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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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咲かない花、啼かない鳥

 僕と弓木はその日、高校時代に通いなれた駅で十五時に待ち合わせをした。足元には土に返ろうとしている葉の群れが、コンクリートの上を流れている、そんな日だった。


 大学を卒業して一年。社会人になった今でも、彼女の風貌の中に以前と変わったところを見出すことは難しい。それは、弓木自身がそうであることもあるが、多くは僕による、ある種の過去への敬慕かもしれない。


「ごめん、待たせちゃったかな。そこでお花を買っていたの」

 そう言って弓木郁恵は、まだ蕾の多く残っている質素な花束を、胸元に掲げてみせた。

 都心から離れた、規模は大きくはないがうらぶれているわけでもない、然程特徴のない地方の駅だ。通勤時以外は利用者が通る事は少ない自動改札を出て階段を降り、駅から出て周囲を見回したときには、彼女が駅から見えるフラワーショップにいることに気づいていた。

「今、着いたところ。それ、兄貴も喜ぶよ。きっと」

「そうね。あの人、あまり華やかなのって苦手だったから」

 弓木は僕の上にある空を見つめながら、僕ではない誰かに向かって話しかけていた。

 その空には、弓木しか見えないものが映っているのだろう。僕には、彼女が見上げた空を見ることはできなかった。

 彼女が、微笑みながら空を見つめていたから。


 バスに乗りながら、彼女は窓枠に凭れ掛かり、外の風景を眺めていた。僕も、吊革に片手をかけてバスに揺られながら、弓木の見つめる先を同じように眺めていた。


 二人掛けのシート、彼女の隣りには花が置かれている。


 年数を経た一軒家がまばらに建ち、その間に荒れ果てた、手入れのされていない空き地が広がり、外壁の汚れた町工場、立ち上る黒煙は空へ黒色の抵抗を始め、ガードレールのない歩道、買い物カゴにスーパーの荷物を詰め込んだ主婦が、自転車で歩行者の安全帯をはみ出ては、また入る、バスは自転車を避けるために小さく反対車線へ膨らむ、僕は吊革をつかんでいる手に少し、力を込めた。


 一年ぶりに見る光景は、さほど変わったようには僕には見えなかった。変わったのは僕たちだ。こうしてバスに揺られるている間に、むかしに戻れれば良いのに。


「もう、一年も経つのね」

 思わず言葉が漏れてしまったかのように、と弓木は呟いた。もう少しで、エンジンの音にかき消されそうな声だった。

「そうだな」

「長かった、のかしら。彼と一緒だった四年間とね、同じくらい長く感じることもあるのよ、わたし」

 錯覚だよ、とは言えない。きっと、世の中には皆の言えなかった言葉で溢れている。

「うん、わかってる」

 弓木は続けて言ったきり、少し俯いて眼を閉じてしまった。

 僕は彼女から視線をそらし、吊革を両手で握り体重をかけた。


 吊革が、軋む音がした。


 一年前にも訪れた山間の寂しさが充満している墓地には、僕ら二人のほかに人影を見ることは無かった。


 僕らにかかる陽は山に隠れ始め、影が遠くまで、僕らの手の届かない遠くまで伸びていた。

 季節がうつろい、寂しさを感じている木々の間を、僕らは歩く。空には鳥が数羽飛び交っているが、啼き声を聞く事はできなかった。同じように、墓地の中を歩き始めてからは、僕と弓木の間に会話は無かった。いや、僕は話しかけることができなかった。

 兄が眠っている場所は、一番奥まった場所にある。そこまで、多くのひとが眠っている場所を通り過ぎる。様々なひと。数多くの生きた証。僕はこれから生きていく中で、どんな場所にいくのだろうか。


 大きな樹木が空に向かってうねりながら伸びている、その下に兄の墓地はある。一年が経ち、月日の経過を感じさせるようにはなったが、枯れ葉も堕ちてはいない。脇にはまだ新しい花が添えられていた。

「お母さん、来られたのかしら」

 弓木はスカートの裾を押さえつつ、墓石の前に腰をかがめて、まだ瑞々しい花に手を触れる。

「今日、早い時間に来ると言ってた」

「ひとりで」

「そう、一緒に行こうと誘ったんだけどね」

 僕はそう言うと、弓木から視線を逸らせた。

「そうよね……やっぱり」


 それから弓木は兄の前に屈みこんだまま、しばらく何も語らなくなった。時間は彼女の周りでだけ流れているから。


 彼女は心の中で兄に話しかけているのだろう。今まで過ごした、兄と二人だけの四年間のことを。一人になってからの一年間の事を。そして、


 今でも、愛していることを。


「ごめんね」

 兄との長い会話の後、弓木はゆっくり立ち上がり、目を伏せながら振り返ると、そう僕に言った。

「わからないよ」

 彼女の頬には、瞳から流れた涙の後が消えていなかった。本当はわかっているのに。わかっているのに。

「うん、ごめんね、ごめんなさい」


 彼女は、自らの言葉を繰り返す。


 だから。


 きっと、僕らは伝えられない想いで溢れてしまう。


 弓木が添えた花だって、蕾のままなのは咲くことを躊躇っているから、かもしれない。今、空を飛んでいる鳥が啼かないのは、きっと誰かに伝える言葉をさがしているからなのだろう。

 もう兄に届くことがない想いを、伝えようとする。そこには、もう兄は居ない、伝わらない。

 伝わらない想いならば。


 だから、想いが溢れてしまうから、僕は弓木を抱きしめることができなかった。

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