃいけない一線ていうのが存在することすら理解していなかった、知らなかったのじゃないかと疑っちゃいますね」

「べつに狂ってない」

「そうですかあ」

「誰だって狂ってなんかない。頭の悪いやつとか木偶の坊とか愚図だとかはいるけど、狂ってる人間なんかいないよ。人間っていうのはそういうものなんだ。狂ってるって考えられるやつも含めて人間なんだよ。ただ、そういった奴らがのさばってると社会が迷惑するから、わたし達みたいな役回りがあるの。つまり、狂ってる狂ってないを決めるのは、わたし達だ。いや、それとも検察か裁判官かな。どっちにしろ早いとこわたし達が働かないと、物事が進まないんだよ。吐いてる暇なんかないよ、ほら、さっさと歩きな、愚図」

「軟弱だとか愚図とか、酷いなあ……」


 結局のところ公表されることは差し控えられたが、今でも警察の調書には櫻庭が供述の際に述べた少女の肉の調理方法であるとかその美味たることの素晴しさであるとか触感歯ざわり舌触りの如何に高邁であったのかといったことが詳細に事細かに書き連ねられている。それは社会的影響を顧慮されて親族にも伝えられず、もちろんマスコミなどにはリークされることもなく、警察内部でも目にしたものが少ない。然しながら、少なくとも数名は櫻庭が取り調べの際に為した人肉を食すること素晴しき、という演説を記したそれらに目を通した者がいる。そして、その中に少女の肉、というものの素晴しさに感化されてしまった人間がいないとはどうして言い切れるだろうか。人を十分に惹きつけることが出来るほどに、櫻庭の供述の中で述べられている演説内容は世に出して恥ずかしい種類のものではなかった。否、世に出してその是非を問うべきだったのだ、とも言える。そう、少なくとも、ひと口だけでも良い。

 私は――食べてみたい。

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