十三月の花嫁
初夏の暑さも、夜の十時にもなると多少和らいだ。どうやら昨日まで続いていた熱帯夜は、今日はその矛先を収めてくれたらしい。
「ねえ、こんな時間に呼んで」
睦美は一人暮らし用の狭いアパートならではの狭い玄関に腰を下ろし、紐つきのサンダルを脱いでいる。僕を見てはいなかったが、たとえ振り返ったとしても視界に僕は入らなかっただろう。僕は部屋のソファに座りながら先週に買ってまだ未読であったアート系の雑誌を読んでいたのだから。
「少し、いや、大事な話があってね」
「珈琲は飲む」
扉の向こうのキッチンで、睦美が珈琲を入れる音が聞こえる。キッチンのどこに何があるかということは、僕よりも睦美の方が今や詳しいかもしれない。つまりはそういう仲である。
僕は彼女が珈琲を淹れて部屋に入ってくる時間を持て余し、窓際に寄ってから少し窓を開けて煙草に火をつけた。クーラの冷えた温度とは違った、蒸れた空気が部屋の中に流れ込んでくる。
「別れ話だったら興味あるんだけどな」
「それも考えたけれど、うまい理由が思いつかなくてね」
ローテーブルにカップを置きながら睦美が僕に話しかける。別れ話、という言葉を口にしながら口元は意地の悪い笑みを浮かべている。そんな事は現状では有り得ない、そう分っているからこそ、揶揄もできようというものだ。勿論、僕も彼女と別れるつもりは毛頭ない。
「というよりも、逆かな」
「逆」
「うん、一緒にいて欲しい」
睦美の視線が僕の面上に固定される。しばらく彼女の表情は動かなかったし、僕も睦美を見つめたままだった。
「……今でも、一緒じゃない」
「これから、ずっと、一生、一緒にいて欲しい」
はたして、珈琲はすっかり冷めてしまった。彼女はその間、ずうっと下を見つめていた。何を考えているのだろうか、迷うことはないだろうに。それから、先ほど僕が開けた窓際に向かうと、おもむろに僕へ振り向いた。
「そうね、もう何年になったかな」
「三年になるね」
「うん、けじめかな。よし、わかった、良いよ」
睦美はまるで何かを吹っ切るように一言一言確認しながら言い、何度か頷いていた。
「ありがとう」
嬉しかった、とても。僕はソファから立ち上がると、彼女に近づいた。そして肩に両手を置いた。睦美は僕を見つめたまま、その瞳は多少濡れていた。普段は男勝りな彼女も、やはり女性ということなのだろう。彼女の両肩に置いた手でやさしく肩を撫でながら、僕は彼女の首へ手を動かした。そして彼女の細い首を、両手で包み込む。睦美は「何をしているの」と言いたげな眼差しを僕に向ける。男性ならば喉仏がある位置に親指を据える。そして親指に力を込めて彼女の首を押す。
睦美の口から、空気が漏れる音と蛙の断末魔のような声。
僕は親指以外の指を彼女のうなじの所で合わせながら、何が行われているのか解らない、そんな睦美の表情を眺める。両手に力を込めて彼女の首を捻る。睦美は目を剥き、口元から涎を垂らす。睦美は僕の腕をどかそうとして掴んだけれど、彼女の手には力が入っていなかった。そのまま僕は彼女の口から何も聞こえなくなるまで首を絞め続ける。
静かになった睦美をベッドに横たえると、僕はキッチンから包丁を持ってきた。ベッドに寝ている彼女の脇に腰を下ろすと、彼女の顔を引き寄せる。そして頭髪の生え際から、顎のラインに沿って包丁で切れ目を入れた後、耳との境目くらいのところに深い切れ目を入れる。
途中で実家の母親から電話がかかってきた。
せっかく二人が愛し合っている最中の電話に憤懣してしまった、忌々しい事この上ない。しかも、ちゃんと食事はしているかだの、体の調子はどうだだの至極どうでもよいことを聞いてきたので、きちんと食事はとっているし当面は食料に困ることは無いから仕送りは不要だと伝えて、やや乱暴に受話器を置いた。
それから再び、僕は彼女との愛を確認する作業にとりかかった。一度集中が途切れてしまったが、意外と早く、先程途切れてしまった作業に没入することができた。
僕は先ほど入れたやや深めの切れ目に人差し指と中指を入れると、少しずつ彼女を引き剥がし始める。繊維の千切れるような音が聞こえ、多少剥がし辛くはあったけれど、今までの経験からゆっくり剥がすよりも思い切りよくやってしまったほうが綺麗に剥がれることを知っていたので、彼女に馬乗りになって力一杯に引き剥がした。
それから僕は心から愛している睦美を壁に貼り付けると、その愛の証として接吻をした。
これで、ずっと一緒にいられる。
そう思うと堪らなく愛おしくなって、僕は何度も何度も睦美に接吻をした。




