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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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坂道メドレィ

 その駅には止まらない特急電車が踏切の前を通過すると、大袈裟ではなく飛ばされそうになるくらいの突風が理恵の肩にかかる髪をまきあげた。間を開けずに耳に突き刺さる警笛と、ダンスナンバのような踏み切りと車輪の音、それらに電車のモータの音が重なり合って電子と機械音の楽団が奏でる騒音に、理恵は思わず両耳に人差し指をあてる。

 頃合いを見計らって指を耳からはなしたときにちょうど、踏み切りのバーは上がり始めた。理恵以外に待っていた幾人かの人たちと同じように渡ろうとしたとき、ふと考えたのは「踏み切りのバーが下がっているときは渡れないなんてこと、誰に教えてもらったのかしら」ということ。


 そんな不思議でもないけれど、日常以上の問いが理恵の周りには沢山ある。そんな事を一々考えてなんていられないし、といつもの理恵であれば思うのだけれど、「どうせ、急に暇になっちゃったし」と、今日の彼女は少し考えてみようと思った。

 普通に考えれば、バーがあればそこを無理して通ろうとは思わないだろうし、ましてや注意を促す音だって鳴っている。誰に教わらなくたって、渡ろうとは思わないのが普通だろう。

「普通って、言われてもなあ」理恵は踏み切りを渡り終えて、一人でつぶやく。もしかしたら、小学校の頃の交通指導教室か何かで、教わったのかもしれない。いや、幼稚園かもしれない。それ以前に親に教えてもらった、と結論づけるのが妥当かしら、と理恵は考えた。

「ほら、こんなこと、考えてもね、意味が無いわ」


 そのまま理恵は、駅前の市場で玉葱とジャガイモ、ニンジンを買った。店長の奥さんが気前のよい手つきで理恵から代金を受け取ると、天井から紐でぶら下がっている篭に小銭を入れて、そこからお釣りを取り出して「今晩はカレーかね」と言いながら理恵に渡す。ちょうど夕方の込み合う時間なので、すぐに他のお客さんの応対に回ってしまったのを見届けて、理恵は店先を離れた。

 それから理恵は、昨日の雨の名残りが見える水溜りを避けながら歩いて、スーパーでカレーのルーを買った。今日はカレーにしようと、家を出るときから理恵は考えていた。少し時間がかかるかもしれないけど、どうせ一人だけの夕食だし気軽なものね、と理恵は思う。


 遠くでサイレンの鳴る音が聞こえる。事故、いいえあの音は消防車。理恵は部屋で消し忘れがないか考えたけれど、理恵の家は電気コンロだったし、煙草も吸わない。理恵が留守にしているあいだに火事が起きることはまず無いだろう。理恵が住まいの安全を考えているうちに、消防車の音は商店街を抜けた先にある国道を遠くへ走っていき、しばらくするとその音は聞こえなくなった。


 夜は通るのを避けている駅の下を渡る薄暗い地下道を抜けて、しばらく平坦な住宅地を歩く。買い物袋にしているトートバッグを片手に持ったまま、やがて見えてきた坂をあがって行く。見た目よりもこの坂はきついので、理恵は坂の上にある部屋を選んだことは失敗だったかしら、と最近思うようになっていた。引っ越したのは今年の四月なので、そろそろ半年が経つはずだった。外観が薄い緑色で、飾り物めいたそのアパートは女性には良いだろうけど、男性は住まないのじゃないかしら、まあ、それはそれで安全だし構わないけど、と理恵は思っている。ただ、この坂だけが理恵がこの部屋を、本当に気に入ることができない唯一の欠点らしい欠点と言えた。


 バッグの中で携帯電話が振動しているのを気づいたのは、ちょうど坂をあがりきったところにある理恵のアパートの前に着いた頃だった。急いで見てもしようがないと理恵は思って、二階にある部屋に入ってから、荷物を取り出しテーブルへ広げて置いた後に、電話を取り出して、一息ついてからディスプレイを確認する。


 その後、理恵は八百屋で買った野菜とカレーのルーを無造作に冷蔵庫へ入れて、化粧台でさっきまで仕掛かっていた化粧の続きをしてから慌ただしく着替え、降りるときは気分の良い坂を早足で下り駅へ向かった。

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