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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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渉りはじめた少年と飲みかけのコップ

 少年は泥だらけの靴を履いた右足を、多少毛羽立った黒いマットの上に乗せる。そんな少年の斜め上方で、割れる寸前まで膨らんだ風船から湿度の高い空気が漏れる、そんな音がした。

 少年は音のする方向へ、おもむろに、その幼い顔を上げる。そして残った左足を右側のやや斜め前方にある、同じ色のマットへ体重をかけないように気を配りながら、慎重に乗せる。

 すると、少年の前方で行く手を阻んでいた、原色に近い青の塗料の飛沫で染まった透明なガラスは、少年のちょうど目の前で縦に二つに分かれ、左右に開いていった。ガラスが動かなくなるまで開くと、蒸気の吐き出される苦しげな音は、止んだ。


 少年は、その開いた隙間から中へ、或いは外なのだろうか、震えながらの一歩を踏み出す。


 前方には、原色に近い赤の塗料の飛沫で染まった透明なガラスが、見渡す限り左右へ何処までも続き、少年の視界は埋め尽くされた。そして、若干斜めにずれて置かれた黒いマット。


 少年が先ほどと同じ要領でガラスの扉を開けて進むと、今度は、黒の塗料の飛沫で染まった透明なガラスだった。同じように黒いマットが、少年の進路の方向やや右側にある。再び少年がマットに足を乗せ、黒い塗料の散乱したガラスを開けると其処には。


 反対側から現れたであろう人影が、佇んでいる。


 少年は、自分はきっと鏡を見ているのだと考える。いま目の前に現れた人影が、自分自身だったからに他ならない。


「こんにちは」


「こんにちは」


 そう声を掛け合うと、鏡の中に居るはずのもう一人の自分は、スニーカの靴底と黒いマットが摩擦する音を奏でながら歩き出し、少年に重なり、一瞬の間、二人は一つになって、其の後、少年の中を通り過ぎて行った。自分の中を通っていく自分自身を感じながら少年は、それが自分の中を通ったのか、自分が中を通ったのかどうなのか、皆目解からなくなってしまった。


 もう一人の自分が過ぎて行った後ろを少年が振り返ると、其処には今まで開いてきたガラスの扉たちは何処にも無く、其処には色も何も無い、白でさえない空間が、色や地平線、世界の果て、そんな言葉を嘲笑うかのように、ただただ、ひろがっている。


 少年の耳鳴りは鼓膜を激しく指揮棒で叩き、視界には黒い濁点が不規則に泳ぎ出し、血管で踊る血液は今にも暴れだしそうな勢いでステップを踏み出す。だから少年は、今しがたもう一人の自分が出てきたガラスの扉へ、歩を進めることにした。


 既に開いていたガラスの間を、

――からり、するり

 と抜ける少年の前に、新しい、塗料の飛び散った、左右に果ての無い、半濁のガラスの扉が現れると、


 少年は大きな溜息を一つ吐いてから、大声で笑い始めた。

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